051
−鉄筋魔城の惨劇(11)−

「由美子の様子どうだった?」
 廊下の端で待ってくれていた真緒が、由美子と別れて部屋を後にしたばかりの千秋に、心配そうに尋ねた。
「まだちょっと震えてるみたいだったけど、さっきよりは落ち着いたみたい」
「よかった」
 千秋の返事を聞いて少し安心したのか、真緒は小さな肩をいつも以上に撫で下ろしていた。
 千秋と真緒が四階まで上ってきた理由、それは言うまでもなく、亜美の死体を見て錯乱し、階段を駆け上がっていってしまった由美子のことを、心配していたからである。
 未だどこかに殺人者が隠れているかもしれないという状況下でありながら、一人でいるのは大変危険だ。だから、怯える由美子を落ち着かせ、一緒にいてあげるべきだ、と、幼馴染同士の二人の意見は見事に一致し、犯人探しをする男子とは別に、由美子の居場所を求めて、ビル内を散策し始めたのだった。もちろん、正体不明の殺人者の存在を思うと、この五階層に分かれた建物の中を歩くことに、多少の恐怖感を覚えないわけにはいかなかったが、どういったわけか、真緒が自分の側にいてくれるだけで、いくらか心強く思えた。長きに渡って培われてきた信頼、これが心境に影響したのであろうか。
 階段を上り四階にたどり着いたとき、廊下の右側にある扉の一つが僅かに開いていることに、二人ともがすぐに気づいた。
 半開きの扉の奥からは、なにやらガサゴソと物音が聞こえる。
 最初、その部屋の中に由美子がいるのだろうと思ったが、すぐにそう決め付けるのは早すぎると考え直して頭を振った。半開きの扉の向こうにいるのは、未だ行方の掴めていない殺人者だという最悪な可能性も否定はできないからだ。
「真緒はそこで待ってて。あたしが覗いてくるから」
 幼馴染を危険な目に合わせたくないという思いから、内部の様子を窺う役を自ら買って出た千秋。そんな彼女のことを心配したのか、真緒は何かを言おうと口を開けたが、千秋がすぐに「真緒は私に何かあったときのために、すぐ誰かに助けを求めれるように構えておいて」と付け加えたので、素直に黙って頷くしかなかった。我ながらさすが、幼馴染の扱いは手馴れたものだ。
 泥土に汚された床を一歩一歩踏みしめて、徐々に扉へとにじり寄っていくと、耳に届く物音は大きくなってゆき、それにつれて千秋の中にあった緊張感も、だんだんと膨らみ始めた。そのため、扉の前に着いてドアノブに手をかけようとしたときは、さすがに躊躇しないわけにはいかなかったが、いつまでもその場に突っ立っているわけにもいかず、勇気を振り絞って扉を奥へと押した。
 必要以上に思いきり開いてしまったせいで、扉からの風に吹かれた埃が一斉に舞い、瞬く間に空間内へと広がっていった。
 埃を吸い込んでしまった千秋は、咳き込みながら部屋の様子を確認した。中は思っていたよりも狭く、窓が一つも無いからか薄暗かった。千秋が開いた扉からの光によって、ようやく部屋全体の様子が見えるようになった、といった感じだ。
 白い金属棚の前で誰かが屈んでいるのが見えて、一瞬どきりと胸が高鳴ったが、すぐに由美子だったと分かり一安心した。
 千秋はすぐさま由美子を気遣う言葉を投げかけた。すると、由美子もきちんと返答してくれた。どこか動揺した返事であったようにも思えたが、それも亜美の死を目にしてしまった後では仕方ないと結論付け、さほど気にはしなかった。そして、その空間内に存在した恐ろしい事実にも気づかなかった。だから、由美子の様子を確認し、一緒にいようと提案した後、それ以上中に踏み込むことなく真緒の元へと戻ってしまった。そして現在に至るのだが、これが後々に訪れる事態の原因となろうとは、このときの千秋に分かるはずがなかった。
 部屋を後にした千秋は、待機してくれていた真緒と合流し、階段の側で由美子が出てくるのを待つことにした。
 自分達が出す物音以外には何も聞こえないという静けさが、少々不気味だったが、やはり真緒が側にいてくれると安心できた。
「なんだか、また降り出しそうだね」
 突然真緒が窓の外へと目を向けて、少し不安そうに言った。
 千秋も彼女の視線を追うように空を見上る。すると、どこかからやってきた巨大な雲が陽光を遮り、青かった空をグレーに塗り替えようとしているのに、初めて気がついた。たしかに先ほどから視界が暗くなってきたような気はしていたが、亜美の死体を目にして気分が沈んでしまったために起こった錯覚だと思い込んでいた。それがまさか、本当に曇り始めていたとは。
 妙な胸騒ぎを覚えた千秋は、不気味な雨雲が自分達のいるビル上空へと押し迫ってくる様子を見て、これから起こる何かの予兆であるような、そんな気がしてならなかった。
 階段の側で待っていると、由美子が部屋から出てくるよりも先に、猛と利久が五階から降りてきた。どうやら後から追いかけていった利久が猛に追いつき、二人一緒に建物内を捜査していたようだ。
 猛の表情から緊張感はまだ抜けておらず、どこか消化不良そうな様子からして、犯人の姿を見つけることはできなかったらしいと容易に想像することができた。だが一応、念のためとして聞いてみる。
「どう、誰かいた?」
 すると猛は不満そうに一言、「いや」とだけ返してきた。案の定だ。
「それじゃあもう、犯人は外に出て行ってしまった、ってことかな?」
「一応、人が隠れられそうな場所は順に全て見て回ったけど、誰の姿も見つからなかったわけだし、もしかしたらそうなのかもしれない」
 何やら深く考えて押し黙ってしまっている猛の代わりに、利久が真緒の言葉を聞いて、自分なりの答えを丁寧に返した。そのとき猛が「あるいは――」と呟いていたが、声があまりに小さかったせいか、どうやらそれに気づいたのは千秋だけらしかった。
「ということは由美子がいた部屋も調べたの?」
「いいや、あの部屋の前を通りかかったときに、彼女のすすり泣き声が聞こえたから、まさか殺人犯と一緒にいるはずはないと思って、そこだけは調べなかったんだ」
 真緒と利久がそんな会話を続けている脇で、千秋はふとあることに気がついた。
「あれっ、そういえば杉田くんは一緒にいなかったの?」
 猛や利久に遅れて階段を上っていった光輝は、もちろん男子二人と合流して、建物内を捜査しているのかと思っていたが、どうしたことか、この場に彼の姿はない。千秋が妙だと思うのは当然のことであったといえよう。
「えっ? むしろ杉田は春日さんたちと一緒にいるんだとばかり思ってたけど、そうじゃなかったの?」
 驚いた様子で利久がそう答えた途端、全員の表情が一瞬にして凍りついた。
 誰とも一緒に行動していなかったばかりか、階段を上っていったきり、光輝の姿は誰にも見られていない。その事実を今ようやく知ったメンバーたちの頭の中で、何やら不吉な予感が走ったのだった。背筋が凍るような思いとは、まさにこのことだ。
 ちょうどそんなとき、千秋たちの背後の扉がゆっくりと開き、中から一人の少女が歩み出てきた。由美子だ。
「あ、由美子。大丈夫?」
 顔面蒼白で、いまいち気分が優れない様子の少女を気遣い、真緒がやさしく問いかけた。それに対して由美子は声も発さずに、ただ小さく頷いて返す。気のせいだろうか、先ほど千秋が小部屋の中を覗いたときとは、少し様子が違っているように思える。何かあったのだろうか。
 千秋は由美子の様子を見て少し心配していたが、次に発せられた猛の一声によって、頭の中の思想は全て、光輝に関するものへと塗り替えられることとなった。
「仕方がない。犯人探しは中断して、杉田と一度合流しよう。殺人者を見つけられなかった以上、一人放っておくのはあまりに危険だ」
 当然のごとく、その意見に反対する者はいなかった。このビル内部で単独行動をとることの危険さを、全員が痛いほどに承知していたからだ。
「それじゃあ男女別に二グループに分かれて探すとしよう。俺達に見つからぬように潜んでいるかもしれない殺人者とは違い、仲間である杉田を見つけるのはたやすいはずだ」
 たしかに、たとえばビル全体に聞こえる声で名を呼んだりすれば、きっと彼もそれに応答てくれるであろうし、探し出すのは難しくないはず。もっとも、外部の敵に見つからないようにするため、大きな声は出せないのだが。
「春日、羽村、小島、の三人は、上の階から順番に見てまわってくれ。俺と湯川は一階から調べ始める」
「わかった」
「油断はするなよ。何度も言うが、もしも身に危険が迫ったときは、ためらわず俺たちを呼べ。もはや外部からの敵だけにびくびくしている場合でもなくなってしまったからな」
 そこまで言って、猛は利久を引き連れて、階段を下りていこうとした。だが、千秋がそれを呼び止める。
「ちょっと待って」
 背後から首根っこを掴まれたかのように、千秋に呼び止められた猛は階段の中腹で立ち止まり、身体は前に向けたまま頭だけを振り向かせた。
「さっき亜美の死体を見たとき、磐田くん言ってたよね。『同じだ』って。あの言葉はいったいどういう意味だったの?」
 すると猛は少しの間黙り込み、何かを深く考えるような素振りを見せた。だがすぐに千秋の目を見据えて、
「今はそれよりも先にやらねばならないことがある。悪いが、その話はあとで時間のあるときにじっくりとしよう」
 と言い、再び階段を下り始めてしまった。
 歯切れの悪い返答しかもらえず、結局何も分からないままその場に取り残されてしまった千秋は、奥歯に物が挟まったような気分の悪さを少し感じた。

【残り 二十五人】
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