043
−鉄筋魔城の惨劇(3)−

 氷室歩が坂本達郎によって殺されるという一件が起こって以来、廃ビル内には、ビンの底に沈殿したような重い空気が立ち込めていた。持ち場に戻ろうとする際のそれぞれの顔色も、どこか優れないものばかりだったように思える。特に怯えた様子を見せていた小島由美子のみならず、その場にいた全員が、なかなか気持ちを切り替えれないといった様子だ。
 その場で監視をし続ける湯川利久を残し、他のメンバーは連れ立ってフロアを後にする。
 もともと外部の監視をし続けていた、杉田光輝と藤木亜美は、それぞれの持ち場へと戻っていった。だが、いまいち気分が優れない様子の由美子には、外の監視をさせ続けるわけにもいかなかったので、彼女の代わりに真緒が持ち場へと向かうことになった。
「真緒、気をつけてね」
「千秋こそ」
 作り笑顔で言葉を交わした後、真緒は五階のとあるフロアの中へと姿を消した。
 残された、千秋、猛、由美子の三人は、そのまま階段を伝って下の階へと下り始めた。
「とりあえず小島は今のうちに、どこかで少し休んでいるといい。気分が優れない状態で何かをしようとしても、集中なんてできやしないからな」
 猛が言った。確かに、今の由美子の沈んだ様子を見ると、与えられた役割をしっかりとこなすのは難しいように思える。
 由美子本人もそれは分かっていたらしく、黙ったままだが確かにこくりと頷いて見せた。
 そうこうしているうちに、三人はいつの間にか三階にまで下っていた。下の階から通じている吹き抜けから、最下層の様子が伺える。土や埃によって汚されたフロアの隅で、置き去りの資材が壁伝いに積み上げられているという光景が目に映る。特に変わった様子は無い。
「それじゃあ……、ごめんね。ちょっとその辺で休ませてもらうから……」
「ああ、何かあったらすぐに助けに行くから、心配するな」
 猛の心強い言葉を背に受けて、由美子はフラフラと歩いて、とある部屋の中へと入っていった。弱りきった精神を、蛇のごとくきりきりと締め上げてくる不安に襲われていた彼女は、やはり誰もいない場所で一人になりたいとでも思っていたのだろうか。
「そういえば磐田くん、さっきビル全体を見て回ってたんだよね。どう、なにか分かったことはあった?」
 突如思い出したように千秋が聞いた。すると猛は吹き抜けの縁に両手をつき、下の階を覗き込むような姿勢をとった。
「そうだな、とりあえず、敵がこの場所に入ってくるのを防ぐためとして、建物内部への進入経路を確認して回った結果、どうやら一階以外からの出入りは不可能らしいと分かった」
「というと?」
「ああ、実はそれぞれの階に一箇所ずつ、外の非常階段へと続く出入り口が存在していたんだが、どこも鉄扉がしっかりと内側から施錠されていた。よって、一階の正面出入り口、あるいは窓以外からは、人の出入りは考えられないということだ。もっとも、スパイダーマンのように壁をよじ登り、高層の窓から進入するような奴がいなければ、と言う話だがな」
 猛は自分の言ったくだらない冗談に、ほんの少し苦笑した。
 確かに、彼の言う話が本当なら、一階からの進入さえ許さなければ、敵の出現にびくびくと怯える心配も無いと言える。だが武器不足という問題を抱えているこのグループにとっては、その一階からの進入を防ぐということすらも、そう易々と行えることではない。
 心配した千秋はそれについてを猛に問いただした。
「そう、問題はそこだ。常に四人が東西南北を監視しているから、敵の存在にはいち早く気づけるだろうし、万が一敵が接近してきても、内側から解錠すれば非常階段を使って外に逃げることも可能だ。だが、それでもやはり、装備が軟弱だという不安要素はあまりにも大きい」
 そう話す彼は、両腕を組んで難しい表情を浮かべていた。
「それについて、何か対策は?」
「前にも言っていたように、置き去りの資材の中に、何か使えるものはないかと探して回ってもみたが、今のところは役に立ちそうなものは、何一つ見つかってはいない。あるのはほとんど、山積みにされたダンボールだとか、木材やブルーシートといったものばかりだったからな。せめて工具の一つや二つくらいは見つかるかもしれないと期待していたんだが」
 ようするに、このグループの装備は変わらず、木製バット、肉切り包丁、双眼鏡、トンファー、金槌、『完全殺人マニュアル』とかいう訳の分からない文庫本、以上七つのままだというわけだ。(“七つ道具”といえば聞こえがいいようにも思えるが、言葉のニュアンスで身を守れるなんていう馬鹿げた話は聞いたこともない)
 予想していたとはいえ、猛の返答を聞いた千秋は、相変わらずの頼り甲斐の無い装備で、はたしてどれだけ身を守ることが出来るのかと心配になった。
「それとだ、これは今さらありえないことだとは思うが、資材を漁っているついでに、どこかに人が隠れてはいないかどうかも調べてみた」
「人?」
 今さらどうしてビル内で人の存在を探すのか、千秋はその理由がよく分からなかったので、すぐさま聞き返していた。
「いやなに、念のためだ。俺達の中で一番最初にここに到着したのは湯川だが、それ以前から建物内部に人間が隠れていたという可能性も、考えられないわけじゃなかったからさ。もちろん、数時間ここに潜み続けている、俺達七人の目から逃れながら、今もまだ隠れ続けている者がいるなんて可能性は、ほぼ皆無に等しいだろうとは思ってるがな。万が一という可能性を考えてだ」
「なるほどね。で、その結果は?」
「もちろん、今のところ誰も見つかってはいないさ。前にも言ったとおり、もし人が隠れていたならば、きっと既に誰かによって発見されてるだろうしな」
 確かに、何時間もこの廃ビル内にいる七人の目から逃れ、今もまだ潜み続けている人物がいるというのは、とてつもなく不自然だ。つまり最初から考えていた通り、廃ビル内には千秋たち以外には、誰一人として人は存在していなかった、と結論付けるのが妥当だろう。
 結局のところ、身を守るために気をつけねばならないのは、外部からの侵入者のみ、という結論に導かれる。いかにして身を守るか、有効な手段を導き出す、これが生存への鍵だというわけだ。
「ねぇ、一階の出入り口にバリケードを築くってのはどうかな? そうすれば敵がやってきたとしても、いくらか時間を稼げるだろうし」
 唐突に思いついたその考えに、千秋自身は名案ではないかと思い、自信たっぷりに言った。しかし猛からはあっさりと、
「良案とは言えないな。バリケードなんて作ったら、ここに人が隠れてるんだって、外から見てもバレバレだからな。それに、俺達がここから逃走しなければならない状況に陥ったときに、それが邪魔になる恐れもある」
 と、間髪入れずに返されたので、ほんの少しがっかりした。
「それじゃあ、磐田くんは、これから何をするの?」
「まだビル全体を探索し終えたわけじゃないし、資材の山漁りを再開するさ。武器の代わりに限らず、何か役立ちそうな物が見つかるかもしれない。もちろん、今後どうするかも考えながらだ」
「なら、あたしもいっしょに手伝おうか? どうせ監視の交代までは、手も空いてることだし」
 千秋が言うと、吹き抜けの縁にもたれかかっていた猛は、右手を顎の辺りに持ってきて、何か考えるような素振りを見せた。
「そうだな。さほど広い建物ではないが、資材の山はまだまだたくさんあることだし、探索場所を二人で分担して動いてみるか。その方が効率も良いだろうし」
 決まるや否や、猛はさっそく千秋に指示を送る。
 現在既に、一階部分は探索し終えているらしいので、これからの活動の場となるのは、それよりも上の階層となる。猛は途中だった二階での探索を再開するらしいので、必然的に、千秋はさらにその上の階で活動することとなった。
「言うまでも無いと思うが、何か見つけたり、変わったことがあったなら、すぐに俺に伝えに来いよ」
 下の階へと向かい始めていた猛はそう言ったのを最後に、階段の影に姿を消した。
 三階に残された千秋は、一秒の時間をも惜しんで、さっそく資材の山漁りを始めようと考えた。
 手近な部屋へと身を滑り込ませて、まずはその場の様子を見渡すと、他のフロアと同じように、ダンボールの山が築かれていたり、何かに使った余りらしき木材が、壁の隅に立て掛けられているという様子が一望できた。また、油の香りが染み付いた一斗缶や、主を失って寂しそうに佇むデズクの姿も窺える。お宝の匂いがぷんぷんと漂っているように思えた。
 さて、やるか。
 両手で頬を一発叩き、自分自身に軽く気合を入れた。

【残り 二十七人】
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