005
−第二の地獄へ(5)−

 思いもよらぬ人物の登場に、梅林中三年六組の一同は皆驚きの表情を隠すことができなかった。それはそうだろう。事件発生後の二年間、一度も学校に姿を現さなかった一人の女生徒が変わり果てた姿となり、突如こんな形で目の前に現れたというのに平然としていられるはずがない。
「それでは御影さんは一番右後ろの空席にお座りくださぁい」
 田中の言葉に返答することなく、霞は無言のまま教室の最後尾へと歩み始めた。
 言葉一つ発することもできず、ただその場でじっと座っていることしかできない生徒達の列の間を、悠々と通り過ぎていく彼女。
 千秋は無意識のうちに視線を霞へと合わせていた。すると相手は自分へと向いているその視線に気づいたらしく、通り過ぎざまにこちらへと顔を向け、そしてうっすらと微笑んでいた。
 背筋が凍るような感覚を覚えた。
 霞がこちらへと見せたあの微笑みには、何か正体不明の冷たい感情が込められていたようだった。
「くぉらっ!」
 霞が席に着いたころ、突如田中が怒号の声をあげた。そして上等そうな自らのスーツのポケット中から何かを取り出し、そして生徒たちの方へと向けた。それを見て、千秋はつい目を見開いてしまった。なぜならば、田中がポケットから取り出したものとは、怪しく黒光りする拳銃だったからだ。
 そしてその銃口は、クラス内でももっともおとなしい部類に入る女生徒、
叶昌子(女子四番)の方へと向いていた。
 田中の指が引き金を絞った瞬間、昌子の足元の床に穴が開いた。
「授業中は先生の話に集中するなんてこと常識だろぉ! 次にまた同じこと繰り返したら、先生本当に怒っちゃうからなぁ!」
 そう言いながら、田中は銃口を昌子の額へと向けて見せた。
 溢れ出して止まらない涙を流し続けている昌子は、一連の出来事にすっかり怯えてしまったらしく、「ひっ」と声をあげながら携帯電話を取り落とした。誰かに助けを求めようとメールを送信しようとしていたらしい。
 おそらく田中は話している最中に、昌子が隠れてメールを打っているのに気づいて激怒したのだろう。
 それにしてもこの男、既に三年六組の担任気分でいるようだ。だがこんな男が自分達のクラスの担任になるくらいなら、学校なんて来ないほうがマシだ。
 千秋は田中に聞こえぬよう、心の中で毒づく。
「はい、とにかくこれにて駒が揃いましたぁ。ここに集まった梅林中三年六組のウンコちゃんたち、この四十五人のメンバーで制限時間三日間の間に最後の一人になるまで殺し合ってもらいまぁす。もちろん例外などありませぇん。皆さんの家族の方々にも既に連絡を入れてありますので、安心して戦ってくださぁい」
 先ほどの怒りはどこへ行ったやら、田中の声のトーンはすぐに元に戻っていた。
「あのー……」
 田中の言葉が切れるタイミングを見計らって、
鳴瀬学(男子十四番)が割り込んできた。
「う、うちの親にも連絡したんでしょうか?」
 学は過保護な家庭で育ったためか、より両親のことを気にしている様子だった。
「ええ、もちろん、例外なく全てのご両親に連絡させていただきましたよ。たしかあなたは男子十四番の鳴瀬学君でしたよね。よっぽどあなたのことを溺愛していたのか、息子さんがプログラムに参加するということについて、父母共になかなか納得してくれませんでしたが、これを突きつけた途端、涙ぐみながらも首を縦に振ってくれましたよぉ」
 田中はまだ握ったままだった拳銃を指差した。
 学は「そんな……」とうなだれながら座席へと崩れ落ちた。信じていた両親が、息子の命よりも自分の命を優先したと知り、ショックだったのだろう。
 そんな様子を見ているうちに、千秋の中である不安が膨らみつつあった。千秋の父親についてだ。
 母を亡くしてからたった一人で娘の成長を見守り続けてくれたというあの父は、娘がプログラムに参加することになったと告げられ、どのように思ったのだろうか。
 聞かずにはいられなかった。
「はいそこ、春日千秋さん」
 田中は既に生徒全員の顔と名前を完璧に覚えているらしく、手を上げた千秋の名を正確に呼んだ。
「……似た質問になってしまいますけど、あたしのお父さんは……なんと言っていましたか? 教えてください」
 心拍が急速に上昇しているのが胸に触れずとも分かった。そんな千秋を心配そうな目で見ている真緒の視線を肌に感じた。
 田中はしばらく黙って千秋の顔を見つめた後、ふぅとため息をついて話し始めた。
「春日さん、あなたは確か『松乃屋』とかいう食堂の娘さんでしたよねぇ。覚えてますよ、あなたのお父さんのことは鮮明に。でも……」
 田中はわざとらしくニヤリと笑んで見せた。
「私が殺しちゃいましたぁ。いくら説明してもぉ、あるいは脅しても納得してくださらなかったのでぇ、イライラしてたら引き金にあてていた指につい力が入っちゃってぇ、あなたのお父さんの頭に向けてズドンってぇ」
 千秋の頭の中で何かがガラス細工のようにガラガラと音を立てて崩れ落ちた。
 良いことをしたとき、父は頭をなでて褒めてくれた。悪いことをしてしまったときは、千秋が泣き出すほどに怒ってくれた。千秋が料理に失敗してしまったときは慰めてくれた。そして、愛する娘の成長を誰よりも喜んでくれた。
 生まれてから十五年間もの時をかけて培ってきた、父の姿を映し出したメモリーが次々と消えていく。
「いやね、あなたのお父さんは大した者でしたよ。こめかみに銃口を当てられても動じることもなく、あなたがプログラムに参加するということにいつまでも反対していましたからねぇ。こんなことも叫んでましたよ。『お前達なんかに我が愛娘を渡してたまるか』ってねぇ」
 千秋はもはや限界だった。力の限り握り締めた手からは血がにじみ出し、今にも田中へと飛び掛ってしまいそうだった。しかし、千秋よりも先に田中へと向かっていった生徒がいた。親友の智香だった。
 智香は怒りに打ち震える千秋の側を走りぬけ、教卓の後ろに立つ田中へと飛びつき、両の手でそのむなぐらを掴んだ。
「……どういうことかなぁ? 女子一番、相沢智香さん」
 臆する様子もなく、田中は智香の目を見てそう言った。
 智香は叫ぶ。
「許さない! あんた千秋の気持ちも知らないで、よくも、よくもそんなことを! 小さい頃にお母さんを亡くしたあの子にとって、お父さんはこの世の中で一番大切な存在だったのよ! それをあんたはなんてことを……! 絶対に、絶対に許さない!」
 睨み付けながら相手の襟首を引き締めていく智香。しかしそれでも田中の表情は変わらない。いや、むしろ快楽に満ち溢れていくようにも見えた。
「はぁーそれは春日さんには可哀想なことをしてしまいましたねぇ。先生謝ります。しかしだねぇ相沢さん、これはこの国の決まりであって、先生は決して間違ったことはしてないですよぉ。
 それよりも先生は相沢さんの態度が気になりますねぇ。私はこれでも政府内でも結構上の方の立場の人間なんですよぉ。相沢さんみたいなウンコちゃんが首を絞めてもいいような人間じゃあないんです。政府にたてついたらどうなるか、ウンコちゃんでもこれぐらいは分かってますよねぇ?」
 田中の顔は笑顔だったが、目には殺気がみなぎっていた。それに気づいた千秋は親友の危機を感じた。田中の言葉を聞いても襟首を掴んだ手の力を緩めようとはしない智香に向けて叫ぶ。
「もういいよ智香! 大丈夫だから! あたしは大丈夫だから! だから智香もあたしなんかのために危険を犯したりなんかしないで!」
「千秋……」
 その声が耳に届いたらしく、智香は田中の襟首からようやく手を離した。涙を流しながらも親友を説得しようとする千秋の姿に心を撃たれたのだろう。
 智香の手が離れた途端、田中の目から殺意が消えた。
「良い友達を持ちましたねぇ相沢さん。さあ席に戻りなさぁい」
 田中に背中を押された智香は、ゆっくりと席へと戻る。途中で一度振り返って田中を睨み、そして元の席に座った。
 それを確認した千秋は少し安心した。あのまま智香の暴走が止まらなければ、あの男は間違いなくポケットの中の銃で智香を撃っていただろう。父の死に、他人である智香が怒ってくれたのは嬉しかったが、そのまま親友にまで死なれてしまったら、千秋の悲しみがどれだけ深いものになってしまうのか計り知れない。
「では、ちょっとしたハプニングがありましたが話を続けさせていただきまぁす」
 乱れたワイシャツの襟を整え直し、田中は生徒達全員を一望した。
 千秋はこの男が憎らしかった。父を殺し、さらには親友をもその手にかけようとしたというのに、まるで何事もなかったかのように平然とした態度での振舞いを目にしていると、今度は自分が飛び出してしまいそうになる。しかし自分達は囚われの身。ここで逆らうなど許されない。もしも逆らうならば命はないものと考えなければならないのだ。
 軽々とした語りを展開する田中を睨みつける。これが唯一できる抵抗だった。
 そんなときだった。緊迫した教室内の中、突如携帯電話のコール音が鳴り響く。
「おやっ、こんなときに誰かからメールが来たようですねぇ。皆さんちょっと待っててください」
 そう言い田中はポケットの中をまさぐる。どうやら鳴っていたのは彼の携帯だったらしい。
 彼はポケットから真っ黒な携帯電話を取り出すと、折り畳まれていた本体を開き、ディスプレイを眺めた。そして笑った。
「いやいや驚きました。いったい誰からのメールかと思いきや、相沢さんからじゃぁないですか」
 途端、教室内の皆の視線が智香へと集まる。その視線のど真ん中で、智香は訳が分からぬといった表情を浮かべていた。
「それではせっかく皆さんがいることですし、文面を読み上げてみましょうかねぇ。なになに……。『お父さん助けて。私、田中とかいうクソジジイに捕まっちゃって帰れない。死にたくない。助けに来て』。ははぁ、どうやら相沢さんは自分のお父さんにメールを送ったつもりらしいですねぇ。でもごめんなさいね。先生うっかりしてて説明するのを忘れてましたよぉ。プログラム会場内では携帯電話は使用不可となってて、外の誰かと連絡を取ろうとしても先生の携帯に繋がっちゃうんだってことを」
 男の言葉を聞き智香は唖然としていた。
「それにしても、先生の目を盗んでよくメール転送ができましたねぇ。一応皆さんが不審な動きをしないかどうか、常にチェックしていたつもりだったんですがねぇ」
 千秋には思い当たることがあった。智香には事あるごとにメールを転送するという癖があり、膨大な量の文字を打ち込んでいるうちに手元を見ずともメールを打てるようになった。この世にも珍しい携帯電話のブラインドタッチは、ポケットの中に手を突っ込みながら行うことも可能。
 おそらく智香は今回もそうやって田中に見つからないようにメールを送信したのであろう。
「しかし、先生まさか相沢さんみたいな若い女の子からメールが届くなんて思ってもいませんでしたよ。本当に嬉しいです。でも、この『クソジジイ』の表記にはちょっとムカッとしますねぇ。一度目の失礼には目を瞑りましたが、二度目は我慢ができませぇん。仕方がないので、先生今から相沢さんに怒りの返信をしまぁす」
 そういうと田中は胸ポケットから何かを取り出した。それは携帯電話ではなく、テレビのリモコンのようなものだった。
「それじゃあ相沢さんに電波を送りまぁす」
 田中はリモコンらしき物を智香へと向け、そしてそのスイッチを押した。すると突如教室内にピッピッと電子音が鳴り響く。
 音の発信源がどこなのか一瞬分からなかったが、それもすぐ皆の知るところとなった。
 智香の首に巻きついていた金属の輪が音を鳴らしながら、赤いランプを点滅させていた。

【残り 四十五人】
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