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−暁の水上決戦(10)−

 心拍が早まって体温が一気に上昇する。身体中の穴という穴の全てから汗がどんどんと噴き出してきた。
 胸倉を掴まれてムリヤリに連れて来られたのは、とある教室。入った途端に鼻につく異臭を感じ、急激に気分が悪くなった。床の上に崩れ落ちたまま放置されている少女の遺体に目が留まると、眩暈までもが始まって、危うく倒れそうになってしまう。
 ここは地獄だ……。
 呆然と立ち尽くしていたところで、ようやく胸倉を掴んでいた男の手から解放される。
「どうしてこんな所に連れて来られたのか、分かるか?」
 型崩れした服を整え直す余裕も無い桂木幸太郎の前で、醍醐一郎が一歩後ろに下がりながら内ポケットから何かを取り出す。リボルバー式の拳銃だった。大きな右手でグリップをしっかりと握り、黒くて威圧感のある発射口をしっかりと前方に向けて構える。
「キサマを撃ち殺すことになったとしても、ここなら死体の掃除を一度で済ませることが出来るからだ」
 憎々しげに桂木の方を見ながら醍醐が言った。
 そう、ここは鬼鳴島へと連れて来られた梅林中三年六組の生徒達が最初に放り込まれ、プログラムについての説明を受けた教室だ。足元に転がっている少女の遺体は首輪の爆破による破損が酷く、周囲に肉片を飛び散らせた首元からは白い骨が覗いている。流れ出た大量の血は板張りの床に染み込んだまま、丸一日以上の時間が経過して今や完全に凝固してしまっている。プログラム終了後の後片付けはなかなかに大変そうである。
 確かに醍醐が言うとおり、人をまたこの建物内で殺すのなら、複数の部屋を血で汚してしまうよりも、一つの部屋にまとめてしまった方が後で色々と楽そうだ。などと、桂木は他人事のように思った。あまりの恐怖で思考が少しおかしくなってしまっていたのかもしれない。
「まあ、そう緊張するな。色々と聞きたいこともあるし、すぐに殺したりはしないからさ」
 と言いつつも、醍醐はいつでも撃てるようにと、既に引き金に人差し指を添えている。少しでも彼の癇に障るようなことをしてしまえば、もはや命は無いものと思われる。
「それじゃあ聞こうか。今回プログラム妨害を行ったのは、桂木幸太郎、お前に間違いはないわな?」
 醍醐が聞く。もちろん銃はこちらに向けたままだ。だが桂木は「そうです」なんて正直に言うこともできるはずがなく、当然のように黙り込んでしまう。
「だんまりか。まあそれもいいだろう。どうせ何も言わなくてもお前が犯人だとこちらは確信を持っている。それに、もし否定したとしてもワシはそれを信じるつもりは無い」
 じゃあ聞いてくれるなよ、と思ったが、もちろんこれも口に出せるはずがなかった。
「質問を変えよう。今回の犯行はお前一人で行ったものなのかどうか。要するに、共犯者がいたんじゃないかということだが、どうなんだ?」
「……」
 さらに答えられるはずの無い質問だった。先ほどはどんな回答をしようとも、危害を加えられる可能性があるのは自分だけであったが、今回は返答を誤れば木田にまで醍醐の牙が向けられてしまうかもしれない。
 自分を思いやって協力してくれた恩人を巻き込みたくはなかった。
 桂木は必死に考える。ここはどう答えるべきなのかを。先ほどのように沈黙を続けるべきか。いや、質問に答えを返さないのは痛いところを突かれたためだ、と醍醐が解釈してしまう恐れがある。かといって先ほどは無言で通したのに、今回に限って声に出して否定するというのもあまりに不自然だ。
 桂木は考えに考えた末、こう答えた。
「共犯者がいるも何も、私は本当に何もしていないんです」
 話の逆戻り。論点のすり替え。苦し紛れに吐いた台詞であったが、よくよく考えてみると我ながらに上手いと思った。共犯者の存在について濁すことができるし、流れにもなんら不自然なところは見られない。それに一度済んだ話をわざわざもう一度繰り返すことで、千秋たちが作戦を実行させるまでの時間稼ぎにもなる。
 もちろんこんなことで桂木への疑い自体が晴れることなんてありえないが、今はもう自分の命を捨ててでも木田に危害が及ぶのを防ぎたかった。
 当然、醍醐は激昂する。
「キサマァ! この期に及んでまだ白を切るつもりか!」
「教官、落ち着いてください!」
 怒りに任せて醍醐が銃の引き金を引きそうになったのを見て、後ろに立っていた御堂一尉が止めに入る。危なかった。彼の存在が無かったら、今の一件にて桂木はもう撃たれてしまっていただろう。
「お気持ちは分かります。しかし、まだ彼からは聞き出したいことが山ほどあるはず。殺すなら全てを吐かせてからでも遅くないでしょう」
「分かった分かった。分かったから手を離せ!」
 御堂の鍛え上げられた手に全力で掴まれれば、さすがの醍醐もそれを振り切って銃を撃つことはできなかったようだ。時間を置いて冷静さを取り戻したと判断してもらえたところで、ようやく腕が解放された。
「……ったく、馬鹿力めが」
 聞き取れないほどの小さな声で言いながら圧迫され続けていた腕を押さえ、醍醐は桂木の方へと目線を戻す。
「いいか桂木。先の発言によってお前が犯人だということは既に証明されているんだ。これ以上粘っても全くの無意味だ。さあ、さっさと吐いた方が身のためだぞ」
「だから、さっきのは何かの間違いで、つい、なんとなく思いついたことを口にしただけなんです」
「まだそんなことを言い続けるか。分かった、それならこちらにも考えがある。おい御堂」
 いくら追求しても一向に口を割ろうとしない桂木のことは一度置いておいて、醍醐は御堂の方を向いた。
「はい? なんでしょうか」
「今すぐ本部に戻って、生き残っている生徒のうち一人の首輪を爆破してこい」
 醍醐の思い切った発言に驚かされたのは桂木のみではなかった。話を振られた御堂一尉も瞬時に目を大きく見開き、うろたえた様子で聞き返す。
「き、教官、正気で言っておられますか? いったいどういう理由でそんなことを……」
「なぁに、この男がプログラムを妨害したのは、今回の参加者の誰かを助けたかったからなのかもしれないからさ。やられっぱなしでいるのも癪だし、試しに一人くらい殺してみるのも一興かと思ってな」
「しかし、今回のプログラムでは既に我々は三人もの生徒を殺してしまっています。大した理由もなしに、しかも終盤に入った大事なこの時期になっても無用な殺しを続けていては、戦闘データの信頼性を損なわせたとして醍醐教官が上からお咎めを受けることなるかと」
「始末書でも何でも書いてやるし、どんな罰でも受けてやるさ」
「分かりました、最高責任者である教官がそこまで言うのなら仕方がありません。それではいったい誰を殺しましょうか」
「誰でもいい。いや、とりあえずワシのお気に入りの御影霞は残しておいてくれ。それ以外の中から一人適当に選んでくれ」
 了解、と踵を返して部屋から出て行こうとする御堂に向かって、桂木はついに耐え切れなくなって言った。
「待ってくれ!」
 すると御堂は扉に手をかけたまま、醍醐は腰に両手を当てた状態で桂木の方へと振り返った。
「それは……止めておいた方がいいのではないでしょうか……」
 なんとか今の流れを断ち切ろうと震えた声を必死に出す。ボロが出るのを待っていましたと言わんばかりに、醍醐は満面の笑みを浮かべて近寄ってきた。
「なんだね桂木くん。やっぱり今回の参加者の中に、君が助けたいと思うような子がいたのかね?」
 全て分かったかのような顔をしている醍醐を見て、生き残った生徒を殺すといった先ほどの発言が罠であったとようやく気付いた。彼は桂木に尻尾を出させるために、あえてあのような命令を御堂に出したのだ。
「その子と君はいったいどういう関係なんだ? 単なる知り合いか、それとも親戚か――まさか親子だなんてことはあるまいな」
 顔を近づけてくる醍醐の吐息が頬にかかる。生ぬるい感触がとてつもなく気持ち悪い。
「御堂。御影霞の他に今は誰が生きていたっけ?」
「春日千秋と白石桜、それに蓮木風花。あと男子が一人、土屋怜二です」
「そうだったそうだった。なあ桂木、この五人の中にお前が助けたいと思っている人物が居るんだろう? そうだろう?」
 醍醐の目はギラギラと光り輝いている。力を失っていた魚が水を得て元気になったかのよう。
「ワシさぁ、ちょっといい事を考えたんだ。何って? 簡単な取り引きさ。お前が共犯者の名前を吐かなければ、今すぐこの中の一人を御堂に殺させるというな。まあ取り引きとはいっても、お前に得なことは何一つ無いんだがなぁ」
 プククッ、と口を押さえながら醍醐が一人で笑っている。もはや不要と判断したのか、先ほどまで構えていた銃もいつの間にか下ろしてしまっていた。
「さあ、どうする? 共犯者か、お前が助けたいと思っていた生徒か、一体どっちが先に死んだらいいと思う?」
 何も言えない桂木。ただ、目の前の男が憎くて憎くてしょうがなかった。自分の復讐のためなら誰が死んでも構わないという、横暴で身勝手な醍醐一郎。そう、この男はとてつもなく身勝手なのだ。田中一郎と名乗っていた彼の正体が初めて判明した時から、薄々と感じ始めていた違和感。それが今になって完全に核心へと変わった。
 こうやってコイツは自らの責任を転嫁しつつ、ずっと生きてきたというのか……。
 プログラムが開始される前日に千秋から聞いた、ある話が思い出される。そして、憤りが募る。
「誰も死なせない……」
 桂木は小さく呟く。先ほどとは違う理由で唇が震えている。
「あ? なんだって?」
「俺はお前みたいな奴なんかに、絶対に誰も殺させない!」
 叫ぶ。それと同時に、桂木は無意識のうちに醍醐に飛び掛っていた。

【残り 五人】
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