089
−謎めく災禍(3)−

 山中を歩いていた時に偶然見つけた、一際太くて背の高い老樹。まるで年老いた人間の皮膚みたいに樹皮がざらざらとしていたので、きっと登りやすいだろう、なんて思って枝に手をかけてみたのだが、これが思いのほか大変だった。雨に濡れた木の表面は案外滑るし、腐りかけた樹皮は剥がれるし、地上五メートルを越えた高さから何度落下しそうになったことか。そりゃあ自分は木登り名人でもなんでもないから当たり前と言えばそうなのだけど、まさかここまで苦労することになろうとは予想してもいなかった。長時間に渡って島内を徘徊し続けていたために、疲労で身体の動きが鈍っているのかもしれない。
 これでもしも荷物なんて抱えていたら、きっと今頃は土の地面へと滑り落ちていたことだろう。
 なんて自嘲的に笑うのは土屋怜二(男子十二番)。そう、黒河龍輔との対戦時に炸裂閃光弾を使い切り、そしてデイパックを残したまま逃亡してしまった彼は今、全くの手ぶらであった。おかげで疲れていながらも身軽に動き回ることが出来るのだが、武器もなしに戦場を歩き回るなんてこと、不安ではないなんて言えば嘘になる。
 そんな彼が大木をよじ登ろうとしている理由は、周囲の様子を一望したかったから。地図では分からないような細かな地形、また、どこに誰がいるなんてことを少しでも把握し、これから先どう動くか参考にするべきだと考えたのだった。なにしろ丸腰である自分には敵の襲撃から逃れるための手段なんて無いので、先手を取られることだけは絶対に避けなければならないのである。いくら体力に自信があったとしても、だ。
 ちなみに、木によじ登ったこちらの姿を、誰かに見られてしまうかもしれないという心配も少しはあったが、雨天時の夕刻はかなり薄暗いし、そんな中で無数にある木々のうちの一本によじ登る人間がいたとしても、気付く者などおそらくいないであろう。
 幹から伸びる枝一本一本の位置をしっかりと把握しながら、それに手足をかけてゆっくりと身体を持ち上げていく。このときに注意しなければならないのは足場となる枝の強度だ。もしも男一人の体重を支えられないような細い枝に手足をかけてしまったら、折れたそれと共に地面に叩きつけられることとなってしまう。
 また、届くところに枝が無い場合なんかは、僅かな出っ張りを見つけてそこに手足をかけるようにして、ほんの少しの体重移動にすら気をつけなければならない。ほとんどロッククライミング状態だ。
 それでも怜二は果敢にも上を目指し、だんだんと細くなっていく枝を掴みながら、徐々にではあるがよじ登っていく。その間、濡れた手袋をはめたままの右手が滑って危ない目に遭うということが何度かあったので、いっそ手袋は取り払ってしまおうかと考えたこともあった。しかし、それだけはどうしてもできなかった。右手にはめたそれは過去に起こった事件の記憶を人目につきにくいところへと隠すためのものであり、易々と封印を解きたくはなかったのである。
 どれだけの時間を費やしたころだろうか、ようやく周囲に立ち並ぶ木々の頂点を越えるくらいの高さにまで到達し、鬱蒼と繁る森林地帯を上から見下ろすことが出来た。
 まずは付近に重点をおいて辺りを見渡す。しかし、茂みの中や物陰にでも隠れているのか、それとも本当に誰もいないのか、人の姿など全く見られない。続いて遠くの方にも目を向けてみるが、島の北側に広がる住宅地や、東の岬にそびえる灯台を確認できたくらいで、他には特に目に付くようなものなど何も無かった。
 先ほどの放送によれば、正午以降に亡くなった生徒は五人。横田真知子と三上圭子、それから武田渉の死については既に知っていたが、その三人を死に追いやった張本人である黒河龍輔までもが死んでいるとは思いもしなかった。あと、磐田猛の死も意外だった。彼と同じサッカー部に所属していた怜二は、猛の身体能力や判断力、しぶとさなんかも熟知した上で、易々と死ぬような人間ではないと信じて疑わなかった。しかしそれでも猛は死んだ。プログラムに巻き込まれてしまっては、誰だって死からは逃れられないのだ、と、証明されてしまったかのようだった。
 何にしろ、もはや一刻の猶予も残されていない。自分を除いて十八人ものクラスメートがまだ生き残ってはいるが、その中の誰もがいつだって死ぬ可能性を抱えているのだ。もちろん、怜二が探している人物にしたって。
 宮本正義に続いて渉や猛も死んでしまい、ついに残り一人となってしまった梅林中サッカー部員の怜二は、木の上からでは何も見つけられないと分かると、すぐに登ってきたばかりの幹を今度は下り始めた。その際に「木は登る時よりも下りる時の方が怖い」ということが判明したが、そんなことに怯んでいられるほど時間に余裕は無いのだった。

【残り 十九人】
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