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−歪んだ視界(2)−

 後方から聞こえてくる粗い息使い。未だに興奮が冷めやらないのか、醍醐一郎は湯川利久の首輪を爆破して以来ずっとソファーに腰を下ろしたまま、小さく上下する肩の動きを止めることは無かった。俯き加減になってテーブルの上に目を落としている彼が今、何を考えているのか、はたまた企んでいるのかは分からない。
 二年前に亡くなったという娘の復讐を見事に成し遂げたはずの醍醐。しかしその目からは未だに活力が失われていなかった。それは、全てがこれで終わったわけではない、ということを意図しているかのようにも思える。やはり大火災の生存者達全員を死に追いやらないかぎり、彼の気持ちが晴れることは無いということなのだろうか。
 ところで、プログラムに支障をきたすような不穏な動きを見せていたわけでもない生徒一人の首輪を爆破してしまったことについて、醍醐に向かってとやかく言うような者は誰一人として現れなかった。プログラム運営中の最高位に立つ人物が、私事と公事を混同して行動してしまうというのはあまり好ましいことではないが、全ての判断が醍醐に委ねられている以上、彼が是と言えば死すらも是となると兵士達の間では暗黙の了解とされているのである。そもそもゲーム開始前に担当教官の一存で、複数の生徒を見せしめとして殺してしまっても許されてしまうようなプログラムの中では、利久一人を消したくらいで醍醐が責任に問われることなんてありえないのかもしれない。
 兵士の一人が気を遣って、空になったカップにコーヒーのおかわりを注ぐ。しかし醍醐は礼の一言も口にしないどころか、全く視線を動かそうともしなかった。何か深く思案している様子だった。
 醍醐がじっと座っている脇で、兵士達はひそひそと小声で話をする。
「プログラム書き換えの件についての原因究明はどこまで進んだのか?」
「手口からして何者かが故意に、そして手動でコンピューターに侵入してきたのだと思われる。それを前提に痕跡を探っているところだ」
「なんにしろ、早いところ済ませたほうが良さそうだ。一度コンピューターへの侵入を許してしまっている以上、今後また何が起こるか分からない」
「そうだな。今後の対策を立てるためにも、せめて侵入経路くらいは特定しておいたほうがいい。もちろん犯人が明らかになるなら、それに越したことは無いが――」
 彼らはプログラム妨害を犯した犯人を突き止めるべく、見えない敵を静かに追い詰めようとしているところなのである。その敵とは自分達と同じプログラム補佐を勤めている兵士の中にいるのだとも知らず。
 耳が――いや、頭が痛い。
 重い空気が漂う部屋の中、桂木幸太郎は表情を固めてしまっていた。青白く画面を光らせているコンピューターの前に座ったまま、微動だにせず、息も殺し続けている。まるで自らの存在をできる限り目立たなくさせようとしているかのよう。
 盗聴を司るプログラムをコンピューター内部で書き換えていたことは、とうの昔にばれてしまい、生徒達の首輪と本部を繋ぐ盗聴回路も、今からほんの少し前に復旧されてしまった。現在、桂木たちは非常にまずい状況の中にいる。
 政府への反逆と言っても過言ではない、プログラムの妨害という行為に出ていたのが自分達だと知れてしまったら、当然クビどころでは済まされない。激昂した醍醐教官なら、いくら相手が自分の部下の一人だったとしても、復讐の邪魔をした人物になら容赦なく銃口を向けて引き金を絞ってみせるだろう。
 窮地に立たされた桂木は、隣に座っている木田聡とこれから先どうするべきか相談したいところだったが、醍醐や他の兵士達の目もあって結局何もすることが出来なかった。廊下や他の部屋に移動すれば対策を練ることくらい出来るかもしれないが、二人揃って部屋から出て行くのはどうにも不自然なように思える。今の状況下では頭を僅かに動かして木田と目配せすることで精一杯。プログラム妨害を犯した張本人である桂木たちは、これ以上不審に思われるような目立った行動は極力避けるべきなのである。
 危うい状況に立たされてしまったのは桂木たちだけではない。プログラムに参加している最中の春日千秋(女子三番)たちもまた、更なる命の危険にさらされてしまったのだと言える。
 脱出計画の発案者である蓮木風花(女子十三番)と合流した千秋たちは、わざわざグループを二つに割って農村地と病院の間を行き来するなど、少々不可解な動きを見せてきた。おそらく脱出計画を遂行するための準備を整えるべく行動していたのではないかと思われる。彼女達とその周囲の動きから察するに、これまで計画を断念せざるを得なくなるような決定的な問題が起こることは無く、作業はそれなりに順調に進められてきたようだ。しかし、これからは、もしグループの中の誰か一人でも脱出計画について口走ってしまうようなことがあれば、政府側の人間の知るところとなってしまう可能性が高い。もしそうなれば、彼女達もまた湯川利久と同様に、遠隔操作によって首輪を爆破され、命を落とすこととなるかもしれない。
 そんなわけで、これから先、脱出計画に関することを不用意に口走るのは許されない。いくら兵士たちの多くがプログラム妨害の原因究明に追われ、生徒たちの動きに常時注意を払い続けることが難しくなっているとはいえ、会話が筒抜けになってしまっている以上、たった一言の呟きが命取りになってしまうこともあるのだ。だが、盗聴のことなんておそらく知らないであろう千秋たちが、脱出計画を遂行するにあたってこれから余計な事を一言も口にしないまま行動し続けるなんて、そんな上手い話は起こりうるのだろうか。
 いずれにせよ、時間をかければかけるほど様々な面で危険が増すばかりだ。桂木たちの命のためにも、千秋たちには迅速に計画を実行に移してもらわなければならない。もしもコンピューターの内部に木田が侵入した痕跡なんかが残されていたとしても、千秋達の策が上手くいきさえすれば、本部はダムの水に飲まれ、そして桂木たちに繋がる小さな手がかりは文字通り闇へと流され沈むことになる。
 はたして、歪んでしまっている醍醐一郎の視界の中から、千秋たちと桂木たちの両者ともが無事に逃れることはできるのだろうか。
 可能性は限りなく薄いかもしれない。しかし、今となっては蓮木風花が発案した脱出計画にすがるしかないのだった。

【残り 六人】
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