鼓膜が貫かれそうなほどの大きな銃声に驚いた千秋は、すぐさま自分のいるフロア全体を見回した。しかしここは廃ビルの最上階。仲間達の監視をかいくぐって、敵がこんなところにまで侵入しているはずがない。
当然、千秋の視界に映り込んだのは、何も無い薄汚れた部屋の光景と、そこに立つ真緒の姿のみ。銃を持った敵が近くにいたりはしない。
「何? 今の銃声」
少し垂れ気味の目を大きく開きながら真緒が心配そうに問いかけてくるが、千秋に分かるはずがない。
状況を理解できないまま驚き慌てふためいていた二人の耳に、再び銃声が飛び込んできたのは間もなくのこと。このときになって、銃声はビルの外から聞こえたのだと、千秋はようやく理解した。
最初の二発を発端に、銃声は連続して島じゅうに何発も響き渡る。耳を澄ませてよく聞くと、銃声は二種類あるように聞こえた。
誰かが、銃撃戦を繰り広げているとでもいうのか?
全ての銃声は南東の方から聞こえたように感じた。そちらの方面は、確か湯川利久(男子二十番)が監視しているはずだ。
「真緒! 湯川君の所に行くよ! 急いで」
言うが早いか、真緒の手を引いて走り出す千秋。
自分達がいた広間から飛び出し、埃の積もった狭い廊下を駆けて、利久がいるはずのフロアを目指す。もちろん、外部の敵の存在へも注意を払い、必要以上に足音を出さないように気をつけながらだ。その間も、ビル外部から聞こえる銃声は止みはしなかった。
ほどなくして、ビル五階の南東に位置するフロアに到着した。扉の無いドア枠をくぐるとそこに、額に冷や汗を滲ませながら、双眼鏡(千秋が貸したやつだ)を覗き込んでいる少年の姿があった。利久だ。
「湯川君! 何があったの?」
千秋の声に気づいた利久は、双眼鏡から目を離し、緊張に引きつった表情を見せた。
「銃撃戦だ! 木の陰に隠れててよく分からないけど、誰か二人が銃を撃ち合っているらしい!」
利久の言葉を耳にした千秋と真緒は顔を見合わせた。ちょうどそのとき、同じく銃声を聞きつけた仲間達が、二人に遅れて次々と集まってきた。
「何の音や?」
「聞いて分からないの? 銃声よ、銃声」
「騒ぐな! 誰かにここを気づかれるぞ」
前触れ無く突然降りかかった事態に、誰しも動揺の色を隠せないといった様子だ。冷静沈着な磐田猛でさえも、この場の雰囲気に飲まれたか、少し興奮しているようだった。
「誰だ? 誰が撃ち合ってるんだ?」
「分からない。木の葉が邪魔で、何処にいるのかも――」
利久が言い切るのも待たず、その両手に握られていた双眼鏡を、猛が半ば奪い取るような形で手にし、急いで窓の外を眺めだした。
千秋や他のメンバーたちも窓の外を覗き込むが、肉眼で事態を把握することは容易ではない。ビル周辺なら木の葉の層は薄いので、人の姿など難なく見つけられるだろうが、緑の深い森林の奥地はそう簡単にはいかない。犇めき合う木々に邪魔されながらも、聞こえる音だけを頼りに、広大な山中の景色から、標的を見つけ出す。ほとんどプロのハンターの仕事だ。
「くそっ! どこだ!」
双眼鏡を覗く猛も、なかなか人の姿は捉えられない様子だ。視界が狭まっているせいで、かえって広いフィールドを見通しにくくなっているのかもしれない。
二種類の銃声はどちらも未だに止みはしない。殺気がたっぷりと込められたその音は大変不気味で、聞こえるたびに肌にびりびりと静電気が走るような錯覚すら与えられる。銃声の主達は、ビルの上から覗いている十四の視線をかわしながら、今もまだ相手を死に至らしめることのみ考え、狂走し続けているのだ。いや、メンバーの一人、小島由美子(女子七番)は銃声に怯えてしまい、頭を抱えながらコンクリートの壁を背に屈み込んでいるため、正確には十二の視線というべきか。
「おい、誰か見つけたか?」
「だめだ! 木の葉の群れに邪魔をされて、何処に誰がいるのかなんて分かりもしない」
メンバーの誰一人として、山中にいる人の姿を捉えることが出来ない。
広大に広がる緑の絨毯を凝視し続けていた千秋だったが、目に力を入れすぎていたためか、それとも絶大なる緊張感のせいか、疲れを感じはじめたため、これまで固定していた目の焦点を何気にずらした。
それは本当に偶然のことだった。焦点をずらした千秋の両眼が、緑の層の薄い地点に飛び出した一人の人間の姿をたまたま捉えた。もちろん、肉眼ではその正体を把握するまでには至らなかったが。
「いた!」
千秋は無意識のうちにそう言っていた。途端、皆の視線が千秋の方一点に集まる。
「本当か! 何処だ? 何処にいる?」
「あそこ、あそこに一人いるわ!」
人の姿が見えた場所を指差しながら、懸命に皆に伝えようとする千秋。だが、目印も無い森林内の一点を正確に示すことはたいへん難しい。案の定、千秋がいくら身体を使って説明したところで、誰も分かってはくれなかった。
千秋は、銃を撃ち合っていた人物が誰なのか、そして今どういう状況なのかを早急に知りたかった。
「磐田くん! その双眼鏡かして!」
自分が示す場所を誰も分かってくれないという歯がゆさに耐え切れなくなった千秋は、猛から受け取った双眼鏡にすぐさま両眼をあてがい、先ほど人の姿が見えた地点に焦点を合わせた。
二重になったレンズの向こう、すぐにそれらしき人物の姿が現れた。銃撃戦の最中なため、先ほどとは位置が少しずれていたが、確かに誰かに向けて銃を発砲している人物の姿がそこにあった。
肉眼ではただの棒人間のようにしか見えなかったその姿も、双眼鏡を介した今でははっきりと見える。
ミドルサイズのブレザーとキュロットスカートをきちんと着こなしながらも、天然パーマのぼさぼさ頭を振り乱しながら銃を乱射し続ける狂乱者。廃ビルに到着する直前に千秋たちが目撃した、氷室歩(女子十六番)に間違いなかった。
両眼スクリーンに、今や大きく映し出されている荒れ狂ったその姿には、もはや平静など微塵も感じられない。感情の高ぶりがピークを通り越してしまった彼女は、今やただの殺戮マシーンにでも成り果てていたのかもしれない。。
歩の姿を見た当時、気づかれないようにやり過ごそうとした千秋たちの判断は、どうやら正しかったようだ。
「どうだ? 誰かわかったか?」
猛が聞く。
「一人は分かった! 歩よ!」
「氷室か! もう一人はどうだ?」
「分からない。今探してる」
二種類の銃声は、どちらも未だに鳴り続けている。木々という障害物が多いのが影響しているのか、かなり長期に渡る銃撃戦だ。
銃撃戦が続いている以上、もう一人の人物もまだ近くにいるはず。千秋は双眼鏡の向きをゆっくりとずらしていく。歩がどちらに向けて発砲しているのか分かった今なら、もう一人を見つけることも、さほど難しくは無いはずと考えていた。そして、見つけた。
歩のいる方へと向けて、両手で握った銃を連射させている男子の姿を、千秋の目ははっきりと捉えた。さらさらとしたストレートヘアーを、女みたいに長く伸ばしている坂本達郎(男子七番)だ。
「いたよ!」
「誰だ!」
「さ、坂本くん!」
うわずった千秋の言葉を聞いた誰かが、ごくりと息を呑む音が聞こえた。
「で、今いったいどうなってるんだ?」
「撃ち合ってるよ! 歩も、坂本くんも、お互いに」
説明しているその間にも、双眼鏡を介したひょうたん型の視界の中では、二人による壮絶な戦いが続いている。
フラフラと身体を不自然に揺らし、狙いが定まらずとも乱射し続ける歩。大木の裏に半身を潜ませながら、狙いをしっかりと定めてから発砲する達郎。その優劣は明らかだ。
半ば千鳥足ともとれる歩行を続けていた歩が、笑いながら何かを叫び、銃を構えたまま達郎へと突如走り出した。あまりにも無防備な行動だった。
次の瞬間、歩が額から鮮血を振りまきながら、後方へと仰け反るようにして倒れるのが見えた。達郎が発射した弾丸の一発が、見事に歩の眉間を捉えたようだった。
長きにわたる銃撃戦の末、ようやく勝利をもぎ取ることができた達郎は、倒れた歩の元へと近づいて、彼女の手の中に握られたままだった銃を奪い、そのまま何事も無かったかのように去って行った。その一部始終を、千秋に見られていたとも気づかず。
二人の決着がつき、銃声が止んだ。猛はその事情をなんとなく察したらしく「どっちがやられた?」と聞いてきた。
人が死ぬ瞬間をアップで見てしまった千秋は、震える手で目元から双眼鏡を引き剥がし、ゆっくりと皆の方を向いた。
「歩が死んだ……、額を撃ち抜かれて。坂本くんは、歩の銃を持ってどこかに行った……」
知らせを聞いた途端、全員の顔色が急激に悪くなるのが見てとれた。級友が級友を殺したのをリアルタイムで知るという衝撃的な体験には、誰もが大きなショックを受けずにはいられなかったらしい。しかし、本来なら今回一番大きなショックを受けるはずだったのは、当然、その瞬間を見ていた千秋だろう。しかし彼女は、徳川良規が殺される瞬間や、新田慶介の死体発見に立ち会うという経験があったためか、どこか感覚的にマヒしてるところがあったらしく、思いのほか調子を保つことが出来ていた。慣れとは本当に恐ろしいものだ。あと、双眼鏡のピントがほんの少しずれていたため、画面全体に少しぼかしがかかって見えていたことも幸いしたのだろう。
それよりも、一番精神的にダメージを受けていたのは、頭を抱えながら屈み込んでいた小島由美子だ。極端に怖がりな彼女は、自分から見えるところでクラスメート同士が殺し合い、果ては一人が死んだという事実に完全に参ってしまったらしく、全身をぶるぶると震わせたまま身動き一つとろうとしない。
「ゆ、由美子、大丈夫?」
心配した藤木亜美(女子十八番)は、由美子を落ち着かせようと背中をさすりだした。だが由美子は、
「死ぬんだ……、私もきっと、誰かの手にかかって死ぬんだ……」
とぶつぶつ呟くばかりで、落ち着く様子など一向に見せない。
「小島、大丈夫や。ここにいれば仲間もおるし、心配するな」
「ダメ、ダメェ!」
聞く耳を持たぬ由美子には、杉田光輝(男子九番)の懸命な声ももはや全く聞こえていない様子。そんな彼女を落ち着かせるのは、たいへん困難なことのように思われた。そんな中、猛が動いた。
由美子と視線の高さが同じになるまで屈み、両肩を手でしっかりと押さえつけて、彼は意志のこもった真剣な眼差しを見せ付けた。
「俺がここにいる以上、誰一人として死なせない。どんな危険が迫ろうとも、俺が身を張ってでもお前たち全員を守ると誓う。だからお前も諦めるな、小島」
力強い彼の言葉に平静が呼び起こされたか、開きっぱなしだった由美子の瞳孔が、急速に縮小していった。そして彼女は何も言わずに泣き始めた。
猛の大きな手のひらが、由美子の頭を優しく撫でた。
氷室歩(女子十六番)―――『死亡』
【残り 二十七人】
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