096
−旅立ちの試練(1)−

 光源も無くほとんど真っ暗な病室の中で、春日千秋(女子三番)は白いベッドの上に横たわり、うっすらと開けた目で天井を見つめている。蓮木風花(女子十三番)に半ば無理矢理に休まされたのだが、身体は疲れているというのに、何故かなかなか寝付くことができないのであった。
 不眠に陥ってしまった訳は千秋自身にも分からない。いつ訪れるとも限らない命のタイムリミットに怯えているせいなのかもしれないし、ただ単純に疲れすぎているせいで逆に眠れないというだけなのかもしれない。あるいは、風花から聞いた脱出計画のことが気になって仕方が無いから、なんて理由も考えられる。
 爆弾で水門を破壊し、決壊したダムから溢れ出た水にプログラム本部ごとメインコンピューターを飲み込ませ、首輪の機能を無効にしてから逃げ出すという、そのあまりにも大胆な案を聞いたときには驚かないわけにはいかなかった。そして今もその際に覚えた興奮は冷め遣らず、胸がドキドキし続けているのだ。
 確かに、ダムは構造上水門に針の先ほどの穴が開いただけでも水圧の影響で決壊すると言うし、手製の爆弾であっても威力を最大限にまで高めれば、本部を水の中に沈めることも不可能ではないかもしれない。もちろん風花も言っていた通り、成功する確率未知数の不安定な作戦ではあるが、もしかすると真緒と一緒にこの島から出ることが出来るかもしれない、なんて僅かにでも希望を抱いてしまうと、気持ちの高ぶりはなかなか抑えることができないのであった。
 枕の上で頭を傾けると、隣のベッドの上で横たわる羽村真緒(女子十四番)の顔が見える。目は完全に閉じられていて、なかなか寝付くことができないでいる千秋のように、布団の中でもぞもぞと動いたりもしない。もう深い眠りに落ちているのだろうか。
「眠れないの?」
 ベッドの上で何度も身体を返している千秋に誰かが話しかけてきた、芯の通ったはっきりとしたこの口調は、間違いなく風花のものである。
「蓮木さんは眠らないの?」
 窓のすぐ側に置いた椅子の上で足を組みながら座っている風花に、千秋は横になったまま問いかけた。
「私は一日や二日くらい眠らなくても大丈夫。そういうことに慣れちゃっている身体だから」
 それに、起きて病院周囲を監視し続ける人間も一人は必要でしょう、と風花は付け加えた。
 千秋の問いかけに答える際、彼女はこちらを振り向きもせず、窓の外へと目を向けたままだった。脱出計画の成功を左右する雨の降り具合を気にしているのは分かるが、それにしたって素っ気ない。
 この人は私たちのことをあまり快く思っていないのではないだろうか――。
 ついついそんなことを考えてしまう。無理もない。比田圭吾(男子十七番)のように身体能力値が高く、なにかと役立ちそうな人物ならまだしも、千秋のような料理くらいしか取り柄の無い平々凡々な女の子など、殺し合いゲームからの脱出計画を遂行するにあたっては足手まといでしかないと、自分でも思っているのだから。怪我人の真緒に至っては、厄介者とすら思われている可能性もある。
「ねえ、蓮木さん。私達、ここにいたら迷惑かな?」
 聞くか聞くまいか迷った末、結局「聞く」を選んでしまった。相手の思いも知らずにこの場に留まり続けるということが、とても心苦しく感じられたからだった。
「そうね……、迷惑かもしれないわね」
 風花ははっきりと言った。しかしすぐに「でも今さら勝手に外で死なれるなんていうのは、もっと迷惑」と続ける。
「それは私達がいなくなったら、荷物運び要員としての手が足りなくなるから?」
「ああ……、そういうことかもしれないわね」
 千秋の少しひねくれた言葉に、風花は、くすっ、と小さく笑って返す。なんだか誤魔化されているみたいだ。
 風花が見ている窓の外では未だ雨が勢いよく降っているらしく、水滴がガラスを叩く音が閉められたカーテンの向こうから聞こえてくる。雷も鳴り出しており、時折稲光によって病室全体が明るく照らされたりもする。この様子だと、ダムの水位はかなりのスピードで上昇しているのではないだろうか。
「ところで、比田くんはどこに行ったの?」
 メンバー唯一の男が室内にいないことに気がつき、千秋は事情を知っているであろう風花に問いかけた。
「比田くんならかなり前にこの部屋から出て行ったわよ」
「どこに何しに行ったの?」
「さあ。自分のすることをいちいち報告するような人じゃないから私には分かり兼ねるけど、おおかた殿方はどこか別の部屋で休んでいるのではないかしら。子供の頃から慣れ親しんだ刀を抱きながらね」
「慣れ親しんだ刀?」
「知らなかった? 彼の家、剣道の道場をやっているらしいのよ」
 訳が分かっていない様子の千秋に、風花は説明してくれた。
「一代目だった彼の祖父が亡くなった後は父親が師範を継ぎ、そして比田くんも昔から住居の裏手に構えられた道場で鍛えられていたらしいわ。また、居合いをやっていた祖父にあこがれていた比田くん自身にも、真剣を握る機会は多かったようね」
 圭吾とはかなり長い間同じ教室の中で過ごしてきたはずだったが、今まで接する機会もほとんど無かったために、そんなことは今の今まで知らなかった。
「そういえば、比田くんは支給された刀をかなり手馴れた感じに扱っていた――」
「長年調理場で包丁を握り続けてきた松乃屋の看板娘と同じよ。道場の跡取り息子も幼い頃から触り続けてきた道具を、今や身体の一部と化してしまった。ただそれだけのこと」
「えっ、比田くんって道場の跡を継ぐの?」
「彼自身がそう言っていたわよ。父が引退し次第、三代目として家督を継ぐことになるのだと、昔から決められていたって」
 鍛えられた堂々たる体躯を見ただけでも、圭吾からは道場の師範としての風格は既に十分すぎるほどに感じられる。だからもしも彼が今すぐに三代目の座につくとしても、あまり違和感は覚えないかもしれない。
「しかし彼はプログラムに選ばれてしまった。資質ある息子を溺愛していた父親はそのことに納得できずに何らかの反発を見せ、そして政府の人間に殺されてしまったかもしれない」
「比田くんが言っていたの?」
「ええ。まったく皮肉なものよね。信頼できる三代目が後に控えているからこそ当代は安心していたというのに、現師範が亡くなるといういざという時になって、跡継ぎもが死の淵に追いやられているなんてね」
 千秋は思った。プログラムに反発した父を政府に殺された千秋に、圭吾は同情していたのではないか、と。もしかすると、彼が湯川利久の前から千秋たちを救ってくれた理由には、そういう要素もいくらか絡んできていたのかもしれない。
「私、少し比田くんと二人で話してみたい」
「探してくれば。この病院内から出て行ったりはしていないはずだから」
 もう居ても立ってもいられなかった。ベッドの上から跳ね起きた千秋はすぐさま病室の出入り口へと向かい、そこから暗い廊下へと飛び出す。
 不安のため一度もとの部屋へと戻ってきてしまったが、レーダーで自分達以外にはこの付近には誰もいないと確認すると、すぐに気を持ち直して再出発することができた。

【残り 十八人】
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