170
−暁の水上決戦(7)−

 唐突に、プログラム本部がざわめきたった。爆弾、ダムの破壊、計画、と聞き逃すことの出来ない意味ありげなワードが盗聴機越しに次々と飛び出してきたからだ。春日千秋と蓮木風花。兵士達の誰もを驚かせた声の主は紛れも無く彼女達だった。
「おい、水門を破壊するってどういうことだ」
「分からねぇ。たださっきの爆発音といい、ただ事ではないというのは確かだ」
「まさかこいつら、本当にこの島から脱出するつもりなんじゃ……」
 数少ない情報から導き出したそれぞれの考えを、皆が口々に発言する。どうやら、千秋達の企みはもう政府側に完全に知られてしまったといってもいいような状態になってしまったようだ。兵士達の考えを全て合わせて紡いでいくと、手製爆弾でダムを破壊してプログラム本部を水攻めにし、メインコンピューターを不能にする、という計画の全貌がはっきりと浮き上がってきてしまう。
 非常に危険な状態だった。千秋達がプログラム管理側から危険分子と判断されてしまったら、いつ遠隔操作で首輪を爆破されてしまってもおかしくない。この事態を回避するためには、抹殺の決断が下されるよりも先に千秋たちが計画を成功させてプログラムの機能を失わせてしまうか、桂木か木田のどちらかが再び何らかの妨害手段をとらなければならなかった。
 しかし桂木は現在この場にいない。事態の収束を図るどころか、今起こっている最大のピンチにも気がついていないはずだ。となると、事を改善に向かわせるために動けるのは、木田しかいないということになる。
 だがその木田も他の大勢の兵士達に囲まれている状態では、千秋達を助けるために行動を起こすことは不可能だった。
 部屋の端のコンピューターの前に座って千秋達の盗聴機から流れてくる音声を聞きつつ、ただただ祈っていることしかできない。
 頼む。担当教官達に処刑の判断を下されてしまうよりも前に、計画を実行に移して成功させてくれ。と。それは内部の人間によるプログラム妨害が発覚したことによって、自分達に刑罰が下るのを恐れていたためではなく、単純に千秋達の生還を思っての祈りだった。元々は一人で悩む桂木を見て見ぬふりはできないという理由だけで計画に手を貸すことを決めた彼だったが、五年前に亡くなった自らの息子の姿とシンクロしてしまったのか、いつしか木田自身もが千秋たちが無事でいて欲しいと思うようになっていたのだった。
 モニターに映る島の全景地図を見ると、水上を移動する千秋たちが徐々に水門へと近づいていっているのが確認できる。兵士達の誰もが、そろそろ何らかの手を下さなければならないと、思い始めていることだろう。
 しかし、不幸の中にも幸いなことがいくつかあった。
 今この場にいる兵士たちの中に、独断でプログラム参加者を排除できるような権限がある人間なんて一人もいない、ということ。浅はかな判断で生徒達を殺しすぎたりしてしまわないよう、一介の兵士の考えのみで首輪を爆破させてしまったりしてはならないと、あらかじめ決められているのである。
 そんなわけで、下っ端兵士の一人がすぐに部屋を飛び出して醍醐教官に現状報告しに行くわけだが、千秋たちが今にも水門に到着してしまいそうな今にとって、それは大きなタイムロスだった。千秋たちが話していたことを一から説明していると、それが致命傷となって対応が間に合わなくなってしまう可能性がある。
 仮に間に合ったとしても、そこから醍醐が瞬時に首輪爆破の判断を下すことはないかもしれない。
 年に五十回開催されるプログラムの中で、脱走を図る生徒なんてこれまでにいくらでも存在した。しかしそのほとんどが脱出のための有効な策なんて考え付かず、結局は数日以内に命を落としてしまう。今や政府の中ではほとんど日常茶飯事として知られていることだ。そのため一人や二人脱出を企んでいる生徒がいると知っても、醍醐はごく当然のこととして軽視してしまう可能性がある。
 以上が、千秋たちが無事に脱出できるという可能性を存続させている、数少ない要素である。
 もちろん木田が考えているような都合の良い話が続くかどうかは分からないが、おかげでまだ完全に希望を捨てずには済んでいた。
 下っ端兵士が報告のために部屋から出て行っている間も、他の者は皆千秋達の言葉に耳を傾け続けている。長い間盗聴回路が不能になっていたせいで、千秋たちが練っていた脱出計画についての情報が不足しているのだ。より適切な判断を醍醐に下してもらうためにも、早急に計画の全貌を知って説明できる状態にする必要があった。しかしボートに乗って水の上を進み始めてから、千秋も風花も追っ手がもう来ないことに安心しきってしまったか、急激に口数が少なくなっている。これではいくらヘッドフォンに耳を押し付けたところで、有力な情報なんて一つも入ってこない。
 部屋全体が焦りと苛立ちに支配される。今すぐにも千秋と風花の首輪を爆破して、この重苦しい雰囲気から解放されたいと何人もが思っていたかもしれないが、それを実行に移すことは絶対に許されない。今回のプログラムでは、相沢智香、吉田浩之、湯川利久、と既に三人もの生徒を政府が退場させているのだ。ここでさらに千秋と風花を消してしまえば、政府が参加者の九分の一をも消してしまったということになる。戦闘データを取ることを目的としている中で、それはプログラム丸々一つを無駄にしてしまう可能性がある愚かな行為であったといえる。
 それに、湯川利久に関しては、プログラムに打撃を与えるようなことは全く行っていないのに、担当教官が私情にとらわれた果てに殺害してしまったという、いわば失態であった。これ以上ミスを繰り返せば今度は自分達が危うい立場に追いやられると、兵士達は皆分かっている。
 軽はずみなことは出来ない。
 そんな考えを胸に、兵士達は静かに状況の流れを見ていることしか出来なかった。無駄に生徒達を殺しすぎてしまったために、プログラムを管理していた兵士全員に重い罰が与えられたという事例が、過去にいくつか存在しているのだ。
 少しして、状況報告のために出て行った下っ端兵士が本部に戻ってきた。が、連れて来るだろうと思われた醍醐教官の姿はどこにも無い。御堂一尉もだ。
 全員が訝しげに見ていると、戻ってきたばかりの兵士は焦り気味に言った。
「担当教官たちが廊下にいません」
 先ほどまで、醍醐たちは兵士一人一人を連れ出しては、廊下で何か話をしていた。だから今も変わらず同じところにいるはずだと、下っ端兵士は思っていたのだろう。しかし当然だと思っていた予想が外れてしまったために、急激に焦りが沸いてきたのだった。
「ちゃんと隅から隅まで見たのか?」
「はい。もしかしたら何処かの部屋に入ってしまっているのかも」
 もともとは島唯一の学校として使われていたこの建物。部屋数が多いわけではないが決して少なくも無い。
「手分けして急いで探せ」
 誰かが叫ぶと同時に兵士達の多くが騒がしく廊下へと飛び出していった。
 そんな中、木田は言い知れぬ不安にとらわれていた。
 醍醐たちは桂木を廊下へと連れ出していった。すぐに話は済んで桂木は戻ってくるだろうと思っていた。しかし、桂木は戻らず醍醐たちと共に姿を眩ませた。
 まさか、まさか……。
 嫌な予感が頭をよぎる。最悪なシナリオが頭の中で素早く構築されて、背筋が急激に冷たくなった。
 木田は思った。このままでは桂木が殺される、と。

【残り 五人】
←戻る メニュー 進む→
トップに戻る



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送