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−暁の水上決戦(1)−

 午前六時の放送を無事に終え、醍醐一郎は再びソファーの上に、どかっと腰を下ろす。
「コーヒー」
 足を組み、そっぽを向いたまま言った。上機嫌を装いつつマイクの前に立っていた先ほどとは、表情も大違い。
 実際、彼は今もまだとても不機嫌だった。コーヒーがどうかしましたか、などと野暮なことをふざけて発言する人間がいたら、思わず殺してしまいそうなほど。実際には、醍醐の苛立つ姿に恐れをなした兵士達の中に、そんな冗談を口にするような無謀者など一人もいなかったが。
 醍醐の一番近くにいた兵士が急いで部屋の隅にあるポットへと走り、新たなカップにインスタントのコーヒーを淹れる。
「田中教官」
 コーヒー入りのカップが醍醐の前へと届くよりも先に、御堂一尉がソファーの方へとやってきた。何か報告でもあるのだろうか。
「もう醍醐でいいよ、御堂。今さら偽名で通す必要は無い」
「はい、失礼しました。醍醐教官」
 さすが兵達をまとめる上官は違う。怒る醍醐の様子に彼も多少は緊張しているはずだが、平常心を装った態度はじつに堂々としており、恐れを微塵にも感じさせなかった。
「何か動きでもあったか?」
「はい。先ほどの放送が終わった直後、午前六時一分に、男子十七番の比田圭吾が死亡しました」
 醍醐はすぐにペンを手にとって、テーブルの上の書類に生徒死亡の経緯について書き込んだ。
「比田か……。たしか、なにやら不審な会話を続けていたグループの一員だったな」
「そうですね。会話の中に明確な単語があまり出てこなかったので、何を企んでいるのかは未だに分かりかねますが」
 醍醐は首輪からの盗聴回路が復旧して以来、生徒達の言動一つ一つに細心の注意を払ってきた。しかし生き残りが少人数になり、多くの生徒が単独で行動している中では、言葉を発する者などほとんどいなかった。唯一グループを形成したままで会話も頻繁に行っていた圭吾たちに、醍醐の目が向いてしまうのは必然だったといえるだろう。
 圭吾と同じグループにいたのは春日千秋(女子三番)と、蓮木風花(女子十三番)。三人はしばらくエリアH−8の山代総合病院の中に篭城していたが、何らかの目的があるらしく移動を開始した。向かう先は島の中央部よりも少し南に位置する黒部ダム。三人は分担して重い荷物をそれぞれ運んでいたらしいが、それが何なのかは今のところ分かっていない。
 はたして、奴らの目的とはいったい?
 妙な胸騒ぎがする。現状では分からないことが多すぎるが、どうも醍醐の知らないところでろくでもない計画が進んでいるような気がしてならないのだ。
 プログラム参加中に生徒たちが徒党を組む理由なんて限られている。共同戦線を張るためか、仲間と見せかけて隙を突いて裏切るためか、あるいは――微かな望みに賭けて脱走を試みるためか。
 まさかこいつら、この島から外に逃れるつもりなのか?
 モニターに移る数字の移動を見つめながら、醍醐は眉間に深くしわを寄せた。女子三番の春日千秋を示す赤い3が、もうじきダムに到着しようとしている。
「それから、あともう一つだけお話が……」
 醍醐の思考を遮るかのように、御堂が再び隣から口を挟んできた。なぜか声のボリュームを抑えてヒソヒソと。
「できれば部屋の外で話したいのですが」
「なんだ。他の者に聞かれてはマズイことなのか?」
 御堂の考えを読み取り、醍醐も合わせて声を潜めた。御堂は無言のまま頷く。
「分かった、廊下に出よう」
 立ち上がって扉の方へと向かう。兵士の何人かがこちらの動きに気付いたようだが、好都合なことに、何しにどこへ行くのかなど、問いかけてくる者はいなかった。
 廊下に出ると僅かな空気の乱れを肌に感じた。古い建物だから多少の隙間風があってもおかしくはない。そういえば、昨日何処かの部屋で雨漏りがあったと聞いた。
「回路の書き換えについて何か分かったか」
 醍醐は御堂が言おうとしていることが何なのか、なんとなくだが分かっていた。御堂も驚いた様子はなく、「はい」とただ短く応える。
「やはりそうか。しかし誰にも聞かれたくないというのは、どうにも解せんな」
 調査結果くらい皆の前で堂々と話しても問題ないだろうに、と思った。御堂は言いにくそうにしていたが、意を決した様子で口を開いた。
「落ち着いて最後まで聞いてくださいよ」
「なんだ」
「内部犯の可能性が出てきたんです」
 なんだと、とつい大声を出してしまいそうになった。落ち着いてと言われても、聞かされた内容によってはそれが出来ない場合はある。今回はギリギリのところで口を押さえたが。
 御堂はその詳細について説明し始めた。
「外部からの侵入の可能性に重点を置いて、技術兵たちが数人がかりでプログラムが書き換えられた経緯について調査していたのですが、犯人の手口がかなり巧妙だったらしく、初めはかなり驚かされていたようです。しかし」
「しかし?」
「こちらの体勢を知り得ていない外部の人間のハックにしては、侵入からデータの改ざん、さらに後処理まで全てが完璧すぎた。そこで頭を少し切り替え、念のためにと内部犯の可能性も考えてアカウントの情報も調査してみました。犯人が外部の人間だった場合、串を通すなりして侵入の痕跡を偽っていた可能性が高いので、それまであまり目を向けていなかったんですね」
 醍醐はうんうんと頭を前後に振った。
「それで、内部の人間が犯人であるという証拠でも出てきたのか?」
「ええ。出てきたアカウントについて調べてみたところ、予備として政府が持ち込んだものの結局未使用のまま放置されていたノートパソコンのうちの一台だったと分かりました」
「つまりそのノートパソコンを使って、我々の目を盗みつつローカルから直接メインコンピューターに侵入し、プログラムを妨害した者がいるということか」
「おそらくその通りです。こちらも物理侵入者まではさすがにケアしていなかったですし、何重にもかかったガードを掻い潜りながら外部の人間が侵入してきたと考えるよりも、ごく自然なように思えます」
「たかが雑務兵の分際で……」
 プログラム――いや、復讐の邪魔をしようとした人物が、仲間だと思っていた兵士たちの中にいるかもしれない。そう考えると、醍醐は再び頭の中で怒りを燃え上がらせないわけにはいかなかった。
「いったい何の目的があって、その犯人はこんな愚かな行為に出たというのだ」
「さすがにそれは当人に聞いてみないことには、私どもにはそこまでは――」
「なるほどな。それで、誰が犯人かまで割り出すことは出来なかったのか?」
「使われていなかったコンピューターは空き部屋の中にまとめて放置してありましたから、誰でも持ち出すことは出来ましたし。おそらく指紋も全て拭き取られていることでしょう。ただ、データが改ざんされた昨日の十三時過ぎ頃、兵士のおよそ半数は私達と共に本部で職務に勤しんでおりましたので、犯行が可能だったのはそれ以外の人物だと考えられます」
「つまり容疑者は、プログラム開始から同日の正午まで本部にいて、その後休憩のために部屋から出て行ったという者に絞られるわけか」
 醍醐は小さくうなりながら、アフロヘアーの中で脳をフル回転させながら考える。犯行可能人物は兵士達のうちの半数。これから先、どうやって犯人を割り出していけばいいのか。
「御堂、昨日の午後十二時から深夜にかけて休憩をとっていたという兵達の動きを徹底的に調べ上げるぞ。馬鹿げたことを企んでいる愚かな反逆者を、なんとしても陽の下へと引きずり出すんだ」

【残り 五人】
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