048
−鉄筋魔城の惨劇(8)−

 ビル内部にいるメンバーたちが、姿無き殺人犯を追い、建物全体の捜索を開始したその頃、小島由美子は四階の、とある空間内にて隠れるように縮こまっていた。
 由美子がいる空間とは、廃ビル内に数多く存在する部屋の中でも、特に狭い場所であった。おそらく、このビルが使われていた当時は、物置か何かに使われていたのだと思われる。それを証明するかのように、空間内部には白い塗装の施された金属製の棚がいくつか放置されたままとなっており、僅かに物置き場らしき名残を残している。もちろん、棚の上に物はほとんど残されていなかったが。
 由美子にはある癖があった。それは、精神的に大きなショックを受けた際、誰もいない空間に一人っきりで閉じ篭ってしまうというもの。氷室歩が坂本達郎に銃殺されたのを知った後、しばらく三階の一室に閉じ篭ってしまった理由も、まさにそれだった。そして今、精神に更なる衝撃を受けた彼女は、一人きりになりたい、という思いのみに、再び突き動かされていた。
 由美子は空になった棚の骨組に、もたれるようにして座り込み、両膝を抱えながら、カタカタと震え続けていた。もちろん、寒くて震えているわけではない。極端な怖がりである由美子は、怯える自分をこれまで励まし続けてくれた仲間が、あまりに無残な最期を遂げてしまっているのを見てしまったために、高まる恐怖感を、もはや制御することが出来なくなっていた。
 見なけりゃよかった……。あんなことになっていると分かっていたなら、ずっと部屋から出はしなかったのに……。
 真緒の悲痛な呼び声を耳にして、何事かと一階の様子を見に行ってしまったことを、今さらながら後悔した。
 一度恐怖に怯えてしまったら最期、不安定になった彼女の精神は、簡単に立て直すことはできない。
 それは、二年前に松乃中大火災に巻き込まれたときも同じだった。
 当時、由美子は頼れる友人達に引かれるように避難したためか、幸運にも怪我一つ負うことなく、燃え盛る校舎の中から脱出することが出来た。だが後になって、何人もの級友が、火災によって命を落としていたことを知った彼女は、必要以上に怯えてしまい、しばらく部屋に閉じ篭ったまま一歩も外に出てこなくなってしまった。いわゆる、引き篭もりという状態だった。
 事件からおよそ一ヵ月後、被災者である元松乃中生達が梅林中へと通うようになってからも、それはなかなか改善されなかった。
 学校へと通うことすらあまり無かったし、珍しく通学した日でも、すぐに保健室へと駆け込んでしまう毎日。
 そんな様子を見て心配した級友達は、よく由美子の元を訪れては励ましてくれた。一度や二度の励ましでは、由美子もなかなか元気を取り戻さなかったが、それでも友人達は諦めず、毎日のように励ましに来てくれた。その甲斐あってだろうか、徐々にではあったが、由美子は元気を取り戻していき、学校へもきちんと通えるようになっていった。そして、保健室へと駆け込む回数も、だんだんと少なくなっていった。
 由美子は、自分が元気を取り戻すきっかけを作ってくれた級友達を、心からとても感謝していた。だからこそ、その級友の一人であった亜美が、これ以上ないほどの無残な死を遂げているのを見たことによって、彼女が受けた精神的ダメージは、絶大なるものとなったのだった。
 そして今、大ダメージを受けた彼女の精神は、まさしく二年前に被災した直後に逆戻りした状態。人目から逃れ、誰もいない空間へと閉じこもってしまうのも、まさしく以前の引き篭もり癖が再発したのだと考えてよいだろう。
 嫌だ、嫌だ、嫌だ! 私はこんなところで死にたくない!
 細い両腕で力の限り、自身の両足を抱き締めて、死にたくないという思いを、何度も何度も頭の中で復唱する。
 このときの由美子は、今の状況について冷静に思考を巡らせることすら出来ないほど、パニックに陥っている状態だった。だから彼女は、犯人はどうやって侵入してきたのか、あるいは前々から建物内部に潜んでいたのか、などといったことを冷静に考えることもできず、正体不明の犯人が付近にいるかもしれないということに、ただただ怯えているばかり。
 もしも、もしも亜美を殺した犯人が、今度は私に牙を向けてきたら、どうすればいい?
 そんなことを考えた時、床についていた手の指先が、なにやら固く冷たい物に触れた。震えるせいで思うようにコントロールできない手をぎこちなく動かして、しっかりとそれを掴み、確認するように目の前にもってくる。かすかに差し込む光を受けて、切っ先を怪しく光らせていたそれは、由美子の支給武器、肉切り包丁だった。そう、これは自分の身に危険が迫ったとき、生命を守ってくれる唯一の存在だ。
 由美子は肉切り包丁の柄を、ぐっ、と握り締めた。
 そうだ。もしも誰かが私を殺しに来たならば、こちらも黙ってやられるわけにはいかない。人を傷つけるということの罪深さは分かっているけど、そんなことを考えている場合ではない。やらねば、こっちがやられてしまうのだから。
 自分のことを極端な臆病者であると分かっている由美子は、万が一のことが起こったとき、恐れおののいてしまわぬよう、何度も自分にそう言い聞かせ続けた。
 しかし彼女はまだ気づいてはいなかった。自分が潜む空間から壁一枚を隔てた場所に、既に何者かが近づいていたということに。

【残り 二十六人】
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