052
−鉄筋魔城の惨劇(12)−

 猛たちと別れた後、千秋をはじめとする女子三人は五階へと移動し、階段を上っていって以来行方が掴めなくなっている光輝の姿を探し始めた。だが、亜美を殺した殺人者が未だ見つかっていないからか、周りを過剰に警戒してしまい、また、廊下の曲がり角に差し掛かるたびに誰かと鉢合わせるのを恐れたりしているせいで、一度部屋から部屋へと移動するだけでも、無駄に長い時間を消費する羽目となっていた。もちろん、猛たちによって先ほど捜査されたばかりの五階で殺人者と出くわしてしまう可能性は低いだろうと思ってはいたが、その程度では頭の中に根付いていた恐怖感を拭い去る理由にはなり得なかったようだ。
 部屋の前に到着するたびに、先頭を歩いていた千秋がゆっくりと内部を覗き込み、どこかで手に入れたらしい鉄のパイプを握り締めながら、慎重に様子を窺っている。そして誰もいないことを確認すると、後ろにいる二人に合図を送り、また次の部屋へと向かって移動し始める。こんな行動をひたすら繰り返して、ゆっくりながらも確実に、一つ一つの部屋を調べていった。
 一人の仲間を探すにあたっては、とくに抜かりは無いように思える。だが最後尾を歩いていた由美子にとっては、これら一連の行動は全て無意味なものでしかなかった。なぜならば、光輝は五階にはいないと知っていたから。さらに言えば、由美子の手によって胸に深々と刃物を突き立てられた彼は、もう生きてはいないのだから。
「ここにもいないみたい。次、行くよ」
 次から次へと部屋を調べ、確実に捜査を進めていく千秋。幼馴染である真緒にとっては頼もしい存在なのだろうが、由美子にとっては、もはや全く邪魔な存在でしかない。もし今後、杉田光輝の死体が見つかってしまったら、由美子の不審な行動を目撃してしまった彼女の証言によって、犯行の全貌が暴かれてしまうという可能性は十分にある。だから由美子は決めていた。光輝の死体が見つかってしまうよりも先に千秋を殺し、真相解明への糸口となりえるその存在を、底なしの闇の中に葬り去ってやるのだと。
 もちろん、できることならこれ以上の殺人なんて犯したくはない。だが、仲間一人の姿が見当たらなくなった今、メンバーたちのビル捜索は止まりそうになく、死体が見つかってしまうのも、もはや時間の問題かもしれない。躊躇なんてしている暇などないのだ。
 肉切り包丁を握る手に、より一層の力が入る。光輝を刺した際に刃に付着した血は、千秋たちと合流する前に、布切れできれいに拭き取ってあるので、堂々と持ち歩いても問題は無い。
 もう一度血を吸いたいとでも言わんばかりに怪しく光る包丁の刃を、今すぐにでも千秋の背中に突き立ててやりたいと思っていた。だが、第三者の存在に邪魔をされ、それを実行に移すことは出来なかった。第三者とは、千秋と由美子の間を歩く、男みたいなショートカットをした小柄な可愛らしい少女、羽村真緒のことである。
 彼女の目がある以上、迂闊に次なる犯行に及ぶわけにはいかない。千秋を殺すことによって、光輝殺しの疑いがかかる心配がなくなったとしても、千秋を殺す瞬間を別の人物に見られてしまっては、結局身の潔白を主張することはできなくなってしまう。それでは全く意味がない。由美子の目的は、春日千秋という一人の少女を殺すことではなく、あくまでも仲間殺しという大罪を隠蔽することにあるのだから。
 それなら千秋を殺すと同時に、それを目撃していた真緒も一緒に殺してしまえば良いとも考えられるが、お世辞にも身体能力値が高いとは言えない由美子が、二人の人間を素早く葬り去るなど不可能だ。それにもしできたとしても、一緒に行動していた三人のうち二人が死んで、由美子一人だけが助かるなど、あまりにも不自然。結局自分に疑いがかかるのがオチだろう。
 となると、もはや千秋を殺す隙など無いように思える。幼馴染同士である千秋と真緒は片時も離れようとせず、お互いの姿を常に確認し合い続けていたからだ。
 まあ、私だってこれ以上犯行を重ねたいと思っているわけでもないし、死体さえ見つからなければ千秋を殺す必要も無い。ならばとにかく願い続けよう。皆が死体を見つけ出しませんようにと。
 由美子は自分にそう言い聞かせ、緊張のために早まる心拍を、なんとか落ち着かせようと試みた。だが気弱な性格が災いして、落ち着くどころか、むしろ考えれば考えるほど緊張感はさらに高まっていき、額からうっすらと嫌な汗が滲み出るありさまだった。
「ところでさあ、今さらだけど、五階って磐田くんたちがついさっき調べたばかりなんだよね? だったら、この階に杉田くんがいるはずは無いんじゃない? もしいたなら、男子二人のうちどちらかが気づいてるだろうし」
 真緒がふと思い立ったように言った途端、由美子は心の中でまずいと思った。彼女の言葉は正論であるが、千秋がもしそれを鵜呑みにしたら、五階での行動はこれにて終了となり、捜査の手が早くも四階へと及んでしまう。それだけは絶対にまずい。その階には光輝の死体の隠し場所があるのだから。もちろん四階だって早かれ遅かれ調べられることには変わりないのだが、千秋を殺すための少ないチャンスの数が、さらに制限されてしまうのは痛い。
 心臓が張り裂けそうな思いだった。だが真緒の言葉に対して、
「それもまあ一理あるけど、もしかしたら磐田くんたちと入れ違いになってたとか、万が一ということもあるからね。絶対にいないという確信を得られない限りは、初めから順に調べ直すべきだと思う」
 と千秋が返答したので、結局五階での捜査はもうしばらく続くこととなった。このときばかりは、心の中で千秋に感謝しなければならなかったが、何かおかしな気分だった。
 短い列を成して歩く三人は、さらに次から次へと、五階に点在する部屋を順に調べていく。
「急に誰かが飛び出してくるとも限らないと思うと、やっぱりちょっと怖いね」
「そうだね」
「ねぇ、やっぱり二手に分かれるよりも、皆で一塊になって動いた方が安全でよかったんじゃないかな? いくら三人がかりで行動してるといっても、やっぱりちょっと不安」
「どうだろう。犠牲者を出してしまった以上、一刻も早く犯人を探し出したいという磐田くんの気持ちも分からなくはないし。でもかといって、犯人はたいした武器は持ってないだろうっていう考えも、もう建物から出て行ったという考えも、どちらも確実なものではない。はたして二手に分かれるのは正解だったか、間違いだったか、それはあたしには分からない」
 由美子の前を歩く二人は、延々とそんな話を続けている。見えない敵への恐怖感とは尋常なものではないので、二人が不安がるのも無理は無い。事実、何処かから敵が飛び出してくるかもしれないと思うと、由美子だって怖かった。
 そうこうしているうちに、結局何も起こらぬまま、五階にあった全ての部屋の捜査は終了。当然のごとく次に目を向けられるのは四階。
「さあ次は下の階を徹底的に調べるよ」
 そう、由美子にとって問題はここからだった。はたして二人は、光輝の死体の隠し場所に気づかず、うまく通り過ぎてくれるだろうか、それがとても心配だった。
 やたらと足音の反響する階段を忍び足で下った一行は、手前の部屋から順に調べ始める。由美子にとって都合が悪かったのは、死体が隠してある問題の部屋は階段から近く、捜査の手が及ぶまでさほど時間はかからないであろうということ。前を歩く二人は離れそうにないし、もう千秋の口を封じるチャンスは無さそうだ。
 あとは、二人が死体に気づかぬよう、祈るしかない。
「ここにもいない。次の部屋に行こう」
 一番手前の部屋の中をざっと見回した千秋は、すぐさまもう一つ奥の部屋へと歩を進める。そして次の部屋の中を覗いた後、また問題無しの合図をして次の部屋へと移動。
 だんだんと問題の部屋が近づいてくる。そして、由美子の中にある緊張感を表したメーターの針が、だんだんと最高値へと傾いていく。
 大丈夫だ。あらかじめ床にシートを敷いてたおかげで、光輝の血は一滴たりとも床にこぼれはしなかったし、死体はそのシートに包んで棚の奥へと押しやった。一見しただけでは、そこが死体の隠し場所であると気づくはずはない。もちろん部屋内部を綿密に調べられてしまっては一巻の終わりだが、これまでの行動パターンから考えると、千秋が一つの部屋を徹底的に調べるなどありえない。当たり前だ。かくれんぼの最中でもあるまいし、これから調べなければならない部屋も、まだ沢山残されているのだから。そう、何も心配することない。
 由美子は何度も自分に強く言い聞かせ、過剰運動する心臓をなんとか落ち着かせようとした。
「次は、由美子が隠れていた部屋ね」
「ここは違うと思うよ。だってさっき千秋も見たばっかりでしょ」
「その後に入ったとも考えられるでしょ。一応よ、一応」
 ノブを捻るその手で、千秋がゆっくりと扉を押した。
 扉が枠から離れるにつれて、禁断の死体安置所の光景が左右に広がっていく。
 二人がその場から離れるのを、ただじっと待っていることに耐えられなくなった由美子は、千秋の後ろから問題の部屋を覗き込んだ。目の前に再び蘇った犯行の現場。棚の最下段に押し込んだシート包みの死体も見える。
 早く! こんなところで踏みとどまってないで、さっさと次の部屋へと進んでよ!
 これ以上現場に踏み込まれることを思うと、もはや気が気でなかった。死体の存在が気づかれぬよう、ただそれだけを祈り続けた。その甲斐あってだろうか、中に光輝の姿が無いと分かると、千秋はそれ以上調べても無駄だと思ったらしく、「ここも違うね」と言って、素直に扉を閉めようとした。
 由美子は死体を見られなかったことに安堵した。冷えきっていた体じゅうに、急に暖かさがみなぎってゆく。
 助かった。そう思ったときだった。
「待って」
 部屋から離れようとした千秋を呼び止めたのは真緒だった。
「なんか……匂わない? この部屋」
 一度おさまりかけていた由美子の胸の鼓動が、再び大きく高鳴った。
 まさか、血の匂いに気づいた?
 真緒の言葉を聞き、千秋はすぐさま問題の部屋へと身体の向きを返す。
「匂い? ああ、鉄が錆びたような匂いでしょ?」
「違う。これはたぶん……」
 そこまで言い、恐ろしさのあまりか真緒は口を噤んでしまった。不審に思った千秋は立ちすくむ真緒の脇を通って中に入り、狭い部屋の内部を観察し始めた。そのときの千秋の立ち位置と光輝の死体の間の距離は僅か二メートル弱。由美子はもはや冷静でいられるはずが無い。
 ああ、やめて。それ以上この部屋を嗅ぎ回らないで。この部屋が調べられてしまったら、杉田くんの死体が見つかってしまい、同時に私に殺人者の烙印が押されてしまう。そうなるのだけは……そうなるのだけは嫌だ。
 組んだ両手に力を入れて、死体が見つからないようにと、ただひたすら神に祈り続けた。しかし、許されがたき殺人者の願いを神が聞き入れるはずが無かったのか、すぐに最悪の事態が起こってしまった。
「ねぇ、それ……なんだろう?」
 扉の外で怯えつつ真緒が指差したのは、あろうことか、ブルーシート包みの死体。
 千秋は屈んで棚の奥に押し込まれていたそれを見て、
「ん? これってさっき由美子が触ってたやつだよね。なんだろう――」
 ビニールに包まれた、やたらと大きな物体に興味が沸いたらしく、それを棚から引きずり出そうとした。もはや、由美子は耐えることが出来なかった。
「止めて! それに触らないでぇ!」
 死体を引っ張り出そうとする千秋を止めようと、自らの部屋の中へと飛び込んだ。
 由美子の大声に驚いたか、千秋は掴んでいたシートを放してしまい、支えを失った死体は床へと落下。そして、まるでプレゼントの包装紙が開かれるようにして、死体を包んでいたシートの端が大きくめくれ上がり、中身があらわとなってしまった。その瞬間、その場にいた全員の身体が凍りついた。無理も無い。自分達が必死になって探していた仲間が、今こうして思いがけない形で現れたのだから。血の気が失せて白く変色し始めている死体となって。
「す、杉田くん!」
「いやぁ! なにこれ、なにこれぇ!」
 光輝の死体を見て千秋と真緒が騒ぎ始める。だが、一番の絶望感を味わっていたのは、彼女達ではない。
 死体が発見されてしまい、もはや言い逃れが出来ない状況へと追い詰められた由美子の中で、色んなものが音を立てて次々と崩れていった。そして、
「うぇぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 もはや物事を考えるだけの正気は残されておらず、奇声を上げる由美子の体が、肉切り包丁をしっかりと構えた状態で千秋へと勝手に動き出していた。

【残り 二十五人】
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