017
−白い悪魔(1)−

 二年前のクリスマスに、一人の少女が病室の中で静かに息を引き取った。
 死因は窒息死。天井から吊るしたビニール紐を使っての首吊り自殺だった。
 その光景を初めて目にしたとき、私は出入り口付近で立ちすくんでしまい、ただ息を呑むことしかできなかった。
 巨大な罪悪感がのしかかってくる。
 私が……彼女を殺した……?

「おい翠、大丈夫か?」
 まるで夢の中をさまよっているかのように、虚ろな目つきでどこか遠くのほうを見ているようだった少女に向けて、風間雅晴(男子四番)は心配そうに呼びかけた。
 少女は雅晴の声によって意識を現実へと引き戻されたらしく、目の焦点をしっかりと合わせて、ゆっくりと彼のほうを振り向いた。
「大丈夫。ちょっと色々と考え事をしてただけ」
 彼女、烏丸翠(女子五番)はしっかりとそう言いはしたが、無理に平静を装っているのが雅晴の目には明らかだった。
 これは彼女の悪い癖。何か悩み事などがあっても、他人に相談など一切せず、いつも自分一人だけで何とかしようとするのだ。生まれながらに持ち備えた気丈な性格がそうさせているのだろう。
 いつもの雅晴なら、翠のことを心配して、何を考えていたのかをこの後もしつこく問いただそうとするところなのだが、今回は「そうか」とだけ言って、話を早々に切り上げた。翠はクラスメート同士による殺し合いという現実に参っているだけと考え、これ以上の詮索は無用と判断したのだ。だが、彼女が時折見せる悲しそうな表情が、プログラムに対する恐怖とは違った何かを表しているようで、どうも腑に落ちなかった。
 はたして、彼女は今何を考えているのだろうか。
 翠と雅晴はお互いのことを下の名で呼び合う仲だった。付き合い始めたのは二年前。松乃中の事件のおよそ一ヶ月後からだ。
 今やクラス公認の仲となっている二人は、級友の誰からも羨まれた。男女どちらもクラス内ではトップクラスに入るほどの美形で、あまりにもお似合いのカップルだったからだ。
 そんな二人がプログラム会場内で偶然出会えたというのは、本当に不幸中の幸いだったと言えよう。
 森林内をさまよっていた二人は鉢合わせて以来、大木を背もたれに座り、ずっと相手から離れようとはしなかった。狂気に満ち溢れたこの島の中で、たった一人でいるということの恐ろしさは、もう十分に理解できていたし、愛しい人が側にいるという事実は、何よりも心強かったからだ。
「俺達、本当に一緒に生きて帰れないんだろうか……」
 雅晴はふとそんなことを言ってみたが、それは考えるまでも無い話だった。担当教官の田中が言った、爆弾入りの首輪の話によると、この島から脱走するのは不可能。残された生還の道は、自分以外の生徒全員が死に、たった一人の優勝者となる他には無い。つまり、翠と雅晴の二人ともがこの島から出ることは不可能なのだ。
 翠は黙ったままだった。何かを深く考えているらしく、何者をも寄せ付けぬほどの真剣な表情を浮かべている。だけど、彼女の目はやはり虚ろで、何処を見ているのかはさっぱり分からない。
 もしかして翠は、自分には見えない異世界の光景を目にする力を持っているのではないだろうか。
 翠の顔を見ているうちに、そんな馬鹿馬鹿しい想像をしてしまった。
 それにしても、こんなところを誰かに見つかり、もしも襲い掛かられたりしたならば、自分達は身を守ることができるだろうか。
 翠の手元へと目を向ける。彼女の白い手の中にしっかりと収まっているのはリボルバー式の拳銃、コルトロウマン。プログラム内で支給される武器の中では、おそらく“アタリ”に該当するのであろうと思われるそれ自体は実に心強いが、それを持つ翠がきちんと扱えるかどうかが心配だ。
 現段階では、二人の役に立ちそうな武器は、翠が持つその銃のみ。当然雅晴にも武器は支給されているのだが、デイパックに入っていたのは白い粉と注射器のみで、その使い道が全く分からない。
 まあいい……。拳銃一つだけでも、あれば十分に心強い。俺がこれからも周りに気を配ってさえいれば、誰かが近づいてきたって気づくだろうし、翠だって危険が迫れば、自分の身を守ろうとくらいするだろう。それに、もしも現れたのが敵で、二人に襲い掛かってきたとしても、俺が盾になれば、翠一人くらいは逃げ切れるはずだ……。そうだ、俺は身を投げ出してでも、最期まで翠を守ってやる。
 雅晴はそんなことを考えながら、何も握られていない拳をぎゅっと握り締めた。
「……ねえ、雅晴」
 これまでほとんど言葉を発さなかった翠が、急に口を開いた。
「ん、なんだ?」
 雅晴は、もしかして心の中を読まれていたのかと思い、少々驚いてしまった。
 翠はゆっくりとこちらを振り向いた。彼女の眼差しは真剣で、まるで何もかもを見透かしているようだった。それは先ほどまでの虚ろな視線とは違い、間違いなくその目の中には雅晴の姿が映っていた。
「私ね、今までのことを色々と思い出してたんだ。二年前の火災の後、雅晴に告白されたのをきっかけに付き合い始めて……。本当にいろんなことがあったよね……」
「ああ……そうだな」
 二年前、雅晴は確かに自分の想いを翠に告白した。多くの人命が消えた、あの松乃中大火災を実体験したことによって、人との別れなんていつ訪れるか分からないのだと知り、チャンスある今のうちにと急いで想いを告げた記憶がある。急いでとはいっても、恥ずかしさに押し負けて、事件から一ヶ月もの間は開いてしまっていたが。
 今思い出しても、本当に恥ずかしい記憶だ。
「私、あの時は本当に嬉しかった。私も心の奥底では、雅晴に対しての想いを秘めていたから。だから私は雅晴の『好きだ』という真正面からの言葉を素直に受け止めて、あなたと一緒に過ごす時間を楽しんだ。今思っても、本当に幸せな時だった」
 彼女の言葉一つ一つが耳から入ってくるごとに、雅晴は顔を徐々に紅潮させていった。彼女のその言葉には、雅晴をそれほどに恥ずかしがらせるだけの力があったのだ。
「だけど……だけど……」
 突如翠の口調が変わった。先ほどまでの昔を懐かしんでいたときとは違い、その声は悲しみに満ち溢れているように感じた。
「だけど私はとんでもない罪を犯していた。そしてそれを雅晴に隠し続けていた。それは絶対に許されないこと……。だから私はその償いをしなければならない……」
 翠の言っていることの意味が分からなかった。
 罪だって? いったい何なんだそれは。償うって、いったい何をする気なんだ?
「きっと、私がプログラムに選ばれちゃったのも、その罪に対する罰なんだと思うの。だからね、私今までのことを思い出しながら考えてたんだ。私はこれから何をすべきなのかって。そして……ようやくその答えを見つけた……」
 翠の目から涙が溢れた。気丈な彼女が涙を流す姿など、この二年間付き合ってきて一度も見たことが無かったため、雅晴にとってそれは始めて見た光景だった。
「お、おい翠! 何をする気なんだ!」
 雅晴の言葉に反応もせず、翠は右の手をゆっくりと上げ始めた。その手の中には弾の入った拳銃が収まっている。
 今思えば、翠は出発前にこうすることを決めていたのかもしれない。ほとんどの生徒達が動き出せていない中、翠は何かを決心したように前に歩き出していた。そう、彼女はあの時既に“こうすること”を決心していたのだろう。
 コルトロウマンの銃口を自らのこめかみへと向けて、彼女はにっこりと微笑んで言った。
「ねえ雅晴、私達、別れましょう――



 ――永遠に……」

【残り 三十九人】
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