087
−謎めく災禍(1)−

『前回の放送から六時間の間に死亡した生徒は、以上のメンバーです。それでは、これからの禁止エリアを発表します――』
 プログラム本部のある分校の中に設けられた、固いソファーとテーブルが並べられただけの簡素な休憩室。午前の勤務を受け持っていた兵士達がいびきをかいている仮眠室へは向かわず、あえてそこで一人身体を休めていた桂木幸太郎の耳に、プログラム担当教官田中一郎の声が入ってくる。同じ建物の中にいるはずなのに、男の声は島中に点在するスピーカーを介して放送されているため、近くからも遠くからも聞こえるように感じる。
 放送によると、正午以降に亡くなった生徒は五人。失礼な話、その死者のほとんどは頭の中で顔と名前が一致しない。しかしその内一人の死についてだけは、どうしても気にしないわけにはいかなかった。
 男子二番の磐田猛。島内の廃ビルに潜んでいたグループのリーダー的存在であった彼が亡くなったということは、常に猛と行動を共にしていた春日千秋もが、何らかの形で危険な目に遭ったという可能性は大きい。なので、いくら放送で名前を読み上げられなかったとはいえ、彼女の安否が気にならないはずがなかった。
 猛を失ってから千秋たちはどうなってしまったのか知りたい。そんな思いから、桂木は何度もメインコンピューターのある本部に足を運ぼうかと考えた。盗聴回路が麻痺している状態では彼女達の会話を聞くことは出来ないが、生徒達の行動記録くらいはデータとして残されているはずなので。しかし正午に一度仕事を終えて、次の勤務は深夜零時からという自分が、こんな中途半端な時間に本部付近をうろつくわけにもいかなかった。盗聴回路を麻痺させた犯人が自分達である以上、不審に思われるような行動は極力控えねばならないのである。
「こんな所にいたか」
 他の部屋と同じく建て付けの悪い木造扉が派手に音をたてながら開き、桂木だけしかいなかった休憩室に踏み込んでくる者が一人。こんな時間に働きも眠りもしていない人間なんて限られているので、顔を見るまでも無く木田聡だと分かった。
「仮眠室行かなくていいのか? あと六時間もしたら次の勤務交代時間だぞ」
「大丈夫だよ。一日や二日くらい眠らなくたって平気さ」
 嘘ではない。仕事が溜まって二十四時間以上睡眠を取れないということは普段から割とあるため、桂木の身体は不眠不休にある程度順応してしまっているのである。それに、彼が仮眠室へと向かわないのには訳があった。
「やっぱりプログラムを祭り騒ぎのように楽しんでいる連中と一緒に、窮屈な部屋で雑魚寝するなんて気が進まないか?」
「それもまあ否定はしないが、千秋ちゃんたちのことを気にしている間は、どっちにしろ眠れそうにないしな」
 そう、今はとにかく千秋の安否が気になっていて、安らかな眠りにつくなんてこと、とても出来そうに無い。しかし、プログラム管理という精神的にもかなり過酷な仕事を休み無しで続けるなんて、それこそ相当無謀といえる。ほんの数時間程度の仮眠でも、一度はとっておくべきなのだ。
 こういうとき、決まって身体が欲するのは酒。ある一定量を超えるアルコール分を摂取すれば、どんなに気掛かりなことがあろうとも、強制的に身体を眠りにつかせることができるからだ。だが残念なことに、この建物の中には酒なんて一滴すら存在していない。
「ああ、松乃屋に行きたい」
 ふと思ったことが口からそのままこぼれ出てくる。
「松乃屋って、春日千秋とかいう娘が働いていた、例の飲食店のことか?」
 どこか遠くを見るような目をしていた桂木の正面で、木田が少し不思議そうな顔をしている。
 そう、春日千秋が働いていた食堂「松乃屋」は桂木のお気に入りで、仕事に疲れた日の帰りなんかは決まって立ち寄っていた場所である。店の奥から運ばれてくる料理は何もかも美味いし、人当たりの良い主人にも好感が持てる。そしてはつらつとした看板娘は見ているだけで心癒されるという、まさに乾き切った世界の中に存在する小さなオアシスのような場所であった。
「木田も一度連れて行ってやりたかったよ。きっと気に入っただろうに」
 しかしそれはもう叶わぬ夢でしかない。店の主人であった千秋の父親は死に、そして看板娘はプログラムに選ばれてしまい、もう二度と店にのれんがかかることはないのだから。もちろん店主の料理の腕を受け継いでいる看板娘が、また店先に立てるような日がくるならば話は別かもしれないが、その実現には彼女がゲームに優勝する必要がある。後に一生の逃亡生活を余儀なくされることになる「プログラムからの脱走」では駄目なのだ。
「ところで、木田は何か話があってここに来たんじゃないのか?」
 自分から始めた無駄話を早々に切り上げてやると、対面していた僚友は何かを思い出したかのような表情を作った。
「ああ、実はついさっき、本部の様子を見てきたんだ」
「なんだって?」
 できる限り人目につくような不審な動きはしないほうがいい。そう提案したのは他でもない木田自身であったはずだ。それなのに彼は本部付近をうろついていた、と。いったいどういうつもりなのだろうか。
「言ったことと矛盾しているのは分かっているよ。だけど、俺達がプログラムを妨害したことでどのような影響が出ているのか、どうしてもこの目で確かめないわけにはいかなかったんだ」
 言っていることは分からなくも無い。自分達は大罪と呼ぶに相応しいほどの事を起こしたのであって、とくに自ら実行犯という大役を買って出た木田なんかは当然、本部の動きが気になって仕方がなかったはずだ。
「でも、俺の姿は誰の目にも止まらなかったようだし、心配しなくても大丈夫だと思う」
「分かった。それで、本部の様子はどうだった?」
 姿を見られなかったのなら、この件についてはこれ以上問題視する必要は無いだろうし、そもそも過ぎ去った事を今さら責めたって仕方がない。それよりも、自分達の裏切りがプログラムにどんな影響を及ぼしているのか、桂木だって知りたかった。
「とりあえず作戦は上手くいっているようだ。こちらの思惑通り、管理者側が生徒達の会話を聞くことは、一切できなくなっている」
「コンピューターの中身が書き換えられていることに、まだ誰も気付いてはいないのか?」
「兵の多くが原因究明に当たっているが、所詮は手探りの作業。障害が生じた原因については、今のところ解明されてはいないようだ」
「そうか」
 プログラムの書き換えに気付かれていない限りは、脱出を企んでいる者たちの存在がばれることはない。もちろん、桂木や木田の裏切りに気付かれてしまうことも。少し安心してしまった。
「とまあ、俺達のとった行動に関してはひとまず心配する必要は無さそうだが、気になるのは田中一郎だ」
「担当教官?」
 あの小汚いアフロヘアーの男がどうしたというのか。
「いや、少し様子が変な気がするんだ。はっきりとは分からないんだけど、なんだか首輪からの音声が途絶える前とは様子が違っているようで」
「というと?」
「以前とは打って変わった物凄く不機嫌な顔をしている。そりゃあ、プログラム観戦を楽しんでいた奴としては、気を悪くして当然なのかもしれないが――」
「どうもそれだけじゃない気がする、と?」
「ああ」
 木田が頷く。
 話がぼんやりとしすぎているので、桂木はそれをどう取るべきか迷ってしまうが、田中一郎という人物について疑問に思う点はいくらでもあるので、さらりと聞き流してしまうわけにもいかないのであった。
 田中一郎。その心の奥底には、知られざる何かが秘められているとでも言うのだろうか。
 頭の中に担当教官の顔をぼんやりと思い描いたそのとき、休憩室の外でどこかの戸が開く音が聞こえた。誰かが廊下に出てきたらしい。
 桂木と木田は一度互いに顔を見合わせてから、気配を殺して耳を澄ますという動作を自然に行った。
「一人じゃないぞ」
 足音は複数。揃ってこちらに向かってきているようだ。
「いいか、万が一ここの部屋に入ってきても緊張はするな」
 休憩室に誰かがいるとしても、それは特別不自然なことではない。いつもどおり自然に振る舞ってさえいれば、なにも怪しまれることは無いはず。木田はそういうつもりで言ったのであろう。しかし、午前中勤務であるはずの人間が、午後六時なんて時間に、眠りもしないで休憩室で談話しているというのも、ごく自然なことであるとは言い難い。もしも自分達の姿を見られてしまったら、「交代時間まで六時間もないというのに、どうして睡眠をとらないのだ」など、一つか二つくらいは質問を投げかけられるかもしれない。できればそういう事態だけは避けたいところだ。適当な答えを述べる自分達の言葉から、ポロリとぼろがこぼれ落ちてしまう可能性は十分に考えられるので。
 だが、どうやらそんな心配は無用だったらしい。重い足音をたてる一団は休憩室の前をあっさりと通過し、どこかへと歩いていってしまった。
「今の、担当教官だよな?」
 桂木がほっと息をつくと同時に木田が言った。
「ああ、それと兵士が三人」
 廊下に面した曇りガラスに映った人影は、真ん丸いアフロヘアーの男を加えて四人だった。田中の後ろを歩く三人の体格は自分達とさほど違いはなかったようなので、大柄の御堂一尉ではないとすぐに分かる。
「いったい何をするつもりなのだろう」
 木田が首をかしげる。だが、桂木にはなんとなく、これから起こる事の察しがついた。
「きっと桑原教諭のところに向かってるんだよ」
 言うと、木田は思い出したのか、ぽんと手を叩いた。
「そうか。あの担任、自分の受け持つクラスがプログラムに参加するということを、まだ承諾してはいなかったんだっけ」
 梅林中三年六組がプログラムに選ばれたと知ったとき、担任の桑原は気を失ってしまい、ゲーム開始までに目覚めることはなかった。よって、今回のプログラムは担任から承諾を得られないまま行われることとなってしまったのだった。
「形式上、プログラム開催時には担任に話を通しておくことになっている。桑原教諭の目が覚めたならば、田中は否が応でもそれにのっとって、プログラム参加について同意を求めなければならないわけだ」
 しかし毎年五十もの学級が選ばれるプログラム。中には政府の決め事に歯向かう担任も少なくはなく、そういう者のたいていは射殺されてしまう。それでもプログラムは何事もなかったかのように行われるのである。
「あくまでも形式的な話であって、実際に担任が承諾しようが歯向かおうが、そんなのは全く関係ないというわけだ」
「それでも奴らはもう始まってしまっているプログラムについて話をつけようと、哀れな担任のもとに向かおうとしている……。馬鹿げている」
 既に二十六人が命を落としているというのに、今さら何について話をつける必要があるというのか、桂木には全く理解できなかった。
 千秋たちの担任である桑原和夫という人物は、自分の受け持つクラスに対して大きな愛情を持っている。だから今さら生徒達を助けることなんて出来ないと分かっていても、馬鹿正直な彼はプログラムに同意なんてしないであろう。
 きっと、桑原教諭は助からない。そんなことを思ってしまった桂木は、以前に桑原教諭から聞いた話の鱗片を、何故かふと頭の中に蘇らせた。
「なあ木田、一つお前の意見を聞いていいか?」
「なんだ?」
「松乃の火災についてだ――」
 竹倉の事件の関係者である木田は、火災という言葉を聞いて、ピクリと眉を動かした。が、桂木は気にせず続ける。
「あの火災は実験用具の不始末、あるいは放火なんかが原因で起こったというだけの、ごく単純な事件だったと世間的には言われている。しかし桑原教諭と話して以来、俺は、あの事件には知られざる何かが隠されているような気がしてならないんだ」
 どういう流れだったかは忘れたが、桂木との会話の合間に、桑原は二年前の松乃中大火災に関する話を挟んできたのだった。そしてその中には、とても奇妙かつ不可解な、ある「二つの謎」が込められていた。
 もちろん、そんなのは不運が重なり合って起こっただけの、単なる偶然だったのかもしれない。しかし、ごく単純な事件だと言われてきた学校火災にしては、あまりに出来すぎているというのは事実。
 得体の知れない予感を感じ、いつしか千秋達を巻き込んだ事件の真相を知りたいと思うようになっていたのだろうか。桂木は木田に意見を求めようと、桑原から聞いた二つの謎を中心に話し始めていた。

【残り 十九人】
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