044
−鉄筋魔城の惨劇(4)−

 遥かなる広がりを見せる外の景色を見ていると、窓から身を乗り出せば、何処まででも飛んでいけそうな気がした。だけど、それは単なる気のせいに過ぎず、実際にはそうはいかない。
 今の私は、籠の中に放り込まれた鳥と同じ。柵の外に出たいと思っても、自力で飛び出すことは出来ない。この首に巻きついた忌々しき金属のリングのせいで。
 藤木亜美は、窓の外の景色を眺めながら、深いため息をついた。
 彼女は現在、ビルの周りを監視するという役割に就いている。猛曰く、ビル周辺に誰かが近づいてきたとしても、それにいち早く気づきさえすれば、なんとでも対策をとることが出来るとのこと。たしかに、近づいてきたのが敵だったとしても、その接近に早く気づけば、それだけ逃げるための準備時間を作ることも出来るだろう。だけど、いつまでもこうやって延命措置ともとれる行為を続けていたところで、状況が好転しはしない。
 三日という定められた制限時間は刻々と迫る。そう、私に残された時間はもう三日も残されていない。このまま島から出ることができなければ、まだたったの十五年しか続いていない短い人生に、もうじき幕が下ろされてしまうのだ。
 それだけは絶対に嫌だ。残されたほんの僅かな時間が尽きるまでに、絶対にこの島から抜け出す方法を見つけてやる。
 亜美は全ての脳神経を集中させて考えた。だけど、思考能力の乏しい彼女がいくら頭を捻ったところで、良い方法が思いつくわけが無い。当たり前だ。亜美程度の頭で良案が考え付くなら、過去五十年以上に渡る共和国戦闘実験の歴史の中、参加生徒のうち何人もが会場から脱出し、今や収拾がつかなくなっていることだろう。だが、実際はそんな前例など、かの有名な一九九七年の沖木島脱走事件くらいしか聞いたことが無い。
 一年に五十クラスが選出されるプログラム、その半世紀の歴史の中で、脱走の前例はたったの一つだけ。あまりにも低い確率だ。それだけ、プログラムからの脱出は難しいということだ。
 となると、やはり残された生存方法は、たった一つに絞られてしまう。それは、プログラムのルールに従い、他の生徒を踏みつけにしてでも、最後の一人になるまで生き残るということ。
 だが、まだ正気を保てていた亜美は、それだけは選んではならぬと自身に言い聞かせた。
 もしもその禁断の決断を下してしまうなら、これまでに自分がしてきたこと全ては、いったい何だったというのだ。

 今やクラスの女子の中でも、一位二位を争うほどの明るい存在となっている藤木亜美だが、その元気良い性格は持って生まれたものではない。もともとは今ほど目立つ存在ではなかった彼女が、ここたった二年の間に、苦労と努力を重ね続けた結果、ようやく現在の形にまで育て上げた結晶なのである。
 二年前の大惨事、兵庫県立松乃中等学校大火災は、大勢の命を奪うとともに、生還した数多くの生徒達の精神にまで、深い傷跡を刻み付けた。
 事件発生後、生還者達が梅林中に移されてからも、しばらくの間、松乃中大火災被災者特別クラスは精神的に弱りきった者たちで溢れかえっていた。
 友人の死に悲しむ者。いつまでも消え去らぬ恐怖に怯え続ける者。何もかもが嫌になって自暴自棄になってしまった者。亜美はクラスメートたちの、そういった元気を無くした姿を見ていることが、何よりもつらかった。
 そこで亜美は考えた。背中に背負った過去の悲しみ全てを忘れ去り、心の影を照らし出すほどに明るく努めることで、私が皆に元気を与えようではないか、と。
 それ以来、彼女はどんな悲しみを抱えたとしても、いつも元気と笑顔を絶やさぬよう振る舞い続けた。無理やりに作り出す笑顔に、時には嫌気がさすということももちろんあった。だが友人達のためだと自分自身に言い聞かし続けることで、いつしかそれが彼女の本来の性格と入れ替わり、もはや苦も無く、いつでもその態度を引き出せるまでになっていた。そして亜美の努力が功を制したか、皆も徐々にではあったが、もとの元気を取り戻していった。
 亜美は元気を取り戻していく級友達を見ていることが、なによりも嬉しかった。そして、このまま何も起こらなければ、全ては問題なく大団円へと向かっていくはずだった。だが、誰もが予想だにしなかったさらなる不幸は、容赦なく襲い掛かってきた。三年六組の面々が、プログラムに選ばれてしまったのだ。

 どんなに悲しいことが起ころうとも、皆を元気付けるために明るく努めてきた私だけど、級友達が死に続けていくなか、今後も笑顔でいることが出来るだろうか。答えは否だ。いくら皆を元気付けるためにと、明るく振る舞い続けてきた私であっても、もはや笑ってなんかいられない。それほどに、今回与えられた絶望は、あまりにも強大なものだった。
 憎々しかった。失われた幸福を我が手中に取り戻すために、悲しみに満ちた過去に背を向けて走り出していた生徒達に、まるであざ笑うかのように降りかかってきた災いが。
 気がつけば、亜美の目元からあふれ出した涙が、光り輝く筋を描いていた。
 もはや、私がいくら頑張って明るく振る舞ったとしても、皆に元気を与えることはできない。それが何よりも悲しかった。
 だがいつまでも泣いてはいられなかった。亜美はブレザーの裾で目元を拭い、流した涙の痕跡を急いで消した。背後に誰かが立っている気配を感じたからだ。
 亜美は背後に立っている人物へと振り返った。本当ならば手鏡を覗いて、涙の痕跡がきちんと消えたかどうかを確認したかったが、そんなことをする隙など見当たらなかったので仕方が無い。
 背後に立っていた人物の顔は、亜美もよく知っていた。当たり前だ。相手は一年の頃から同じ教室で机を並べた仲なのだ。顔を知らないはずが無い。
「どうしたの? 何か用でもあるの?」
 亜美は聞いた。だが相手は僅かに微笑んで見せるばかりで、質問には一向に答える様子は無い。
 相手の様子が少しおかしいように思えた亜美は、もしかして、泣いていたところを見られただろうか、と少し心配になった。だがその心配も、すぐに恐怖によってかき消されることとなった。微笑みを見せていた相手の顔が、一瞬にして恐ろしき形相にすり変わり、渾身の力が込められた両腕が伸びてきて、亜美の首をいきなり掴んできたのだ。
 亜美は一瞬冗談かと思ったが、すぐにそうではないと確信した。相手の手は力を弱めるどころか、むしろより一層の力を込めて、亜美の首元を容赦なく締め付けてきたからだ。
 苦しい。圧力で喉を潰されるのが先か、呼吸困難で意識が闇に埋もれてしまうのが先かは分からないが、いずれにしろ、生命の危機であるのは確かだ。
 まさか、私このまま殺される……?
 そんな考えが頭をよぎった途端、亜美の頭の中が恐怖によって満たされた。
 すぐさま大声で助けを求めようとした。しかし、誰かに助けを求めようとするも、吐き出そうとした声は、締められた首元で止まってしまい、必死に絞り出した微かな声も、とても誰かに聞こえるようなものではなかった。
 薄れゆく意識を感知した脳が、けたたましく非常ベルを鳴らしている。しかし目の前の人物は手の力を緩めてはくれない。
 意識はさらに収縮し、視界もだんだんと狭まっていく。しかし、そんな狭い視界の中で、相手がニタリと笑んでいるのが見えた。まるで人を殺すのを楽しんでいるかのような、そんな気味の悪い笑い方だった。
 だめだ……、もう意識がもたない……。
 亜美は必死に持ち上げていた瞼の力を抜き、ゆっくりと視界を閉ざそうとした。その瞬間、相手が不気味な笑みを浮かべた顔を近づけてきて、耳元でなにやら囁いた。その言葉を聞いた瞬間、閉じられかけた亜美の目が、驚きのあまりか大きく開き、血走った眼球が空気中に再び姿を現した。

 亜美は意識が完全に閉ざされる直前、確かにこんな言葉を聞いた。
「心配スルナ。コノ建物ハ、モウジキニ全滅スル」

【残り 二十七人】
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