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−暁の水上決戦(2)−

 左右の肩に負担をかけてくる重い爆弾を運びながら、ひたすら山中を歩いていた春日千秋。上り坂を進んでいた途中で何かに気付き、ふいに足を止めた。ぬかるんだ土の中に革靴の底が何センチか沈む。
「銃声が止んだ……」
 つい先ほどまで断続的に島中に響き渡っていた銃撃音。それが今ではすっかり途絶えてしまっている。一応、念のためにと耳を済ませてはみるが、風を受けて揺らめく植物達のざわつき以外には、もう何も聞こえてはこない。
 異変に気付いてすぐ、千秋は自らが歩いてきた道を振り返ったが、誰の姿も見られなかった。
 嫌な予感がした。


 初めに銃声が聞こえたのは、千秋たちが圭吾と別れてから少し経った頃。たぶん、足跡を辿って後ろから付いて来た何者かと圭吾が出会ってしまい、二人の間で銃撃戦が起こったのだと思われる。
 千秋はあまり銃器については詳しい知識を持ってはいないが、それでも銃声は少なくとも二種類以上はあったと聞き分けることが出来た。単発のものと連続したもの。向き合った二人の人間が互いに拳銃とマシンガンを撃ち合っている状況を、容易に思い浮かべることが出来る。
 そして銃声が途絶えたというのは、何らかの形でその戦いに終止符が打たれたということ。最後に聞こえたのはマシンガンの連続した銃撃音だった。圭吾が持つデザートイーグルの音ではないのは確か。となると、彼はもはや生きていないという可能性が高い。
 もちろん、戦いの最中に圭吾がマシンガンを奪い取ったとか、なんとか相手を説得できて誰も死なずに済んだとか、あらゆる可能性を思い浮かべることは可能だ。だが、銃撃戦の末に相手が乱射したマシンガンによって圭吾は倒されてしまった、と考えるのが、やはり現状では最も自然であった。
 駄目よ、千秋。泣いたら駄目。敵を足止めするために比田くんがあたしたちから離れてしまったという時点で、こういう最悪な結末も頭の中に思い浮かんでいたじゃない。
 目の奥から熱い何かが込み上げてくるのを感じ、千秋は泣かないよう急いで自分自身に向かって必死に言い聞かせる。もしここで涙を流してしまったら襲い掛かってくる悲しみの勢いを止められなくなってしまい、自らの精神がぼろぼろと崩れ落ちてしまいそうだった。
 覚悟を決めた圭吾の思いに応えるには、今ここで耐えねばならない。彼の決意を無駄にしないためにも、何があろうとも自分達は力強くひたすら前へと進んで、そして生還を果たさねばなければならないのだ。
 ぎゅっと目を瞑って涙の流れを堰止めする。しかし、ひくひくと痙攣する瞼の弱々しい筋肉では、次から次へと溢れ出てくる水流に耐え続けることなんてとても出来ない。堰は水路いっぱいに押し寄せてきた流れに負けて間もなくして崩壊した。
 続いて膝も崩れ落ちそうになる。これから自分達が破壊しようと思っているダムと一緒だ。一箇所にほんの小さな破損が生じてしまっただけで、瞬く間にひび割れが全体へと伝わっていく。
 一度地面に膝をつけてしまった。だが千秋は気力を振り絞って、すぐに体勢を持ち直した。全身に襲い掛かってくる大きな衝撃に必死に耐え、自分自身の崩壊を見事凌いでみせたのだった。そう、幾多の悲しみを目の前にしながら困難を乗り越えてきた彼女は成長していた。精神の力強さではもはや誰にも引けを取らない。
 さあ、目的地のダムはもう目の前だ。ラストスパートをかけて一気にここを突っ切るよ。
 再び自分へと言い聞かせ、斜面を素早く登っていく。長い間続けてきた重労働によって肉体の方も限界を迎えようとしていたが、火事場の馬鹿力というやつのおかげか、爆弾の重みなんて全く気にならなくなっていた。いや、ひょっとすると、自分が抱えている重さを認知できなくなってしまうほど、身体はもはや壊れきってしまっているのかもしれない。
 長い斜面を登りきって最後の一歩を踏み出すと、雑木にこれまで狭められていた視界が突如として大きく開けた。
 いつかどこかで見たことのある光景。コンクリートで表面を固められた堤が巨大な楕円を形成する中で、カフェオレ色に濁った池が水面を緩やかに揺らしている。黒部ダム。一度圭吾や真緒と一緒に訪れたこの場所に、再び戻ってきたのである。
「やっと着いた……」
 そんな言葉が自然と口から漏れてくる。山代総合病院と黒部ダムは比較的近いところに位置するため、爆弾を抱えながらの移動にもそれほど時間はかかっていなかったが、心身に大きな負担をかけてくる労働は実際よりもとても長くかかっていたように感じられたのだった。
 千秋はすぐさま傾斜のある堤の上を歩いてダム池の端へと向かっていく。降り続いていた雨の影響で貯水量が大幅に増えているらしく、以前よりも水面が近いところに上がってきていた。風花が言っていた通りだ。
 増水によって計画にもたらされる利点は二つ。ダム全体にかかる負担が大きくなっているため、通常よりも水門を破壊しやすくなる。そして水門を上手く破壊することが出来た場合、ダムからあふれ出す水の量が多いほど水流の勢いが増しているため、プログラム本部により大きなダメージを与えられるようになる。
 素人目に見たところ、現在ダムの貯水量は限りなく限界値に近い状態であると思われる。作戦を決行するには最高のコンディションだ。
 一度ドラム缶を地面の上に置いて、キュロットスカートのポケットから地図を取り出す。そして位置を確認。病院を出発する前に皆で話し合って決めた、作戦実行のための最終拠点となる場所を探した。
「あそこだ」
 とても分かりやすい“目印”があったおかげで、ポイントはすぐに見つかった。濡れてボロボロになってしまっている地図を丁寧に畳み、大切にポケットの中へと戻す。そして再度ドラム缶を持ち上げて、その最終拠点へと向かってあと少しだけ堤の上を歩く。
 コンクリートの地面は足が滑ることも沈んでしまうことも無いし、これまで通ってきた山の中の険しい道のりと比べると、圧倒的に歩きやすく感じた。
 すぐに目指したポイントに到達した。身体に大きな負担をかけていた爆弾二つをゆっくりと慎重に下ろし、一息つく。爆弾二つを持って山中を歩くという最も過酷な肉体労働を終え、ほんの少し安堵した。
 残された仕事はただ一つ。病院から運んできたドラム缶爆弾を起爆させて、水門を破壊させるという作戦の最終段階。だがまだそれを実行に移すことは出来ない。三つの爆弾のうち一つを運ぶ風花がまだこの場に到着していないからだ。
 成功率が何パーセントか見当もつかない危険な作戦を、爆弾の数が揃っていない今、千秋の独断で勝手に進めてしまうわけにはいかない。
 仕方ない。待とう。脱出計画の発案者である蓮木さんが来るのを。
 爆弾二つの横に屈みこんで、自分が歩いてきた方向をじっと見つめる。
 風花は言っていた。自分も後から必ず目的地に到着してみせる、と。だから千秋も信じた。自分が見つめている先に、風花は絶対に姿を現してくれるはずだと。だが、そう信じつつも不安を感じていないわけではなかった。
 足跡をつけてきた何者かが、もしも本当に圭吾を倒してしまっていたなら、次に危険なのは風花なのだ。圭吾に勝つような人物が相手では、体力の限界を迎えていて、ろくな武器も持っていない風花なんか、一瞬にして殺されてしまうに違いない。
 不安に耐えられなくなり、千秋は立ち上がった。今通ってきたばかりの道を戻って、風花を助けてあげた方が良いと思ったのだった。ここまで重い爆弾二つをたった一人で運んできたのだ。あと一つくらい楽勝――とは言えないが、残り少ない距離を運ぶのを手伝うくらいなら問題なく行えるだろう。
 千秋は早速、風花のところへと向かって走り出す。二つの爆弾はダム池のほとりに放置したまま。火薬が濡れるのを防ぐために上からビニールを被せてあるので、また強い雨が降りだすとしても大丈夫だろう。
 堤を駆け上ってダムから離れ、雑木林の中に入る。線状に並ぶ自分の足跡を逆方向に辿っていけば、間違いなく風花に会うことが出来るはずだ。バシャバシャと派手に泥を跳ねさせながら、下り坂を急いで進んだ。
 待っていてよ、蓮木さん。今、助けに行くからね。
 目の前に浮かぶ風花の虚像に向かって語りかける。身体の調子を悪くしているのに、懸命に生きようとしている仲間の姿を思い浮かべると、どうしても救ってあげたくて仕方がなかった。

【残り 五人】
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