093
−赤十字と策士(4)−

「この島から脱出するって、要するにプログラムから逃げ出すってこと?」
「そうよ」
 さも当たり前のように返され、千秋が目をぱちぱちと瞬かせていると、風花は「まあ、驚くのは当然でしょうね」と言いながら、すぐ側のベッドの上に腰を下ろした。
「それで、工作はもう済んだのか?」
「そんなのはとっくの昔に」
 細い指で癖のある髪をかき上げながら圭吾に余裕の表情を返す風花。千秋にはまったく訳が分からない。
「説明してほしい?」
 流れについていけないでいると、見かねた発案者はこちらを振り向き、また目を細めて勝ち誇るような表情をする。少し癪だが、話についていけないというのは辛いので、素直に説明してもらうよう頼むことにした。
「起爆装置を作っていたのよ。あなたたちがここに到着するずっと以前からね」
「起爆装置って、爆弾とかを破裂させるスイッチみたいなものよね?」
「そうよ」
「それは、さっき蓮木さんが言っていた脱出計画に必要なものなの?」
「ええ」
 これまた驚かないわけにはいかなかった。起爆装置を作ったということは、爆弾そのものもどこかで用意するということだ。そんな物騒なものを扱う計画とは、いったいどんなものなのか。千秋には想像すらできない。
「脱出って、そんなのは私には夢のまた夢としか思えない。説明してくれる? 蓮木さんが考えた脱出計画について」
「いいわよ」
 風花は立ち上がって部屋の隅まで歩き、支給されたプログラム会場地図をデイパックから取り出して戻ってきた。
「順を追って説明するわね」
 話を聞く千秋の姿勢が自然と前のめりになる。
「私達、梅林中三年六組のメンバーは、松乃中跡地から帰る途中にバスの中で眠らされ、この鬼鳴島へと連れてこられました。そして次に目が覚めたとき、私達はなぜかここにいました」
 風花がボールペンの尻で地図上のF−4を叩く。プログラム本部の分校があるエリアだ。
「そこに田中一郎という男が現れ、こう告げました。梅林中三年六組はプログラムに選ばれました、と。そして恐怖に顔を引きつらせる生徒達に構わず、プログラムの説明を始めました――。覚えているわね?」
 当然だ。千秋の親友であった相沢智香が殺されたこの時のことを忘れるはずがない。
「そこで田中は言いました。島から出ようとしたり、立ち入り禁止のエリアに踏み込んだりしたら、生徒達に装着された首輪は容赦なく爆発しますので、このプログラムから逃げ出すことは絶対に出来ません。もちろん、首輪を外しての逃亡も不可能。なぜならば、首輪は無理矢理に外そうとすればエリアに関係なく爆発するように作られているから」
「馬鹿げた話だな」
 圭吾が合いの手を入れると、風花はうんうんと頷いた。
「本当に馬鹿げているわよね。安物のチョーカーもビックリな、こんなセンスの欠片も無い首輪一つに私達の命が握られているなんてね。でもね、これは全く逆の発想も出来るわけよ」
「逆の発想?」
「簡単に言えば、唯一の拘束具であるこの首輪さえ不能にしてしまえば、私達を縛り付けるものは何も無くなってしまうということ」
 風花は自信満々に言う。しかし、その唯一の拘束具が外れないようになっているからこそ、誰も逃げ出すことができないのではないか。
「なにも首輪を外さなければ脱出できないというわけじゃないわ」
 ワックスの馴染んだウェーブを再びかき上げる風花。癖なのだろうか。
「全ての首輪を制御する存在、すなわち、プログラム本部のメインコンピューターを破壊してしまえばいいわけよ」
 一瞬病室内がしんと静まり返った。あまりに大胆な発言を唐突に聞いてしまったせいなのか、千秋も真緒も何と返せばよいのか、上手い言葉を瞬時に見つけ出すことが出来なかったのだった。それに対して風花は、別に構わぬといった様子でさらに話を続ける。
「なぜメインコンピューターを破壊するという案が浮かんだのか。それは、プログラムの全てを統制している存在を消せば、コンピューターによって管理されていた禁止エリアの全てが解除され、島から外に出ても首輪は爆発しなくなると考えたから。もしそうなれば、浮き輪か何かに掴まって島から泳いで逃げることも可能だし、それに大雨が降り続いた結果荒れ狂ってしまった海の中なら、政府の巡視船に見つかって狙撃される恐れもかなり軽減するしね。爆薬が仕込まれた首輪をどうやって外すかは、三日という命の制限時間の無い土地に逃げてから、ゆっくりと考えればいいわけ」
 カーテンの向こうからは雨がガラスを叩く激しい音が聞こえてくる。確かに風花が言うとおり、こんな状態なら海の上の視界も相当悪そうだ。
「ただし、一つだけ心配に思うことがあった」
 話は一区切りついたのかと思ったが、どうやらまだ続きがあるらしい。
「何? その心配に思うことって」
「首輪が爆発する仕組みについてよ。田中は、首輪の爆発はメインコンピューターを通じて発せられる電波信号に操作されると説明していたけど、それだけでは発信と受信の機構がまだよく分からなかったの」
 理解に苦しむ千秋が難しそうな顔をしていると、風花はさらに分かりやすく補足を加えてくれた。
「私が考えていた首輪とコンピューターの関係は二通りあった。一つ目は、自身で平常を保とうとする首輪に対して、参加者がルール違反を犯した際にコンピューターが起爆信号を発信する、というもの。二つ目は、常に準備が整っている首輪の爆発を、コンピューターが制御信号を送り続けることで普段は抑え込んでいる、というもの。プログラムで扱われる首輪の機構が前者であった場合なら、起爆信号を含む電波の発信源であるメインコンピューターさえ破壊できれば、無事に脱出することも可能だけど、もしも後者であった場合はそうはいかない」
「そうか! コンピューターが起爆装置でなく、爆発の制御装置であった場合、それを破壊してしまったら参加者達全員の首輪が一斉に爆発してしまうというわけね」
 なるほど。首輪の爆発はコンピューターからの制御信号を絶たれることで起こる、という仕組みである可能性もあるわけか。
「だけどその点については、ある生徒が死亡した時の田中のセリフを思い出すことで解決したわ」
「ある生徒?」
「相沢智香さんよ」
 親友の名前が突然上がったことで、千秋の眉がぴくんと動いた。
「相沢さんの首輪が爆発する少し前、田中はリモコンのようなものを取り出して言ったわ。相沢さんに電波を送ります、って」
「つまり、この首輪は電波を止められたときではなく、受信した時に爆発するという仕組みなわけね」
「そう。すなわちそれはメインコンピューターが発するのは爆破の制御信号ではなく、起爆信号だということを意味する」
 そしてメインコンピューターが発するのが起爆信号だけであるなら、その発信源を破壊してしまっても問題は無い、と風花は付け足した。
 さて、これでメインコンピューターを破壊すれば脱出も可能だということは分かったが、一番肝心な部分の説明はまだされていない。プログラム本部の分校がある区域は禁止エリアとなっており、生徒達は近づくことすらできないというのに、どうやってメインコンピューターを破壊するというのだろうか。
「まさか、作った爆弾をエリアの外から飛ばして校舎にぶつけるとか?」
 真緒の発言を聞いて、千秋は頭の中に大きなパチンコを思い浮かべていた。しかし、そんな原始的な装置では分校に上手くぶつけるどころか、標的にとどきもしないだろう。というわけで、この説については口に出す前に脳内で自ら却下。
「たしかに、作った爆弾を本部に直接ぶつけることができるなら、これ以上確実な策は無いわ。だけど残念なことに、島の地形や集めることが出来る器具から考えても、重さ何十キロにもなるであろう爆弾を分校まで飛ばす方法なんて考え付かなかった。そこで私は、もう少し間接的な方法をとることにしたの」
 風花がまた髪をかき上げる。話し始めてからもう三度目だ。
「ダムを破壊する」
「えっ……」
 千秋と真緒の声が絶妙なタイミングでかぶった。
「ダムってもしかして、私達がここに来る途中に立ち寄った場所のことだよね?」
「そういえば、あなたたちは一度そこを訪れたのだったわね。それなら話は早い。実はね、あなたたちが見たのは多目的ダムなの」
「多目的ダム?」
「二つ以上の目的があって作られたダムということよ。この島唯一の水源ともいえる黒部ダムは三つの役割を持っているの。各種用水の確保と水力発電。そしてもう一つ、洪水を防ぐための水量調節も行っているのよ」
 小学校の社会科の時間に、そういう話を先生がしてくれたような記憶がある。
「さてここで問題。水量調節の役割を担っていたダムが何らかの理由で決壊した場合、下にある建物や町はどうなるでしょう」
 ダムが決壊したら、建物や町は水の中に沈んでしまうに決まっている。そういうニュースは過去にテレビで何度か見たことがある。ここまできてようやく、千秋は風花の考えていることを理解した。
「もしかして、決壊したダムから流れ出した大量の水に、分校ごと飲み込ませてしまおうってこと?」
「ビンゴ」
 風花がぱちんと指を鳴らした。
「どんなに優れたプログラムを持ち備えているコンピューターだろうが、所詮機械は機械。一度水に浸かってしまえば、もう使い物になんてなりやしないからね」
 プログラム本部は、ダムが決壊した場合に大量の水が押し寄せるであろう位置に、上手い具合に建っている。確かにこれなら、風花が言う作戦も不可能ではないように思える。
「といっても、この案にはまだ問題が残されているんだけど」
「問題って、まだ何かあるの?」
「プログラム本部がダムよりも低い場所にあるのは確かなんだけど、分校の立つ土地だけが周囲よりも少し高台になっていてね、コンピューターを飲み込めるだけの水がそこに流れていくとは断言できないのよ」
 地図を見ただけでは分からないが、どうやら彼女はここに来る以前に自らの目で確認してきたらしく、今回問題となっている区域の地形はしっかりと把握しているようだ。
「そんなわけだから、とにかく少しでも成功率が高まるよう、雨の水でダムの貯水量が増えるのを待っているんだけどね」
「そうか。ここに来る途中で比田くんがダムに立ち寄ったのは、雨でダムの水位がどの程度上昇しているのかを確認するためだったんだ」
「そういうこと。彼曰く、もう少し水量が増すのを待った方が良い、とのことだけどね」
 流れ出す水の量が増えれば勢いは強まり、作戦が成功する確率も高まるというわけだ。そして成功した暁には、より大きなダメージを本部に与えることができる。
「まあ成功率未知数の、とんでもなく頭の悪い作戦だけどね」
「分かってきた。爆弾はダムの水門を破壊するためのものだったというわけね」
「一番の問題はそこね」
 急に風花の声のトーンが落ちた。いったい何が問題なのだろうか。
「爆弾の材料が揃わなかったのよ。ここの病院に来れば必要なものは全て見つかるかと思っていたんだけど、思いもよらぬ物が手に入らなかった」
「俺はそんな話聞いていないぞ。いったい何が見つからなかったんだ」
 ここで声を上げたのは意外にも、壁に寄りかかって腕を組んでいた圭吾だった。
「硝酸アンモニウム。農業用の肥料としてよく使われているけど、今回の爆弾作りに欠かせない材料の一つでもある。他の材料――例えばガソリンなんかは病院内に停まっていた救急車の中から拝借できたし、爆弾の外装は床用ワックスの缶でなんとかなりそうだけど、どうもこれだけが切らされていたらしくて。比田くんが春日さんたちを連れてくるまで病院の隅々を探し回り、どうにか袋一つ分は見つけることが出来たけど、これだけでは水門を破壊するほどの量の爆薬はおそらく作れない」
「別の材料で代用はできないのか」
「私は爆弾のプロじゃないのよ。そんな危険なアドリブを成功させる自信もないし、仮に作れたとしても、それに鉄とコンクリートで造られた堅強な水門を破れるだけの威力があるかどうかは疑問だわ。そこで――」
 風花は意味ありげな視線を圭吾に向けて言った。
「あなたには後で、私がここで羽村さんを看ている間に、足りない分を調達してきてもらうわ」
 当然これには圭吾も不満に満ちた表情をあからさまに浮かべるが、「死にたくないでしょ」と風花が一蹴。
「大丈夫よ。危険な目に遭わないよう、今度はあなたがレーダーを持って行けば良いんだから」
 以前圭吾は廃ビルへと向かう際、あらかじめレーダーで人のいない道筋を確認していたというのに、千秋や真緒といったお荷物を抱えて戻ったがために隠れ家に着くまでに時間がかかってしまい、帰路に入り込んできた安藤幸平と遭遇することとなってしまったのだった。結果的には拳銃一丁を奪って無傷のまま帰還することができたが、このとき圭吾がレーダーを持っていたなら、そもそも危険な目に遭わずに済んだのだ。
 ちっ、と舌を鳴らす圭吾。彼は絶対に人の言いなりになんてならないタイプだろうけど、生死がかかっているからなのか、それとも風花が一枚上手なのか、まんまと掌の上で転がされている。ある意味とてつもなく貴重な光景かもしれない。
 それにしても、ルックスが抜群なだけでなく、医療やら爆弾作りやら、普通の中学生なら知り得ないような知識を持ち、そして被災者特別クラスになんか編入してきた蓮木風花とは、いったい何者なのか。なによりもそれがずっと気にかかって仕方がなかった。

【残り 十九人】
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