062
−杖突きの決断(6)−

 圭子の言っていることがよく分からないといった様子で、男達は「えっ?」と同時に声を上げる。
「なんだ? いったい何を言ってるんだ?」
「そのままの意味よ。今すぐこの場で私を殺してほしい……、それだけのこと……」
 相変わらず圭子の息遣いは荒いまま――いや、時間が経つと共に容態は悪化し、それに伴い呼吸も先ほどよりもさらに酷く乱れているようにも思える。それでも彼女は息を切らしながらも、自分の意志を伝えるために、必死になって意識を保とうとしている。今口から出したばかりの「死にたい」という言葉とは相反しているその様子を見ていると、なぜ圭子は自殺志願者の如き願いを申し出たのか、まったくもって理解できない。
「殺してほしいって、どうしてそんなことを言うんだよ」
 圭子は相変わらず苦しそうな表情を保ちながら、怜二の問いに答える。
「苦しいのよ……。足に突き刺さった矢の毒に体中が侵されていく辛さは、黒河が言ったとおり……尋常なものではなかった。それはもう……、今すぐにでも死んでしまったほうが楽だというくらいに……。だけど、毒はじわじわと苦しみを与えてくるだけで、まだ私の命を奪ってくれそうにはない……。だから、その苦しみから一秒でも早く逃れるために自殺することも考えた。だけど唯一の武器だったバタフライナイフも黒河に取り上げられてしまった今……、私にはもう、自ら死ぬ手段も残されていない……」
 一段と深い呼吸をした圭子。そして、
「だからどうかお願いします……。この耐え難き苦しみから開放するためと思って、私を今すぐ殺してください」
 怜二は言葉を失った。苦しみから逃れるために今すぐ死にたいという圭子の気持ちは分からなくもないが、だからといって「殺して」と言われて、すぐに「はい」と言えるはずがない。プログラム優勝を目論む者ならば話は別かもしれないが、残念ながら怜二にはクラスメートを土俵から地獄へと突き落とす覚悟など微塵もない。
 その場にいる誰もが口を噤んでしまい、一時の静寂が訪れる。一陣の風に吹き乱された草木が擦れ合う、がさがさという音だけがその場を支配していた。
「委員長は、本当にそれを望んでいるんだね」
 静寂を打ち破ったのは、意外にも渉だった。
 倒木に預けていた頭を僅かに上げて、圭子は言った。
「ええ……。それに……このまま黒河の毒によって死んでしまうってのも……癪だしね……」
「分かった」
 渉は地面の上に置かれていた自らのデイパックへと手を伸ばし、ジッパーを開けて中をまさぐり始めた。
「お、おい渉。お前、いったい何をする気だ?」
 渉はデイパックの中に手を突っ込んだまま振り返る。あまりに悲しいことが続きすぎたためか、その目は涙で真っ赤に充血していた。
「委員長の望みどおり、毒の苦しみから解放してあげるんだよ」
 そう言って渉は何かを取り出した。銀色のアルミパッケージと透明フィルムに包まれた真っ白な錠剤が十数錠。
「俺に支給された武器『大東亜安眠三号』。ペントバルビタールとかいう薬品を主成分としたこいつを数錠服用すれば、心地よい眠気にいざなわれるままに、苦しみを伴うことなく死を迎えることができるらしい」
「な、何を言ってるんだ?」
「これを飲ませれば、委員長をもう苦しめることなく安楽死させることができるんだ」
 怜二は自分の耳を疑いすらした。どんな理由があろうとも、他人のことを思いやれるあの優しい渉が、自ら圭子を死に導こうとするなど、とても信じられなかった。
「悪い冗談はよせよ」
「冗談なんかじゃないよ。苦しみから早く解放されたいって、委員長だって言ってたじゃないか」
「だからって、そうも易々と人なんて殺せるもんじゃないだろ」
「怜二!」
 渉の口調が急に強まり、怜二はどきりと胸を高鳴らせた。
「それじゃあ、委員長にまだ苦しみ続けろとでも言うの?」
「そんなつもりはない……、だけど、他にも何か方法はあるかもしれないじゃないか」
「あるならその方法を言ってみてよ」
 渉の言葉に怜二の口はまたしても閉ざされてしまう。
 考えられる唯一の打開策といえば解毒剤を手に入れることだろうが、毒の名前すら分からない状態で、しかもこんな孤島の中で都合よく見つけられるはずがない。しかし、だからと言ってこのまま圭子を死なせることが正しいとも思えない。
 いったい何をどうすればいいんだ。
 頭を抱えたくなるような難題を前に苦悩していると、渉がさらに追い討ちをかけてくる。
「どんな手を施そうとしたところで、委員長はもう助かりはしない。ただ苦しみの時を長引かせてしまうだけ……。もう楽にしてあげようよ」
 苦しみの時を長引かせてしまうだけ――その言葉が怜二の弱りきった心を激しく揺さぶる。
 かつての自分の姿が思い出される。苦しむ一人の生徒を救うために、助けの手を差し伸べようとする土屋怜二の過去の姿が。
「ねぇ怜二。確かに人の命を助けるために頑張ることって大切だと思うよ。だけど、命を助けるために手を尽くそうとしたことが、逆に罪になることだってあると思うんだ」
 渉の言葉が、重い錘となってのしかかってくる。そして、今の状況と過去の記憶がシンクロし、いたたまれない気持ちとなる。
 二年前の大火災のとき、俺達は必死になって、炎に飲まれた一人の生徒を救い出した。だけど、それは本当に正しかったのだろうか? 俺たちが中途半端に命を助けてしまったせいで、そいつは生還後も火災のときに負った深い傷に苦しみ続けることとなってしまった……。分からない。いったい何が正しくて、何が間違っているのか、分からない。
 過去の功績に対する自信が不安定になっていくにつれて、次第に体中から力が抜けていくように感じた。
「私は……武田くんに賛成するよ」
 二人のやり取りに口を挟んできたのは圭子だった。毒の体内巡りがさらに進行しているのか、先ほどよりも明らかに弱っているのが見て取れるが、それでも彼女は一生懸命に声を絞り出そうとしている。
「私……もうとっくに死ぬ覚悟はできていたし……、苦しまずに全てを終えることができるなら……なおさら……」
「委員長……」
 怜二の口からはもう掠れた声しか出てこない。たった十五年という短い人生に幕を閉じることを決意した彼女の健気な姿を見ていると、例えようのないほどの悲しみが込み上げてくる。
「本当に……、覚悟はできてるね?」
 そう言った渉に対して、圭子は間違いなく首を縦に振った。渉はそれを確認すると、薬と共にデイパックから取り出していた水入りのペットボトルの蓋を捻り開け、そして手に持っていたアルミパッケージの中から、白い錠剤を何粒か順に取り出し始める。
「本当に……、いいんだね?」
 これからの自分の行いを恐ろしく思ったのか、渉はもう一度確認する。全身を激しく震わせているのが、後ろから見ていると痛いほどによく分かった。
 圭子はまたも頷いて、そして、自らゆっくりと口を開いた。
 渉は薬を握る手を、圭子の口元へと恐る恐る持っていくが、その手もまた病人の如く大きく震えている。
「委員長」
 怜二が何気なく言ったのと同時に、握り締められていた渉の手が開かれて、数錠の薬が真っ直ぐ落下し、口の中へと入っていった。
 渉は側に置いてあったペットボトルを掴み取り、飲み口を変色した圭子の唇へと優しくあてがう。そしてボトルをゆっくり傾けながら、透明な水を少しずつ口の中へと流し込む。
 怜二はそれを止めさせたいといった衝動に幾度となく駆られそうになったが、なぜか結局何もできないまま、渉の作業をただ見ていることしかできなかった。
 ある程度水が流し込まれたところで、圭子は自ら唇を閉ざし、そして、ごくんと喉を鳴らした。どうやら、口の中に入っていた錠剤は全て飲み込んでしまったようだ。
 これでもう全ては終わってしまった。薬を飲み込んでしまった彼女はじきに意識を失い、そして頭の中に存在した記憶も全てが消去され、二度と戻ってくることはない。とはいっても、即効性の注射剤などと比べ、内服薬は効果が現れるまでに時間を要するため、意識が完全に途切れるまでは数分ほどかかるだろうが。
 怜二は死線を目の前に控えた不憫な姿を、しばらくじっと眺めていた。その間、圭子に何か励ましの言葉をかけてやりたいと思ったりもしたが、上手い言葉を見つけ出すこともできず、結局は沈黙を守り続けることとなってしまった。
 重苦しい空気が場に立ち込める中、時間だけが過ぎ去っていき、終わり瞬間が刻一刻と迫ってくる。
 数分が経過した頃、圭子はしばらく閉ざされたままだった口をゆっくりと動かした。
「ねえ……、武田くん……、それに土屋くん……」
 不思議そうに見る怜二と渉の前で、圭子はか細い声で何か言おうとしながら、なぜかうっすらと微笑んだ。そして、言った。
「ありが……と……う……」
 彼女の身体から力が失われていくのが、目に見えて分かった。荒かったはずの息遣いも、寝息かと思うほどにまでだんだんと弱まっていく。
「い……委員長?」
 虫の息となった圭子に近寄り、何気なく頬を軽く叩いてみた。しかし、意識はもう完全に失われているらしく、反応は全く返ってこない。
 彼女は次第に呼吸を弱めていき、そして、怜二と渉の二人に看取られながら、安らかな表情のまま、静かに息を引き取った。
「畜生! 畜生!」
 握り締めた拳を地面に叩きつけながら、渉は悔しそうに喚きだした。正しいと思ったことを実行しただけとはいえ、クラスメート一人を自らの手で死へと導いてしまったという事実はやはり、渉にかなりの精神的苦痛を与えたようだ。
 もちろん、怜二だってクラスメートを目の前でみすみす死なせてしまったことを悔しく思っていたが、死の手助けをした本人である渉は、もっと比べものにならないほど辛かったであろう。
「なあ、怜二。俺のしたことって、本当に間違ってなかったかな?」
 渉がふいに、両手両足を地に付けたままの状態で、真っ赤に充血した目を怜二に向けた。自分のしたことに今さら自信が持てなくなってしまったのか、助けを求めてすがりつくような、そんな目だった。
 怜二は押し黙ってしまったが、少し考えてから言った。「俺には、人を助けようとすることが罪になるなんてことがあるのかどうかは分からない」と。そして一度大きな深呼吸を挟んでから、こう続けた。
「だけど、少なくとも、今回お前がやったことは、間違ってはいないと思う」
 その言葉は本心なのか、それとも渉の悲しみを少しでも和らげてやるためについた嘘だったのか、自分でもよく分からない。だけど、間違ったことは言っていないと断言できる。二年前の自らの行いの正誤は未だに分からないが、今はそんなことなど関係ない。渉が少しでも元気を取り戻してくれれば、それだけで良かった。
 怜二は渉の肩に優しく手をのせて、自分の身体へと引き寄せる。すると渉は一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐに怜二の腰の辺りに抱きついて、クラブ活動で鍛え抜かれた強健な身体に顔を埋めながら、わんわんと泣き出した。
 もう難しいことは何も考えたくなかった。プログラムも何もかも全てをほったらかして、このまま渉を連れてどこか遠くに行ってしまいたい。
 はっ、俺はこんなときに何を馬鹿げたことを考えているんだ。何処から誰が襲い掛かってくるとも限らない殺し合いゲームの真っ最中なんだぞ。こんな隙だらけな状態、まさに誰かに殺してくれと言ってるようなもんじゃないか。
 怜二は思考を現実へと引き戻せと自分に言い聞かせる。だけど、愛していた人を殺されてしまった上に、さらには自ら人を死に追いやってしまった罪に苦しみ続けている渉のことが可愛そうで、危険を承知していても、突き放すことはできなかった。そのせいで、視界の片隅で数メートル先の茂みが音を立てながら激しく揺れているのにも、気づくのがほんの一瞬遅れてしまった。
 怜二と渉が同時に向けた目線の先には、下半身を茂みに埋めた状態で立ち、目を光らせながらこちらを見ている黒河龍輔の姿があった。
「なにやら人の声がすると思って戻ってきてみれば、まさかネズミが二匹も増えていたとはな」
 黒河はボウガンを持つ右腕を持ち上げ、トリガーにかけていた人差し指を素早く引き絞った。
 弓の先端から勢いよく飛び出した矢は、二人をめがけて猛スピードで宙を走った。


 三上圭子(女子二十一番)――『死亡』

【残り 二十二人】
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