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−仮面下の真実(4)−

 猛はただ、最悪な場合を想定して、これから先は常に緊張感を持ち続けるべきだと、注意を促そうとしただけだった。なのに、千秋はそれを理解してはくれないばかりか、挙句の果てには怒りに顔を紅潮させさえする始末。今にも食って掛かってきそうな様子を目の前にしては、さすがの猛も頭の中で展開していた推理を思わず中断させ、絶句せずにはいられなかった。
 姿の見えない危険から逃れることばかりで頭が一杯だった彼は、何故自分の意見を聞き入れてもらえなかったのか、ほんの一瞬の間は理解することができなかった。しかし、冷静になって考えてみれば、千秋が機嫌を損ねるのは当然のことだった。
 猛が「何時でも気を抜いてはいけない」というつもりで言った言葉は、千秋からしてみれば「幼馴染だって信用するな」と言われたも同然なのだから。そりゃあ、藤木亜美たちを殺した犯人の正体が分かっていない今、幼馴染だって疑うべきだという判断は決して間違ってはいないはずだが、真緒の潔白を信じて疑わなかった千秋にとって、それは何よりも許しがたい言葉であったに違いない。
 今さらになって失態に気がついた猛は、後先考えずに話を進めてしまった自分の愚かさを恨まないわけにはいかなかった。
 相手の機嫌を損ねるような無神経な発言など、普段の猛ならこうも迂闊に発すことは無かったはず。しかし、プログラムに巻き込まれて数時間が経過した今、だんだんとそういったミスが目立つようになってきている。どうやら仲間たちの死を目の当たりにしていくうちに、焦りと不安が募ってゆき、それが原因でいつもの冷静さが脇へと追いやられてしまったようだ。
 しかし、もしも今の猛が本来の冷静さを保てていたなら、真緒が犯人である可能性を仄めかすような発言はしなかったかといえば、そういうわけではない。
 ビル内の捜査では、自分達以外の誰かが潜んでいた痕跡など見つからなかった。それによって外部犯の可能性は薄らぎ、逆に、藤木たちを殺した犯人は仲間の内にいるのだという、あえて頭の中から除外していた可能性が、今さらになって濃厚になってきた。そうなってしまった以上、初めから行動を共にしていた千秋以外のメンバー、羽村真緒と湯川利久にだって無防備に背中を向けているわけにはいかない。あくまでも可能性の一つに過ぎないとはいえ、その二人のうちどちらかが、死体を磔や逆さ吊りにしたりした凶漢であるのかもしれないからだ。
 もちろん真緒も利久も、今は表面上にそれらしき様子など全く見せてはいないが、偽善という名の仮面によって、本性を覆い隠しているだけなのかもしれない。そしてプログラムの最中という、最も人の本性が露になり易い環境の下では、仮面を剥ぎ取った殺人鬼が、牙をむき出しにして突然襲い掛かってくるとも限らない。
 そういう危険性を分かっていたからこそ、猛は千秋に注意を促したのだ。偽りの下で不気味に笑う悪の手から、少しでも離れた場所へと遠ざけてやりたかったから。
 考えてみてはっきりした。千秋に対して取った自分の発言には、落ち度など全く見当たらない。正体不明の巨悪から守るためという意味では、これ以上ないほどの模範的な言動だったと断言できる。ただ、春日千秋と羽村真緒の間に結ばれていた絆の太さが、予想を遥かに上回っていたという、計算違いが生じただけのこと。
 確かにそれを予測できなかったということは迂闊だったかもしれないが、それを考慮に入れて言葉をオブラートに包んだところで、真緒が容疑者からはずされない限りは、結局何の解決にも繋がらない。
 こんなとき、あいつらならどうやってこの窮地を切り抜けようとするだろうか。
 両の目では千秋の姿を捉えつつも、頭の中にふと浮かんだのは、猛が最も信頼を抱いているという二人の男、土屋怜二(男子十二番)比田圭吾(男子十七番)だった。
 二人に対して信頼を抱いた理由を話すとなると、今から二年前にまで時を遡らなくてはならない。
 兵庫県立松乃中等学校大火災に巻き込まれた猛は、赤い悪魔の巣窟と化した灼熱地獄の中で、怜二や圭吾と鉢合わせた。
 そのとき既に、三階建ての校舎全体を飲み込んで巨大な怪物へと成長した炎は、猛たちにまでも手を伸ばしてきていたが、三人とも校舎の外へと逃げ出そうとはしなかった。視界を遮るほどの濃密な煙の中、瓦礫の下敷きなって身動きとれずにいた生存者の姿を、偶然にも見つけてしまったからである。
 三人の身体は勝手に動き出していた。猛と圭吾が瓦礫の山を持ち上げている隙に、怜二が生徒の身体を引っ張り出すという陣形が、ごく自然に組まれていた。その後のことはあまり覚えていない。唯一つ断言できることといえば、いくら炎が間近に迫ってきても、三人ともが全く臆すことなく、瓦礫の下敷きになっていた一人の生徒を助け出すために死力を尽くしていたということ。
 自分の身が危険にさらされつつも、他人のためにがむしゃらになれる。そういった一面を見たことがある以上、猛は怜二や圭吾を信頼しないわけにはいかなくなったのである。きっと二人も同じ事を考えているはず。
 そんな彼らの姿を思い浮かべていると、側にいてくれればどれほど心強く思えることだろうかと、考えてやまない。
 しかし、いくら考えたところで、猛の目に映る彼らの虚像は具現化して現れたりはしない。震える手を掴んで止めることができるのは、怜二でも圭吾でもなく、今は自分自身のみなのである。
 そう。彼らがいなくたって、仲間を助けるために先頭に立っている自分はしっかりしなければならない。もう一度皆と真正面から向き合って、じっくりと話し合おう。そしてすべてを冷静に見極めて、真犯人は仲間の内にいるという、単なる「可能性」でしかない考えの真偽を定かにする。そして、罪のない仲間達が疑心暗鬼に満ち溢れた世界の中で迷走しないようにするためにも、先頭に立つ自分が安全なところまで引っ張ってやらなければならない。
 猛は気を持ち直して、そんなことを考えたのだった。
 丁度そのとき、フロアの隅の扉が音を立てて開き、先ほど真緒を追いかけて消えた利久が戻ってきた。

【残り 二十人】
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