053
−鉄筋魔城の惨劇(13)−

 小部屋の端にあった金属棚の最下段から、思いがけない物体――光輝の死体が転げ出てきた事に仰天し、外部の敵に見つかる危険のことも忘れて、千秋は声を上げてとにかく騒いだ。
 すでに血の気が失せ、死後硬直も始まっている死体を見た衝撃のせいで混乱してしまい、何が起こっているのか冷静に考えられない。それは千秋だけではなく、同じく死体を見てしまった真緒も同様だった。
 だが理性は僅かに残されていた。千秋はひとしきり騒いだ後に何とか正気を取り戻し、さらなる混乱を避けるためにも慌ててはならぬと自分に言い聞かせつつ、状況をしっかりと理解しようとした。
 光輝は胴体からおびただしい量の血を流し出していたようで、どうやら胸の傷が致命傷らしかった。自分は鑑識員でもないので、ここから先は素人の想像に過ぎないが、制服の胸元がすっぱりと裂けている様子から察すると、どうやら刃物で刺されたのではないかと思われる。その死体は丁寧にブルーのビニールシートに包まれて、この部屋にあった棚の最下段奥に隠すように押し込まれていた。
 そこまで整理したとき、頭の中にあったバラバラの破片がくっつき合い、ある一つの考えがまとまった。それは考えた本人ですら信じられないような、驚くべきものだった。
 中身は今まで知らなかったが、シートに包まれたその死体を見たのは、今が初めてではない。少し前に一度見たことがある。それは、由美子の様子を心配して、この小部屋を覗き込んだとき。そのとき千秋は見ている。シートに包まれた光輝の死体を、一生懸命に棚の奥に押し込もうとしていた者の姿を。そして、その人物に支給されていた武器は、たしか肉切り包丁だったはず。
 光輝が本当に刃物で刺殺されたのだとしたら、犯人は――。
 自分の考えを信じることが出来なかった千秋、だが、死体から離した目線を部屋の出入り口へと向けようとしたとき、その空想は確信へと変わることとなった。
 次の瞬間、千秋の目に映ったのは、普段の面影など全く感じられないほどの恐ろしい形相をして、両手にしっかりと握った肉切り包丁を振りかざし、こちらへと向かってくる由美子の姿。
「きゃぁぁぁぁ!」
 真緒が悲鳴を上げた瞬間、由美子が振り下ろした包丁の刃が、壁際に積んであったダンボールの側面に突き刺さった。一瞬早く危機に気づいた千秋が、間一髪のところで襲い来る刃をかわしたのだ。
「由美子、いったいどうしちゃったのさ!」
 何とか相手を落ち着かせれないものかと、千秋は必至に話しかけようとした。しかし、由美子はもう人の言葉を理解することも出来なくなってしまったのか、千秋の声に全く反応も示さず、ダンボールに突き刺さった包丁を引き抜くや否や、再び斬りかかってくる。
 混乱した由美子の動きはそれほど素早くは無かったため、千秋はそれも、ぎりぎりながらなんとか避けることが出来た。ちょうどそのとき、騒ぎを聞きつけたらしく、猛と利久が部屋の前に駆けつけてきた。
「どうした!」
 外から猛の声が聞こえるなり、
「助けて! 由美子がどうかしちゃって!」
 と、千秋は必死になって助けを求めた。当然だ、今や光輝の死体どころでなく、このままでは自分までもが死体になりかねないのだから。
「何があった小島!」
 部屋の中へと踏み込んできた猛が千秋と由美子の間に立ち、荒い呼吸をしながら包丁を構える由美子と対峙する。だが由美子の目の中には猛の姿など入っていないのか、全く相手にする様子もなく、またもや千秋に向かって襲い掛かってくる。
「くそっ、もうやめろ! やめるんだ!」
 包丁を持つ由美子の腕を掴んだ猛はまだ諦めず、人殺しに手を汚すなと説得を試みる。しかし、
「放してぇ、放して! 殺すんだ! 私はここで春日さんを殺すんだ!」
 と、全く止まってくれる様子はない。



「いったいどうしちゃったのさ由美子! お願い、正気に戻って!」
「落ち着くんだ! 今ならまだ間に合う! だからもう止めろ、小島!」
「包丁を放すんだ! 小島!」
「由美子!」
 その場にいる全員が彼女の名を呼ぶ。だが、それらの声に神経を逆撫でされたのか、
「うるさいうるさいうるさーーーい!」
 と由美子は咆哮し、全力を尽くして猛の手を振り解こうと暴れだす。そしてさらには、
「そんなに言うなら、もう皆いっしょに殺してやる!」
 と叫びだす始末。もはや手に負えない状況だ。
 由美子の手をしっかりと掴んで放さない猛と、それを振りほどこうとする由美子。もみあい続けた二人が棚にぶつかり、てっぺんに置かれていた空の一斗缶が、千秋の足元へと落ちてきた。だけど、由美子の変貌ぶりにショックを受けて体が固まってしまっていた千秋は、後ろにたじろぐことも出来なかった。
 手を押さえつけられた由美子が再び吼えた。それに驚いてしまったのか、大きく振られた由美子の腕から、歴然の力の差があるはずだった猛の手が、一瞬だけ引き剥がされてしまった。それがまずかった。
 もはや誰を殺すべきか判断できなくなっていた由美子が握る肉切り包丁の刃は、あろうことか猛の喉元へと向かっていく。さすがに彼もそれには焦ったらしく、向かってくる両腕を必死になって捕らえて、自分へと向く刃から逃れるために、相手の手首を反対方向へと捻り返した。そして、その刃が向かった先には、由美子の喉元があった。
 手首を捻られた由美子の手が持つ包丁はその切っ先で、まるで狙いすましたかのように、我が主の喉元に見事な赤い直線を描く。
 喉を深く切り裂かれた由美子は一度「うっ」と小さくうなり声を上げたが、それ以上は何も言うことも無く、鮮やかな色をした血液を噴出させながら、前のめりになって倒れてしまった。
 血色の悪い光輝の遺体の隣で、鮮やかな色をした血溜まりが広がっていく様子を、全員が信じられないといった目で見ていた。そしてショックあまり、だれも猛に声をかけてやることは出来なかった。
 身を守るためとはいえ、許されがたき殺人という罪に自分の手を汚してしまった猛は、その場に立ち尽くし、
「畜生……殺すしか、殺すしかなかった!」
 たった今自らの手で死に追いやったばかりの少女の姿を見下ろしながら、恐ろしさからか、それとも悲しさからか、とにかく彼は身体を小さく震わせていた。
 精神的に疲れ果ててしまっていた千秋は、いったい何がどうなっているのか、もう考えたくもなかった。


 小島由美子(女子七番)――『死亡』

【残り 二十四人】
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