003
−第二の地獄へ(3)−

 松乃中跡地へと向かう道中、息苦しく思ってしまうほどの数の生徒達が乗り込んでいたにもかかわらず、誰一人声を発することなく、バスの中はしんと静まり返っていた。
 重苦しい空気がバス内を支配する。幸いにも松乃中跡地までそれほどの距離は無かったため、すぐにその空間から脱出することはできるだろう。
 窓の外へと目を向けると、そこに目的地近くの風景が広がった。それと同時に、バスを待ち受けていた報道者達が姿を現す。
 道路沿いに並ぶカメラの列が次々とフラッシュを光らせ、マイクを構えたレポーターが何か声を発しながら追いかけてくる。正直、バスのガラス越しに向けられる好奇な視線の数々に良い感情を抱きはしなかった。それでも歩きながら連中の相手をするよりはまだマシだ。
 目的地に着くと、数人のガードマン達に守られながらバスは出入り口を通過し、ようやく敷地内へと入ることができた。
「着いたぞ、降りよう」
 運転手の後ろの席に座っていた桑原先生は席を立ち、皆より先に芝生の地面の上に降りた。
 それに続き生徒達もバスを降りる。千秋たちも焦らずに、頃合を見計らって外に出た。
 両の足でしっかりと地面の上に立って辺りを見回すと、とても懐かしい雰囲気に身を包まれた気になった。
 間違いない。校舎は影も形も無く、あまり手入れのされていない土壌には雑草が茂り始めてはいるが、ここは紛れも無く、かつての自分達の学び舎があった場所だ。
 バスから降りた生徒達は、千秋と同様にその懐かしさを感じつつ、無言のままある場所へと向かう。
 皆の視線の先にあるもの、それは元校舎が建っていた場所のど真ん中で佇んでいる、石造りの石柱だった。
 中学生の身長およそ一個半分ほどの高さを誇る石柱には無駄な装飾は一切施されておらず、そこにはただ「慰霊」という二文字だけが刻まれており、その足元に設置された石版には、二年前の事件のあらましが二十数行に渡って書き込まれていた。雨による酸化が少々気にはなっていたが、これには手入れがきちんと行き届いているらしく、ほとんど建てられた当時のままの状態だったので安心した。
 慰霊碑を見ているうちに、二年前のあのときの光景が鮮明に浮かび上がってきた。
 全ての者が我先にと出口へと駆ける中、運の無い者、助けの無い者、か弱い者が次々と炎の犠牲となり、灼熱の地獄の中に姿を消していった大惨事。もう二度と思い出したくなかったが、脳内に鮮明に焼き付かれたその光景を振り払うことはできなかった。
 ここにいる現梅林中三年六組のメンバーは、そんな地獄の中から見事に生還を果たした者ばかり。しかし、彼らもまた全員が無傷で済んだという訳ではない。肉体的にも精神的にも損傷を負った人間が、このクラスの多くを占めているというのは事実だ。
 例えば千秋の前方で松葉杖を突きながら歩いている
武田渉(男子十一番)。彼はもともとはサッカー部に所属し、グラウンドで毎日毎日走り回る元気のある少年だったが、事件に巻き込まれ、崩れた校舎の壁の下敷きとなってしまい、その大事な左足を砕かれてしまったのだ。
 同じくサッカー部のゴールキーパー
土屋怜二(男子十二番)なんかも肉体に傷を負った生徒に属するだろう。彼は常に右手に手袋をはめ続けているが、あれはおそらく火事による火傷の跡でも隠しているのだと思う。
 火傷といえば、全身を炎に焼かれたという重症を負った女生徒もいるのだが、彼女は事件以来ずっと病院に入ったままで、梅林中には一度も姿を見せたことは無い。はたして元気にやっているのだろうか。
 慰霊碑を取り囲む面々を見回していると、ふと一人の少女の姿が目に入った。
 黒髪の生徒達の中に混じった、唯一異色の頭髪が目立つ背の低い少女
白石桜(女子十番)だった。彼女は事件前までは黒髪だったのだが、事件のショックか何かに影響され、以来全ての頭髪が真っ白に染まってしまったのだ。
 また、彼女の身に起こっ影響はこれだけではない。喜怒哀楽すべての感情を失ってしまったかのように、表情を変えることも無くなってしまったのだ。
 そんな桜を支えているのが、双子の兄である
白石幹久(男子八番)。もともとは妹とはクラスが分かれていたのだが、事件後に被災者全てが一つのクラスにまとめられたことによって、こうして兄妹共に同じクラス内で生活できるようになり、精神的ダメージが大きかった妹の側で二年間常に付き添ってきたのだ。兄妹愛とは、まさにこの二人のための言葉であるように思われた。
 火災によって傷ついてしまった生徒はこれだけに留まらない。傷口の大小は様々だが、他のメンバーもその多くが今もまだ苦しみ続けているのだ。千秋とて例外ではない。
 突如千秋の視界が遮られた。目の前に立っていた女生徒が、肩にかけていた黒いギターケースを右から左へと持ち変えたのだ。
 ギターケースを持つ
里見亜澄(女子九番)は、少し特殊な存在だった。クラスメート同士での付き合いはあまり好まず、逆に孤独を望んでいるような様子なのだ。また、彼女自身は音楽を愛しているらしく、暇を見つけては駅前のスペースでフォークギターを抱えて歌っている。
 奇妙なのは事件以来、その愛用のギターを以前にも増して片時も手放さなくなってしまったということだ。はたして彼女の身に何があったのだろうか。
 奇妙と言えばこの生徒の名も挙げるべきだろう。
蓮木風花(女子十三番)。その美貌に魅せられた男子生徒に次々と言い寄られるも、その全てをことごとく玉砕していき、いつの間にか「百人斬り女」という通称で恐れられるようになっていた彼女は、二年の中頃に転校してきて、被災者特別クラスに仲間入りしたのだ。松乃中火災の被災者でもない彼女が何故このクラスへと編入してきたのか、その謎は未だに解明されていない。
 クラスメート達が見守る中、学級委員の二人を代表に献花が行われた。それが済むと今度は全員による黙祷が始まる。
 千秋はすっと目を閉じ、そして黙ったまま祈りを捧げた。
 果たしてこの祈りが天に届いてくれるだろうか……。
 一分間の黙祷が終わると、千秋はゆっくりと目を開けた。変わらずその場に立つ慰霊碑を前に、生徒達はぼんやりとその姿を見つめていた。そんな中、どこからら女の子の泣き声がかすかに聞こえる。
「うぅぅっ……は……づきぃ……」
 その声を耳にした途端、千秋は胸を撃ち抜かれたかのような感覚を覚えた。
 はづき。それはかつての千秋たちの親友の名だった。フルネームで醍醐葉月(だいごはづき)といい、智香と同様に中学入学後から仲良くなって、お互いを信じ合って生活した。しかし、二年前の大火災がその関係をぶち壊してしまったのだ。
 炎の中で身動きが取れなくなっている葉月を残し、三人はその場から逃げ出してしまったのだ。そう、千秋、真緒、智香の三人は、炎の中で苦しむ一人の少女を見殺しにしてしまったのだ。そしてそれ以来、三人はその重い罪を胸に、今まで苦しみながら生きてきた。それが、この地を再び訪れたことによって表面へと出てきて、内に秘めていた悲しみを外へと押し出し始めたのだ。
 今もまだ、葉月はこの地に眠っている。そう思うと胸が焼けるように痛かった。
 泣き声の正体はやはり真緒だった。目に浮かべた涙をぼろぼろとこぼしながら、かつての親友の名を口にする彼女の姿を見ていると、自分までもが泣きそうになる。
 実際、その真緒に誘発されてか、同じように涙を流し始める生徒の数は少なくなかった。
 その場はすぐに複数の嗚咽と泣き声によって支配された。男女関係無く、止まることの無い涙を延々と流し続け、頬を伝って落ちたそれが大地を潤す。
 これまで耐え続けてきた智香も、ついにその我慢に限界が訪れたのか、水玉の粒を目から落とし始めた。昨年度とは違い、今回は真緒を元気付けるほどの余裕も無かったらしい。



「テメェ今何をした!」
 ジメジメとした辺りの空気を、一人の男の叫び声が薙ぎ落とした。その声に驚いた生徒達は皆びくりと肩を震わせながら、一同声のした方へと向く。そこには火の付いたタバコを石柱に押し付ける
黒河龍輔(男子六番)と、それに掴みかかる磐田猛の姿があった。
「見りゃあ分かるだろう。タバコの火ー消してるだけだ」
 まったく悪びれる様子も無く、平然と猛に向けて言い放つ龍輔は、吸殻を慰霊碑の足元へと投げ捨てた。タバコの火を押し付けられた石柱には黒いすすがこびり付いていた。
「そういうことを聞いてるわけじゃねぇ!」
 死者を冒とくするかのようなその行いと発言に、学級委員兼サッカー部キャプテンの猛は激怒した。
 怒りに打ち震えたのは猛のみではない。それを見ていた他の生徒達も皆、龍輔の行いに怒りの炎を燃え上がらせたことだろう。しかもよりによって、火が原因で亡くなった学童達のための慰霊碑に、彼は火を押し付けたのだ。もちろんそれは許されるような行為ではない。
 猛と龍輔がお互いに睨み合う。まさに一触即発状態。体つきの良いサッカー部キャプテンと、相手を傷つけることにも容赦の無い不良が激突すれば、流血戦になることは目に見えていた。だが千秋はもとより、誰一人として間に割って入るような勇気ある人間はいなかった。一人を除いて。
 お互いに飛び出す寸前の二人だったが、突然強い力によって腕を掴まれたことによって、その動きを止めた。恐る恐る向ける二人の視線の先には、身長百八十はあろう男、
比田圭吾(男子十七番)が立ち、服の上からでも分かる隆々たる上腕二等筋を膨らませながら、茶の色眼鏡越しに鋭い視線で二匹の子豹を見下ろしている。
「なにしやがるんだ、ちくしょお放せ!」
 猛に殴りかかろうとしていた右手を拘束された龍輔は、残された左手を圭吾の腹部に叩き込んだ。しかし分厚い筋肉の鎧によって守られたのか、圭吾は眉一つ動かすことなく、ただ龍輔へと冷たい視線を向けるばかりだった。
「もう止そうぜ三人共。なっ」
 更なる死闘の訪れを察したか、右手袋の土屋怜二が三人の間に割って入ろうとするが、それが気に入らなかったのか、今度は龍輔の左手刀が怜二の顔面へと向けて飛ぶ。
 一瞬早くそれに気づいた猛がそれを掴んだため、幸いにも怪我人が出ることは無かった。しかし、容赦の無い龍輔の行動に、今度は怜二が怒りの表情を見せた。
「ヤバイ! みんな四人を止めろ!」
 誰かがそう叫んだのを発端に、生徒達のおよそ半分が、猛、龍輔、圭吾、怜二の四人を止めにかかった。しかし一度火の付いた四人の怒りは収まらない。クラス内でも最強の部類に入る力を持つ彼らを前に、他の力のほとんどは無効化される。
 決して気の強くない桑原先生にも、この事態を止めることはできなかった。
 しかし、騒動は意外な形で終わりを迎えた。
「あ……あははははははははっ!」
 何者かの突然の笑い声に、皆が振り上げていた腕の動きを止めた。
「燃えてる! 燃えてるよぉ! 校舎が、校舎が燃えてるよぉっ!」
 快感のような声をあげているのは
氷室歩(女子十六番)。松乃中火災以来、精神バランスが著しく低下してしまった彼女は、時々見えるはずも無いような幻覚を見てしまうらしく、さらには発狂したかのように声を荒げて何かを叫んだりすることがあるのだ。
「大丈夫よ氷室さん! 校舎なんて燃えてないよ!」
「あはははははははっ! 燃えちゃえ! もっと燃えちゃえぇぇぇぇぇぇぇっ!」
 数人の女子に押さえ込まれ、バスの中へと連れて行かれる歩。しかし、呆然とする生徒達へと目を向けたまま、バス内へと姿を消すまで叫び続けていた。
 バカらしいと思ったのか、ついさっきまで牙を剥いていた龍輔は圭吾の手を振り払うと、さっさとバスのほうへと姿を消した。
 なんとなく不本意な形ではあるが、なんとか騒動は収まったのだ。いや、誰も血を流さなかっただけ、この終わりが最も良かったのかもしれない。
 圭吾も無言のまま猛の腕を開放すると、龍輔に続いてバスの中へと姿を消す。
 猛と怜二は穏やかになったその表情で、じっとその背後を見つめていた。
「……帰るか」
 元気なく桑原先生がそう言うと、皆もゆっくりとバスの方へと歩みだした。
 千秋はその最後尾を歩いていたが、ふと立ち止まって慰霊碑を振り返った。
「なんでこうなっちゃったんだろう」
 二年前の大火災は多くの人命を奪うと共に、生き残った者達へも多大なる影響を与えた。
 まさにあの出来事は地獄のようであり、身体、精神、人間関係、その全てのバランスを崩し、悲しみだけを残していった。
 重い悲しみを背負いながら、千秋は最後にバスへと乗り込んだ。
 だがこのときはまだ知らなかった。千秋たち三年六組のメンバーが、これから更なる地獄へと導かれようとしていたということに。

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