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−ひびわれた深層(9)−

 巨大な刃を打ち込まれた背中を中心に桜の身体が折れ曲がった途端、凄まじい勢いで周囲に血が撒き散らされる。その様を呆然と見ていた千秋の両眼は、ぐらりとよろける桜の向こうに人の姿をはっきりと捉えた。
 いったいいつの間に近づいてきていたのだろうか。桜のことばかりに気をとられていたために、第三者の存在に今まで全く気がついていなかった。
 キュロットスカートとブレザーを返り血で真っ赤に染め上げたその人物は、血走った目を見開きながら、桜の背中に入り込んでいた刃を一気に引き抜いた。朝日をバックに浮かび上がるシルエットから、その凶器がナタであるとすぐに分かった。
 鋭く重い一撃によって、桜の背中は骨ごと砕かれてしまっただろう。千秋がそう思ってしまうくらいに、新たに現れた敵の、たった一発の攻撃は強烈だった。
「白石さん!」
 重心を崩す白髪の少女に向かって叫ぶ。負ったばかりの傷の酷さからして、もはやただ立っていることすらもままならないであろうと思われた。だが千秋のそんな考えをよそに、桜はそのまま力なく倒れたりはしなかった。もちろん重心が安定しない身体が前後左右に大きく揺れてはいたが、体勢を整え直そうとする力が働いて、一時的にとはいえ崩落だけは免れていたのだった。
 だが、桜にさらに危機は迫る。敵は容赦なく二撃目を浴びせるべく、小さな左の肩を狙って頭の上から武器を振り下ろす。
 桜にそれをやり過ごす術は無い。再びナタを受け入れてしまった身体から血飛沫が舞う。
 首の数センチ横からめり込んだ刃は、未発達な乳房の上部にまで達していた。本来鎖骨があるべき箇所をも、刃先はすんなりと通り過ぎていたのだ。千秋の耳に届いた、ゴキッと何かが砕けるような音が、只今の一撃の重みを生々しく物語っていた。
 まるで舞でも踊っているかのように身体を回転させる桜。その旋回動作に乗せるようにして、彼女は握り締めていたマシンガンを敵の姿に向かって振るう。はたしてその行為は、自己防衛本能によるものなのか、それとも未だクラスメートへの殺意が残されていたための行動なのか、千秋には分からない。確かなのは、負傷により身体機能を大幅に下げられてしまった桜の攻撃にはもはや勢いは無く、敵の猛威を振り払うには至らないということ。
 その動作からはかつての俊敏さなど微塵も感じられず、千秋ですら容易に回避できるように思われた。案の定、実際に今桜と対峙している相手は、上半身を少し後ろに仰け反らせるだけで簡単に、振るわれたマシンガンをかわしてみせる。
 やはり桜に勝ちの目は無い。このままではあの血塗られたナタの餌食となって、命を落としてしまうだけだ。
「もう逃げて! 白石さん!」
 しかし桜は反撃を止めようとしない。自らの身体の回転がおさまる頃合を見計らって、タイミングよくマシンガンを振り上げ、そして相手の頭の真っ芯を狙って一気に下ろした。
 重傷を負っているにしては、今回の攻撃はなかなかに狙いも力の入れ具合も良い。先ほどのふらつきながら放った一発とは全く違った。ここ数日間で培われてきた彼女の戦闘技術は、千秋の想像の範囲にはとても収まらないほどに成長していたようだ。
 さすがに敵も今回ばかりは、襲い来る銃底による打撃を身に受けるしかないかと思った。しかし、実際にはそうでもなかった。危険を察知した相手は、瞬時に桜の動きから攻撃の軌道を見定め、身体を横に移動させて見事に回避してみせたのだ。
 ほんの一瞬の動作であったが、反応、瞬発力、地を蹴る足の力強さ、どれをとっても中学生の女になせる業には思えなかった。
 いったい彼女の身に何が起こったというのだろうか。千秋が以前に見たときより体格が一まわりも二まわりも大きくなっており、ここ十数時間の間に、何か尋常でない出来事があったというのは間違いなかった。
 そしてここにきて桜についに限界が訪れたのか、マシンガンが手から離れて地面に落ちる。二度に渡る反撃にて、僅かに残されていた力を使い切ってしまったのだろう。


 よろけて倒れそうになっている桜をなんとか助けようと、千秋は負傷した肩を抑えながら立ち上がろうとした。だがもう遅い。ふらついた勢いのままに身体を反転させた桜の後ろから、敵は白髪の頭に向かってナタを振り下ろしたのだ。
「やめて!」
 千秋の悲鳴のような声が、周囲の森林の中に響き渡る。
 それは悪夢のような光景だった。
 頭頂部から入り込んだ刃は、堅いはずの頭蓋骨をいとも簡単に粉砕し、額の辺りにまで割目を作った。これまで以上に凄まじい勢いで噴出す血によって、真っ白だったはずの桜の頭部が真っ赤に変わる。そして顔つきは急激に変化し、かつての端麗さが失わされる。表情が変わったどころの話ではない。頭部の構造自体が過度の圧迫によって変形し、全くの別人のようになってしまっていたのだ。
 恐ろしさと悲しさの両方に襲われて、もはや千秋は声も出せない。
 ついさっき、桜は僅かながらも元の自分を取り戻しかけていた。少なくとも、千秋にはそのように思えていた。そんな中、なぜこんなことが起こらなければならないのか。
 スイカのように割られた頭頂部から赤身を覗かせた状態で、桜はついに力尽き、倒れた。
 地面の上に寝そべったまま、少しの間は痙攣のような僅かな動作を繰り返していたが、それも徐々に失われていく。そんな中で、桜は一度口を小さく動かして、なにやら言葉を発しているようだったが、声があまりに小さくて、聞き取ることなどとてもできなかった。
 やがて意識が遠のいてきたのか、彼女はゆっくりと目を閉じて息を引き取った。凄惨な殺され方をしたにも関わらず、薄っすら笑みのようなものを浮かばせた安らかな顔をしていた。
 いったい、桜は最後に何を思って、時の流れから自らを解放したのだろうか。
 痙攣も止まり、ただの屍骸へと成り果てた少女の姿を見ていると、悲しみが込み上げてきて景色がぼやけた。同時に、禍々しい殺意に包まれるのを感じて身が震えだす。
「ひっ!」
 桜を倒したばかりの敵へと視線を動かすと、相手もまたこちらを見ていたらしく、真っ向から目が合ってしまった。
 上腕筋が隆起する力の強そうな腕が、ナタを振りながら刃先に付いた血を落とす。前に会った時と比べ、どういうわけか筋肉が発達して身体の各所がひとまわり大きくなっているが、特徴的な包帯ずくめの姿を見て誰なのか分からないはずがなかった。御影霞(女子二十番)だ。
 彼女の身に何が起こったのか、千秋に知る由など無い。プログラム中に人から人へと渡ってきた、悪魔の薬物の存在すらも知らないのだから。
 当然、事実に近い想像すらも思い浮かばない。いや、そもそも千秋は霞の身体強化の理由など考えようともしていなかった。生命の窮地に立たされている彼女にとって、そんなことなど大きな問題ではなかったのだ。
「み、み、御影さん……」
 千秋の身体の震えがこれまでに無いほど激しくなる。
 相手の目つきは本気だった。次に殺されるのは自分だ、と、誰に言われるわけでも無く予見できる。
 桜が惨殺されるのを目の当たりにした矢先、自分へと矛先が向けられる恐怖は、半端なものではなかった。自力で沈めることなど不可能。
 すると霞は千秋と目を合わせたまま、一歩二歩と前へと歩き出した。そして、地に付いたままの桜の細い指を踏み潰しながら、ナタを高く振り上げる。
「次は、あなたが……廃棄される番……」
 まるで目の前の相手をプラスチック製か何かの玩具程度にしか感じていないような言い草。彼女にとっては千秋など、所詮その程度の存在でしかないのだろう。
 肩を壊し、見た目にも分かるほどに疲労しているうえ、さらに武器も持っていないとあっては、確かに戦うことも逃げることも無意味に思えた。
 返り血で真っ赤なペイントを施された顔が近づいてくる。
「た、助けて……」
 恐怖に支配される中でなんとか搾り出した声は、自分の耳でも聞き取れないほど小さいうえに掠れていた。


 白石桜(女子十番)―――『死亡』

【残り 四人】
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