002
−第二の地獄へ(2)−

 日曜日の朝。
 昨日の夜降り始めた雨はなんとか止んだが、空はまだ薄暗く、いつまた降り出すとも限らない。
 ショルダーバッグを肩にかけて家を出た
春日千秋(女子三番)は灰色の天を見上げ、恨めしく思った。
「こんな大切な日ぐらい、晴れてくれたっていいのに」
 誰に向かって言うでもなく、一人で呟く。昨日の夜と同様にその表情は沈んでいる。
「それじゃあ、いってきます」
 店内で早くも料理の仕込を始めている父へと振り向いて言った。すると父は千秋を元気付けるように微笑みながら見送ってくれた。気分が優れなかった千秋にとって、父の笑顔は何よりもの励みとなった。
 気を取り直して商店の列の間を歩き始める。目指すは兵庫県立梅林中学校。現在の千秋にとっての母校だ。
 日曜だと言うのに、何故学校に行かなければならないのか。それにはちょっとした特殊な理由があった。
 時をさかのぼること二年。大東亜中を揺るがすほどの大事件が起こった。兵庫県内のとある中学校が火災を起こし、七十名以上もの生徒達が命を落とすこととなってしまった大惨事。それが『兵庫県立松乃中等学校大火災』だ。
 事件後、無念の死を遂げた生徒達を供養するために、焼け落ちた校舎跡に慰霊碑が建てられた。そしてそれ以来、事件を知り悲しんだ多くの人々がこの地を訪れ、幾度と無く黙祷や献花が行われていた。
 千秋ももともとは松乃中の生徒だった。つまりは事件の生還者、言い換えれば被災者である。事件後は同市内の梅林中へと学校を移ることとなったが、一年に一度同級生達と集まって松乃中跡へと向かい、そして祈りを捧げることとなっている。
 事件発生からちょうど二年になる今日は、まさに皆で集まり松乃中跡へと向かう日だった。そのために、皆で一度梅林中に集まって、そこからバスに乗って目的地へと向かうのだ。
 梅林中のグラウンドに着くと、既に十人以上ものブレザー姿が集まっているのが見受けられた。現梅林中三年六組の面々だ。
 雨に濡れた土の地面へと一歩踏み込んだ途端、隅で大人しく座っていた生徒が千秋に気づき、トテトテと走り寄ってきた。
「おはよう千秋」
 キュロットスカートの制服が未だに初々しく見えるほど小柄なこの女生徒は
羽村真緒(女子十四番)。クラスメートであると同時に、千秋にとっては幼馴染でもある。
「おはよう真緒」
 見慣れたその顔へとしっかりと視線を合わせ、そして明るく挨拶すると、真緒はにっこりと微笑んでくれた。癖のある短髪が印象深いボーイッシュな外見の彼女だが、幼さの残るその顔での笑顔はとても可愛らしく見えた。とても男の子に見間違われることがあるようには思えない。
 真緒はとても良い子だった。どんな人間にでも優しく接することができ、そして正しき道から外れるような行いなどは一切しない。これ以上に誠実な人間などこの世に存在しないだろうと思ってしまうほどだ。
「早いんだね。何時ごろに来たの?」
 真緒に聞いた。集合時間まではまだ二十分以上もあるというのに、千秋よりも早く到着していた生徒達がいたことに少々驚いていたのだ。
「えーと、今からだいたい三十分ぐらい前かな」
「早過ぎ」
 千秋はすかさずツッコミを入れる。付き合いが長いだけあってか、そのコンビネーションは抜群だった。
「だって、なぜか今日は朝早くに目が覚めちゃったから」
 確かに、遠足の日など特別な行事が控えている日は、不思議と朝早くから目が覚めてしまったりすることがある。しかし、だからといってそんなに早く家を出なくたっていいのに……。まあ、真緒のそういうところがまた可愛かったりするんだけど。
 千秋がそう思ってひとりでニヤニヤしていると、真緒が「あ、またバカにしてるな」とでも言いたげな視線を向けてきたので、少しあわてて表情を元に戻した。
 そうやって真緒と一緒に時間を過ごしているうちに、他の生徒達も千秋に遅れて次々とグラウンドへと集り、集合時間十分前にはほとんどの生徒達の姿が見受けられた。
「ちーあき! まーお! おっはよー!」
 妙にテンションの高い声が聞こえると同時に、千秋と真緒は共に肩に強い圧力を受けた。まるで二人を同時に抱きしめようとしているのか、玉の飾りがついたゴムで左右の髪を縛っている女生徒が、両手を広げながら勢い良く飛びついてきたのだ。
「お、おはよう智香。あんた朝っぱらからテンション高いね」
 千秋は飛びついてきた女生徒に対して、わざと呆れているかのような口調で言った。
 彼女は
相沢智香(女子一番)といい、千秋や真緒とはとても仲が良く、一緒に行動することが多かった。
 智香は真緒とは違い、幼い頃からの知り合い同士というわけではなかったのだが、中学入学直後にお互いを知り、それ以来、なぜか意気投合してしまって今に至る。
「まあね。ただでさえ辛気臭い雰囲気になりやすい日なんだから、ちょっとでもテンション保っておかないと沈んでしまいそうだからね」
 胸を張って話す智香はとてもたくましく見えた。
 既に説明は不要かもしれないが、ご覧の通り智香は彼女達の中では欠かせないムードメーカーの役割をしっかりと果たしていた。
 そういえば、昨年松乃中跡に集まったときなんかは、ぼろぼろと涙をこぼす真緒を元気付けようと奮闘している智香の姿が見られた。今年も同じような光景を見ることとなるのだろうか。
 少し大人し目の真緒と、少しテンションの高い智香。そしてその間を調整する千秋。このグループのバランスはバッチリだ。
「あ、みんな集まったみたいだよ」
 グラウンドに集まった生徒達の姿を見回しながら真緒が言う。
 つられて千秋も辺りを見回してみると、サッカー部キャプテンでありながら男子学級委員でもある
磐田猛(男子二番)と、同じく女子学級委員の三上圭子(女子二十一番)が、集まった生徒達の人数を数え終えて、それを担任教師の桑原和夫へと伝えに行っているのが確認できた。
 ここに集まった生徒達は皆、千秋と同じく松乃中大火災の被災者である。事件によって通う学校を失った生徒達は、この梅林中へと移され、六組、通称『松乃中被災者特別クラス』の一員として二年間生活してきたのだ。
 生徒だけではない。現担任の桑原先生も事件の被災者だったが、生徒達と共に梅林中へと移ってきた。同じ被災者である桑原教諭ならば、被災者特別クラスの生徒達と同調できるだろうと考えた教育委員会の粋な計らいだ。
「みんな集まったみたいだな。それじゃあ出発するからバスに乗れ」
 ズレた黒縁メガネを人差し指で持ち上げながら、桑原先生が皆に呼びかけた。それと同時に、グラウンドの側に停車していたバスに生徒達が次々と乗り込んでいく。
 何故松乃中跡に直接集まらず、わざわざ梅林中に集まって、そこからバスに乗って行くのか、それにもキチンとした理由がある。
 梅林中大火災の被災者達が集まって、今日事件現場に訪れるという情報を手に入れた報道者達をまとわりつかせないための手段だ。昨年度はこれをしていなかったため、松乃中跡へと向かう生徒達に報道者達が付きまとい、かなりうっとおしかったという記憶がある。
 報道者達を寄せ付けぬための手段はこれだけではなく、目的地でも既に関係者以外を中に立ち入らせぬためにガードマン数人を待機させてある。
 生徒達の心情を誰よりも察してくれている桑原先生が手配してくれたのだ。
「行くよ、千秋、真緒」
 三人の先頭に立って智香が歩み始めた。それに引っ張られるように、千秋、真緒という順番で後に続く。そしてバスへと乗り込んでいった。
 このとき千秋は気がついた。先ほどまでは屈託のない明るい表情を見せていた真緒と智香、そして自らの表情にも陰りが生じ始めていたということに。
 あたりまえだ。私達はこれから“あの人”が眠る場所へと向かうのだから。

 私達三人が殺した少女が眠る場所へと……。
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