193
−焔に刻まれし紋(9)−

 驚きのあまりに大きく目を見開く桂木の前で、本部から全力で走ってきたためだろうか、教室に飛び込んできた木田は、ゼイゼイと息を上がらせていた。
「無事か? 桂木」
 彼は瓦礫の下敷きになって身動きとれずにいる桂木を見つるや否や、すぐさま駆け寄ってきた。
「お前こそ……、怪我とかはしていない様子だが……」
「偶然だ。危うく俺も巻き込まれるところだった。それにしても、クソッ! いったい何がどうなっているんだ」
 桂木を助けようと、木田は積み上がった瓦礫に手を伸ばそうとする。だが、なおも頭上から物が降り注いできており、ちょっとやそっと木片を取り除いたくらいでどうにもならないのは明白だった。
「木田。さっきの……爆発音はなんなんだ? 本部は今いったい……どうなっている?」
 潰された胸部の痛みを堪えながら桂木が途切れ途切れに尋ねる。すると木田は、
「分からない。何の前触れもなく突然、建物が……天井や壁の裏などといった内側から爆発し始めたんだ」
 と、相当慌てふためいた様子で話しだした。
「爆発の一つ一つが小型の爆弾ほどの威力はあったように思う。俺は寸前に、お前の事を案じて本部から出ていっていて助かったが、もしそうしていなかったら命を落としていたかもしれない」
 考えただけでもゾッとするといった、木田の心境が表情から見てとれる。
 なるほど。爆発が起こった際に木田は本部から離れていたために、ここに駆け付けることができたというわけか。運がいい。もし仮に違う行動をとっていたなら、それこそ彼だって無事ではいられなかっただろう。
「この非常事態、何者かの意志が働いているとしか俺は思えない……が、お前はどう考える?」
「分からない。ただ、たしかに爆発のほとんどは、まるで本部を破壊するのを目的に起こされたかのようだった。間違いないのは、あの瞬間に本部の中にいた兵士の多くは、四方から起こった爆発から逃れることは難しかったであろうということ。建物の崩壊によって退路を断たれ、そのうえ火の手まで上がっている現状からすれば、一時は死を免れた奴らだって、最終的には無事でいられやしないだろう」
 被害の規模が、木田の証言によってようやく見えてきた。本部が受けたダメージはかなり大きいらしく、やはり死者も多数出ている様子。さらに火の手まであがっているとなると、事態は絶望的なレベルにまで発展するであろうと予測せざるを得ない。まさにプログラムの中枢が破壊されてしまったといえる。
「そんなことなんか今はどうでもいい! 早く避難しないと、ここにもいずれ火がまわってきてしまう! 桂木、いつまでも悠長に話をしている暇なんて無いだろう! なんとかそこから抜け出せないのか?」
 積み重なった瓦礫を払い続けながら、木田が尋ねてくる。
 たしかに、こんなことを話している場合ではなかったかもしれない。そもそも火が回ってくるかどうかなんて関係無く、桂木は重傷を負っていて非常に危険な状態なのだ。瓦礫の下から抜け出して応急的にでも手当を受ける必要があった。だがやはり危機から逃れるなんてこと、容易には叶わない。
 身体は今も力を失いつつあり、そのうえ降り積もる瓦礫は刻一刻と重圧を増してきている。もはや健康体であろうとも自力で拘束を解くことは不可能なように思われた。
「残念ながら、どうあがいても無理そうだ」
 桂木は諦めの表情を浮かべて言った。
 死んでも構わないなんて、微塵も思っていない。むしろ叶うならば、まだこの命を継続させ続けたかった。でもどんなに努力しても無駄なのだ。死力を尽くす桂木の思いよりも、桂木を死に追いやろうとする圧力のほうが、比較にならないほどに強大なのだ。生存への壁はあまりに高く険しかった。目の前に立ちはだかるそれを目にしては、桂木だけに限らず、大抵の人間は戦意を失ってしまうだろう。
「諦めるんじゃない! お前自身の力でどうにもならないのならば、俺が……」
 木田は危険を省みずに、瓦礫が降り注ぐ中で前に踏み出し、倒壊した太い柱の除去を試みる。しかし駄目だった。巨大な校舎を支えていた巨木は一本だけでもあまりに重く、一人の力ではとても太刀打ちできない。びくともしない最強の拘束具を前に、無駄に体力を消費するだけだった。
「危ないっ、木田!」
 突如叫ぶ桂木。
 肩で息をし始めた木田のちょうど頭上から、瓦礫の一つが落下してきている。彼はそれに気付いていなかった。桂木の声を耳にして、ようやく反射的に横へと飛んだが、それでも一瞬遅かった。
「ぐあっ!」
 側頭部に打撃を受け、たまらず悲痛な声をあげる。
 仰向けの桂木の側に鮮血がポタポタと跳ねた。
「大丈夫か?」
「ああ……、なんてことはない。こんなのたいした怪我じゃあない」
 顔を歪めながら頭を押さえる木田の手の下からは、勢い良く血が流れ出している。しかし、彼が言っている通り、さほど深い傷ではなさそうだった。
 頭なんてもともと、ちょっとした怪我でも大袈裟なほどに出血するものだし、木田がなおもしっかりと立ち続けていることが、何よりもの無事な証拠だ。もしも瓦礫の当たり所が悪かったり、怪我が深刻なレベルに達していたりしたなら、仮に立てたとしても、もっとふらふらになっているはずだ。
「もういい! 俺のことなんか助けようとしても無駄だ!」
 瓦礫の直撃に遭いながらも、再度桂木を救出しようとする木田を制止する。
「だからってお前を放っておいて逃げるわけにもいかないだろう! 俺はまだ諦めるつもりは無いからな!」
 桂木の言葉に、木田は即座に反発。一度頭の中で決めたことはなかなか捻じ曲げない。そこが彼の良いところであり、悪いところでもある。
 桂木は言った。
「よく聞け……。俺はなにも即座に逃げろと言っているわけじゃない。……もちろん取り返しがつかなくなる前に撤退してはもらいたいが、その前に一つ聞いてもらいたい頼みがある……」
 なんだ、と返す木田を数秒見つめた後に、桂木は目を横に動かして合図した。先にあるのは一見ただの瓦礫の山。
「なんだ? そこに何かあるのか?」
 頭に落ちてくる破片を腕で防ぎながら問う木田。
「醍醐が下敷きになっているんだ。御堂に撃たれて倒れてはいるが、俺と同様にまだ生きてはいるようだ。頼む、助けてやってくれないか?」
 木田は驚いた顔をした。
「なんだか訳が分からなくなってきたよ。醍醐が御堂に撃たれた理由もだが、どうしてお前が醍醐を助けたいと思ったのか、俺には全く理解できない。プログラムを妨害しようとしていた俺達にとって、奴は一番の敵だったはずだろう」
「いや、俺は奴の本心を理解した上で、もはや敵ではないと判断した! 詳しい説明は後回しなるが、頼む、助けてやってくれ」
 木田は少しの間考えていたが、ほどなくして「分かったよ」と呟いた。そして醍醐が埋まっている瓦礫の山へと向き直る。だが納得した様子ではない。
「知らないからな……。こいつを助けたことで、状況がどう悪い方向に転がっても」
「ああ……、本当にありがとう」
 早速柱の一つに手をかける木田。桂木の上にのしかかっているものより小さく砕けているため、若干の力は必要なものの、なんとか動かすことは可能そうだった。ジェンガの如く一本の木材を引っ張り出すと、その上に積もっていた小さな破片の山がガラガラと崩れた。
 そんなことを二度、三度と続けた。
「見えた! 醍醐の頭だ!」
 柱の隙間から覗くアフロヘアーを前に木田が声を上げる。
「どうだ……。なんとか助けることは出来そうか?」
「ああ、大きな塊が乗っかっていないことが幸いした」
 木田は再び瓦礫を取り除いていく。負傷した頭を庇いもせず、血を垂れ流しながらも黙々と。
 しかし、ある時にふいに作業の手が止まる。
「ちょっと待て。まさか、こいつ……」
 何かに気付いたのか、木田は瓦礫をさらに二、三取り除いて、醍醐のほうへと向けていた顔を曇らせた。
「桂木、駄目だ! 遅かった!」
 といって顔をしかめる。
「どうした……。いったい何があったと言うんだ」
 嫌な予感がして桂木は声を少し震わせた。
「手遅れだったよ。醍醐の息はもう止まっている」
 その言葉を聞いて桂木は衝撃を受けた。
「そんな馬鹿な。ついさっきまで奴は生きて……」
「残念だが、おそらく血を流し過ぎたのだろう……。血だまりの広がり方が、お前のよりもかなり酷い」
 なんてことだ。
 桂木は言葉を失った。
 せっかく醍醐のことを理解し、事実を受け入れることができそうだったのに。ここにきて、こんな最悪なラストが待ち受けていたなんて……。
 うなだれるばかりだった。
「こいつ、死に際に泣いていたみたいだ。目尻から床に向かって流れた涙の筋が、未だうっすらと残っている」
 はたして、醍醐はどのような思いで涙していたのだろうか。実の娘を追い詰めていた自らの行いを恨めしく思っていたのか、勘違いから地獄へと落とされてしまった中学生たちのことを思い出して悔いていたのか。
 いずれにしても、彼が間違いに気づいてくれていたことに変わりは無い。
 救ってやることができなかったという事実が重く圧し掛かってきて、なんだか今度はこっちが泣いてしまいそうだ。
 そんな中、派手に音を立てながら、瓦礫はまだ継続して降ってきている。
 雪の如く上に新たな層として積もり、もはや顔を覗かせることすら困難なほどとなっていた。身体にかかる重量も大きくなり、押し潰されそうになった四肢と胴体が激しく痛みを発する。
 そして、事態はさらに最悪の方向へと急激に進んでいく。
「あれは――」
 何かを見て木田が一瞬言葉を失う。
「ちくしょう! ついに火の手が回ってきやがった!」
 木田の表情には絶望が満ち溢れていた。
 ひび割れた壁面を照らす、揺らめく赤い光。灼熱の中でパチパチと音をたてる木の壁が、鼻につく匂いを含んだ煙を放ちだしている。煙たさに喉の奥が痛くなる。
部屋の中の温度が確実に、急激に上昇していっていた。
「桂木!」
 呻き声をもらす同僚を心から心配して、瓦礫を飛び越えながら木田が駆け寄ってくる。
「俺のことは放っておいて大丈夫だ……」
「何を言っている? 大丈夫なわけないだろ。本当に潰されちまうぞ」
「いいんだ……。もはや誰の力をもってしても……生還は難しい……。それよりも、聞いてほしいことがある」
 木田はあからさまに怪訝そうな顔をした。死が目の前まで迫っている中で「そんなことよりも――」は無いだろう、と言いたいのだ。
「時間が無い。要約しつつ一度しか言わないから、特に真剣になって聞いてくれ……」
「いったい何の話をするつもりだ!」
「色々だ……。ここで起こったこと……事の真相について俺が知っている全てをお前に託す……」
「馬鹿な! どんな重要なことを知っているのか知らないが、それこそ今するべきことじゃないだろう。お前がここを脱出してから、ゆっくり話せばいいはずだ」
 こういうとき、木田は往生際が悪い。桂木の制止を無視してまで瓦礫に食らい付く。何をしても力が及ばないであろうと、頭の中で半分は分かっているであろうに。
 この男は昔からこうだ。
「分かった……。お前の好きなようにやればいいさ。しかし俺も好きなように話させてもらうぞ……。もちろんお前がちゃんと聞いてくれていると信じつつな……」
 桂木は語り出す。醍醐が今回のプログラムを復讐のために利用しようと思い立つまでの経緯。担当教官を操り、プログラムを円滑に推し進めることを謀った御堂の企み。そして、春日千秋と醍醐一郎の間の、知られざる意外な関係について。
 何一つとして包み隠すこと無く話した。ここで木田に伝えなければ、竹倉学園の火災を発端に始まった一連の悲劇について、真実を知る者がいなくなってしまう。情報の一部たりとも永遠の闇の中に葬られてしまうような事態だけは、絶対に避けなければならなかった。
 木田だってそれを分かってくれている。
 桂木に圧し掛かっている瓦礫にしがみつきながらも、耳と意識はこちらに傾けてくれていた。
 彼だって真実を知りたかったのだ。そして、それを知った上で人々に語り継げなければならないと考えていたに違いなかった。最愛の息子を火事で失ったという、まさに悲劇の当事者であるのだから。
 木田は泣いていた。様々な人間が味わった悲しい思いを、話を聞いたことで彼も感じたのだろうか。いや、確かにそれもあったかもしれないが、このとき流した涙については、大切な同僚に迫る死が避けようの無いものなのだと気付きつつも、それを受け入れたくないという思いの表れだったのではないかと考えられる。
 彼は本当に優しい人間だ。だからこそ失いたくはない。
「俺がお前に託したかった話は……これで以上だ。急ぎのために多少の省略はやはりあったかもしれないが……、それでも大方は伝わったかと思う……」
「しかし、まさか……そんなことが……」
 初めて耳にした衝撃的な話の数々を、木田はやはりすんなりと受け入れていいものか迷っている様子だった。
「もちろん……どれも突然の話で信じがたい内容も多かっただろうが、全て真実なのだと信じてもらいたい……」
 既に意識を保つことにも限界が近づいてきていた。話している間にも、思考が働かない瞬間が何度かあった。
「さあ、建物ももう限界が近い……。いつ屋根そのものが落ちてくるか分からないし……、最悪な事態が起こる前に、今度こそお前は早く退却するんだ……」
「どうしても……、俺はお前を助けられなくても、一人で逃げなければならないのか……」
 それは桂木に向けた言葉というより、自問自答に近いように思われた。木田はおそらく、もう既に一つの答えを頭の中で固めているのだろう。桂木から伝えられた真実を絶やさぬために、自分自身が生き延びなければならない、と。ただ桂木を見捨てるという決断に対して、踏ん切りがつかないだけなのだ。
 かつて親友の死の危機を前にして、すぐに逃げ出せなかった千秋たちと一緒だ。自分達の命や、他から受け継いできた物がどれだけ大事か知っていながらも、大切な人の危機を無視してまで生き延びることを選択できない。きっとそれは、知恵と感情を持ち備えた人間と言う生物の特異性なのだろう。


 危険を冒してまで仲間の生命に執着してくれる木田の姿を見て、桂木は場違いにも嬉しく思ってしまった。もはや死への恐怖なんて掻き消されて、ほとんど感じられない。
「なあ……木田……」
 か細い声。しかし相手に届いたはずだ。
「かつて俺達の心に夢と希望が満ち溢れていた若かりし頃のように……もう一度だけ……、酒でも飲み交わしながらお前と朝まで語り明かしたかった……」
 涙を浮かべつつも木田が微かに笑った。
「それも、お前行き着けの松乃屋で、だろ?」
 木田の言葉に一瞬戸惑ったが、すぐに桂木もくすりと笑う。
「ああ……、それが叶うならば最高だった……」
 二人の消え入りそうなほどに小さい笑い声が行き交う中、建物の崩壊はついに最終曲面に突入する。激しく音をたてながら崩れる屋根が、残された者たち全てを飲みこまんと降り注いでくる。
「じゃあな……。後は頼……」
 言い切る直前、折れた太い梁と屋根の破片が一斉に落ちてきて、桂木の姿を一瞬にして飲み込んでしまった。
 それを目の前にした木田の悲痛な声が響く。
「桂木ぃぃぃぃぃっ!」


 醍醐一郎(プログラム担当教官)――『死亡』

 桂木幸太郎(プログラム補佐官)――『死亡』

【残り 四人】
←戻る メニュー 進む→
トップに戻る



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送