076
−仮面下の真実(8)−

 千秋たちが非常階段を使って地表に下りた頃、磐田猛はまだ建物内に留まっていた。いや、正確には留まることを余儀なくされたというべきだろう。なにせ彼は見えざる何かに身体の自由を奪われて、階段の中腹で身動きが取れなくなっていたのだから。
 立ち上がりたいという意志はあるのに、何故か思うように足が動かない。力の入らない膝を折り曲げて、両手を地に付けるという格好は、あまりに無様。クラスやクラブを先頭で引っ張るうちに培われてきたプライドを、ズタズタに引き裂かれた猛は、苦悶の表情を浮かべながらも、身体に鞭を打って無理矢理にでも立ち上がろうとする。しかし残念なことに、痺れた足はなかなか言うことを聞いてはくれない。
 クスクス。クスクス。
 寄りかかった壁に全体重を預けつつ、なんとか身体を持ち上げようと悪戦苦闘していると、背後から不気味な笑い声が迫ってきた。
「サッカー部のキャプテンともあろう方が、なんたる醜態かしら。いい気味ね」
 振り返って確認する必要も無い。それは紛れも無く御影霞の声だった。
 サッカー部キャプテン兼クラス委員だ、と、猛は内心で呟く。
「お前が持っている、そのライフルのような武器、麻酔銃だな」
 左足のふくらはぎに刺さったシリンダー状の物体を引き抜きながら言うと、また、クスクスと意地の悪い笑いが聞こえて、猛はちょっと不快に思った。
「ご名答。これはあくまでも捕獲用だけどね」
 霞の右手に携えられた麻酔銃が高く掲げられる。
 要するに、猛は千秋たちに続いて階段を駆け上がろうとはしたものの、背後から発射された麻酔弾が足に着弾してしまったために、下半身じゅうが麻痺されていき、四階手前にまで来たところで、ついに立っていることすら出来なくなってしまった、というわけだ。
「で、私の本当の武器はこっち」
 不気味な微笑を絶やすことのない彼女が、左肩にかけていたデイパックから引っ張り出した凶器は、大振りのナタ。包帯ずくめの霞には、その大きな刃物が妙に似合っており、さながら恐怖映画の怪人のようだった。
 凄まじき気迫に圧倒されてしまったのか、胸の奥で心臓がバクバクと暴れだす。
「お前、いったいこれまでに何人のクラスメートを殺めてきたんだ?」
 ナタに付着した大量の血の跡を確認するや否や、猛は表情を歪めながら強い口調で問い詰めた。しかし、霞は臆する様子を見せないどころか、眉一つ動かしもしなかった。
「さぁ。いちいち数えてないから分からないわ」
 つまり、すぐに計算できないほどの人数は殺してきたわけか、と、猛は霞の言葉から瞬時に読み取る。
「なるほど。だけどいいのかよ。俺一人相手にグズグズしていたら、先にここから出て行った三人を、みすみす逃すことになっちまうぜ」
「別にいいのよ。今すぐ殺さなくちゃいけないわけでもないし、いずれまたチャンスはあるでしょうから。プログラムが続く限りはね」
 クスクス。クスクス。
 あの不快な笑いがまた辺りに漂う。まるでクラスメート達を殺すことが楽しくて仕方が無いといった、そんな笑いであるように感じた。
「一つ聞かせろ。お前はどうして何人ものクラスメートを、いとも簡単に殺すことが出来るんだ?」
 猛はあくまでも強気な態度を翻すことなく聞いた。だがその間も、血管を伝って全身へと広がっていく薬液によって、身体じゅうあちこちから力が奪い去られていく。猛が演じ続ける強気な態度はもはや、極限にまで高まった緊張の裏返しにすぎない。
「あら、この醜い姿を見ても分からない?」
 霞は「あなた馬鹿?」とでも言うように、首を左斜め三十度ほど傾げてみせる。しかし猛はなんとなくだが、霞の狂気の理由が分かる気がした。
「まさか、二年前の火事が理由で……」
「そのまさかよ。前母校の松乃中で火災が起こったとき、私は運悪く、崩れ落ちてきた校舎の瓦礫の下敷きになってしまい、身動きとれぬまま炎に飲まれ、全身を焼かれる羽目になってしまった」
 霞は話をしながら、階段を一段一段上ってこちらに近づいてくる。もちろん、級友達の血が付着して黒ずんでしまっているナタを握り締めたまま。
「次に意識が戻った時、私は病院のベッドの上に寝かされていた。後に聞いた話によると、意識不明の重体のまま病院に運び込まれた私は、緊急手術を受けてから一週間も眠り続けていたらしいわ。だけど、どうせならもう目を覚まさない方が良かったのかもしれない。鏡に映る自分の姿は、過去の面影を欠片ほども感じさせてくれない化け物そのもの。全身に巻いた包帯を取り替えるたびに、焼け爛れた自分の身体を見なければならないということが、どれほどの苦痛だったか、あなたに分かる?」
 猛の身体がぐらりと揺らいだ。霞の悲惨な話に圧倒されてしまったからではない。どうしたことか、はっきりしていたはずの意識がうっすらと曇り始め、上半身を真っ直ぐ立たせることすらも、容易でなくなっていたのだ。どうやら、麻酔は早くも脳神経をも飲み込み始めているらしい。
「皮膚移植って言葉は聞いたことあるでしょ? 私もこんな目に遭うまで知らなかったんだけど、人間の皮膚って自分のものでないと、手術を施したところで正着しないらしいの。他人の皮膚を移植するケースもあるのだけれど、それはあくまでも重傷者の傷を一時的に塞ぐためだけのもので、持ってほんの二週間ほど。ちなみにこれを『生物学的包帯』とか言うらしいわ。死ぬ前に勉強になったでしょ」
 目の前で霞が話している内容の一部は、頭の中に入ってこない。麻酔によって引き起こされた眠気との戦いに、意識の大半が使われていたからだ。しかしそれを知ってか知らずか、包帯ずくめの白き夜叉はまだまだ話を止めようとはしない。
「とにかく、これを初めて知った時はまたショックだったわ。なにせ全身に火傷を負った私には、移植できる健康な皮膚なんて、どこにも残されていなかったのだから。自分はもう元の姿に戻れないと分かり、それから二年間、果てしなく続く生き地獄に苦しみ続けたわ。そうしているうちに、私の中に宿っていた小さな復讐心が膨張していき、ついに我慢の限界が訪れた。泣き叫ぶ私の声を無視して走り去っていった者たちにも地獄の苦しみを与えてやるために、私は姿形だけではなく、心までも人ならざるものへと変貌させた。そう、復讐のためだけに生きる孤独な鬼にね」
 霞が最後の一段に足をかけた。見開かれた左右の目は既に、至近距離にまで迫った猛の頭に焦点を合わせている。
「苦しみ続けた私の気を知りもしないで、のうのうと生きてきた薄情なクラスメート達を抹殺することなんて、今なら涼しい顔をしたまま成し遂げてやるわ」
 高く振り上げられたナタはすぐに急降下し、確実に猛をめがけて迫ってくる。しかし、こんなところで死ぬわけにはいかない。危険な殺人者が含まれているかもしれないメンバーの三人が、猛不在のまま行動しているという今の状況は、大変危険だからだ。急いでこの場を切り抜けて追いかけなければ、千秋たちの命が危ない。
 猛は今にも消え入りそうな意識を何とか搾り出し、ナタの柄を握る霞の両腕を掴んで、迫り来る刃を寸前のところで受け止めた。これにはさすがに霞も驚きを隠せなかったようだが、それはほんの一瞬のことで、必死の形相を浮かべる猛を見るや否や、鬼の顔に笑みはすぐに舞い戻った。
「へぇ。そんな力がまだ残されていたのね。だけど、この程度で苦しんでいるようでは、とてもこの場を凌ぐことはできないわよ」
 霞はまたクスクスと笑ったかと思いきや、いきなり歯を食いしばり、ナタを握る両手に渾身の力を込めてきた。麻酔のせいで意識が朦朧となっているうえに、痺れが体中に広がっていつもの力が出せない今の猛にとっては、恨み募った霞の重圧は驚異的だった。二人のちょうど真ん中で止まっていた刃は、徐々に猛側に押され始める。
 猛も負けじと応戦しようとするものの、既に麻酔が浸透してしまっている腕は思うとおりに動かず、力はむしろ抜けていってしまう一方。ナタを押し返すどころか、これ以上支え続けることもできやしない。
 だけどあと少し、ほんの数秒でもいいから、身に降りかかる圧力に耐えなければならない。
 刃の先が眼前にまで迫った時、意を決して口を開いた。
「御影……、お前はこれからもクラスメートたちを殺し続けるつもりなのだろうが、これだけは覚えておけ」
 まさに死力という最後の力を振り絞って、正面から襲い掛かってくる重圧との格闘を続ける。
 霞は大切なことを分かっていない。猛が知っている事実を話し、それをきちんと分からせない限りは、絶対に死ぬわけにはいかないのだった。
「間違っても土屋と比田だけは殺すな。あいつらは……」
 この後、最も重要な話が続くはずだった。だけど、猛が全てを言いきるよりも先に、身体の方に限界が訪れてしまった。腕から力が完全に失われてしまうと同時に、ナタは狙い通り猛の頭をめがけて、急降下を再開した。
 遠のいていく意識の中、猛の目に映る霞の顔は笑っていた。

【残り 二十人】
←戻る メニュー 進む→
トップに戻る



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送