015
−十字架死体−

 千秋は暗い林の中をひたすら前へと進む。トラックの中で九人の仲間と誓い合った集合場所を目指して。
 すぐ目の前には、集合を呼びかけた張本人、磐田猛の背中が見える。ゲーム開始直後、山崎和歌子に襲われていた千秋の元に駆けつけ助けてくれた彼とは、林の中で出会って以来行動を共にしている。
 どんな窮地を目の前にしても冷静沈着に行動することができる彼は、常に千秋の前を歩き、五感を研ぎ澄まして付近に危険が無いのを確認しつつ、果ての見えない雑木林の奥へグイグイと引っ張っていってくれる。実に頼り甲斐のある男であった。
 それにしても、やはり猛が言っていたように、未開拓のまま全く人の手がつけられていない雑木林内は、土の地面の凹凸が激しく、長く伸びた雑草たちを掻き分けながら進まなければならなかったので、ほんの数メートル歩くだけでもかなり苦労させられた。
 出発前から降り続いていた雨は今のところ止んでおり、それが唯一の救いだったが、いつまた降り始めるとも分からない。出来るだけ早く目的地に到達するに越したことはないのだ。
 それにしても……。
 脚の動きは止めることなく、ひたすら前進を続けていたが、千秋の頭の中には別のことが浮かんでいた。
 雷光のスポットライトを浴びて、暗闇の中に一瞬だけ浮かび上がった山崎和歌子の姿。そしてその足元に転がっていた死体。
 あの時見たことすべてが未だに信じられなかった。プログラムに巻き込まれたとはいっても、ああも簡単に人を殺めてしまうクラスメートが存在するとは、思ってもいなかったのだから。
 生まれて初めて目の当たりにした殺人現場の光景は、中学三年の女の子である千秋にとってあまりにも衝撃が大きかった。いくら頭の中から振り払おうとしても、その記憶は決して消え失せはしない。
「何を思い悩んでいるんだ?」
 前方を歩いていた猛がこちらを振り返りながら聞いてきた。複雑な表情を浮かべながら沈黙し続けていた千秋を見て、放っておくことはできないと思ったのだろうか。
 しかし千秋は黙っていた。誰かと話でもして気を紛らわしたいという思いもあったのだが、その意欲を飲み込んでしまうほどにショックは大きかったのだ。
「……俺さ、出発前から、もしかしたら山崎の奴はこのゲームに乗ってしまうんじゃないかと疑ってたんだ」
 沈黙を守る千秋を見かねたのか、猛は返答を待たずに話し始めた。
「田中とかいうオヤジがデイパックとロッカーを選べって言ったときに、ほとんど迷うことも無く三人が前に出て行っただろ。臆することも無く殺人ゲームの渦中へと一歩を踏み出したあいつを見てさ、もしかして殺人を犯すことに腹を括っちまったんじゃないかって思ったんだ」
 頭の中に当時の光景が浮かんだ。
 にやつく田中の前で、堂々と前に進んでいく山崎和歌子。
 確かに今思えば、彼女はあの時既にクラスメートたちとの馴れ合いを放棄し、手を血に染めることを決心していたと考えられる。しかし千秋は、それが本当ならばあまりにも悲しすぎると思った。
 それに、和歌子に関してそのように考察できるのならば、同時に前に進んだ他の二人にも同じことが言える。
 一人は黒河龍輔(男子六番)
 和歌子と並んでデイパックを選んでいたときの言動と表情から察するに、彼もまたプログラムに乗ってしまったかもしれないと考えられる。
 それに知っての通り、黒河はもともとクラスメート達との馴れ合いを好んでいない不良だ。タバコの火を慰霊碑に押し付けるなど、死者をも冒とくする彼ならば、級友を手にかけようと考えていても不思議ではない。
 それからもう一人、御影霞(女子二十番)
 彼女に関しては謎にされている部分が多すぎる。
 二年前の火災以来、これまで一度も姿を見せなかった彼女が、今回なぜプログラムに参加することになったのだろうか。
 和歌子や黒河と同時に、死地へのスタートラインを越えた彼女は、あの時何を思って行動に移ったのだろうか。
 そして、教室に入ってくるなり皆に見せたあの不気味な笑みは、いったい何を意味していたのだろうか。
 いくら考えても考えがまとまらない。霞について千秋が知っている情報が少なすぎたのだ。分かっているのは、千秋も霞も、二年前の火災の被災者であるということくらい。
 はたして、霞は善人なのだろうか。それとも、やはりこのプログラムに乗ってしまったのだろうか。
 頭の中で色々なことを考えていると、前を歩いていた猛が急に足を止めて振り返った。
「前方に誰かいる」
 口元で人差し指を立てて猛がそう言ったので、千秋も目を凝らしてこの先の様子を確認しようとした。もちろん物音をたてぬように細心の注意を払いつつだ。一度和歌子に見つかってしまった経験があるために、皮肉にも注意力に関して千秋は成長していたようだ。
 凝らした目の中に映るのは、この先も延々と続いている木々の姿。雨が止み、雲間から月明かりがかすかに差し込んできているので、以前よりは物がよく見える。
「あそこだ。やたらとでかい大木の前に誰かがじっと立ってるだろ?」
 茂みに身を隠しながら前方を指す猛の指の先には、確かに何者かの姿が見える。もちろん、薄暗い中ではその正体を特定するどころか、男か女かすら分からなかったのだが。
 しかし、その人影には奇妙に思える点があった。大木を背に立ち、両手を左右に広げたまま全く微動だにしない。
 何をやっているんだ、あの人は。
 隠れながらしばらく様子を見ていたが、一向に動き出す気配が無い。そんな時、猛が思わぬことを口にした。
「なあ春日。あいつ、ちょっと宙に浮いてねぇか?」
 彼の質問に「バカな」と思いつつその姿を見ていたが、確かに、人影の足は地面から数十センチほど宙に浮いているようにも見える。
「おい。確認するぞ」
 痺れを切らしたか、千秋の返答を待つことも無く、猛はゆっくりと茂みから這い出て、背を低くしながら人影へと近づいていった。
 相手の正体が分からず、頭の中が恐怖で支配されつつあった千秋はすぐには動けだせなかったが、一人残される不安に負けて、猛を追いかけるようにして人影のほうへと向かっていった。
 近づくほどに鮮明になっていくその姿。頭を垂れているために人物の特定はまだできていないが、衣服から男子生徒であるということだけは分かった。そして猛が言っていたように、男子生徒の身体は地上二十センチほどの高さに浮いていることも確認できた。いや、それは厳密には浮いていると例えるには不適切だったかもしれない。
「な、なんだこれは!」
 猛が驚きの声をあげるのも無理は無かった。正体不明の男子生徒は両手を広げたまま、その手首を杭で大木に打ち込まれていた。まるで十字架に磔にされたキリストの姿を思わせる姿で。
 猛は荷物を放り出して、張り付けにされた男子生徒の元へと駆け寄り、垂れていた頭を持ち上げて身元の確認を急いだ。そして、苦虫を噛み潰したような表情をしてこう言った。
「……新田だ」
 それを聞いた途端衝撃が走った。
 張り付けにされていたのは新田慶介(男子十五番)。出発前の分校内で、プログラム参加を告げられた際に、涙ながらに、自分達はもう既に十分に地獄は体験してきたと訴えていた彼だ。そして、トラックの中で千秋たちと再会を誓い合ったメンバーの一人でもあった。
「し、死んでるの?」
 千秋のその質問はもはや無意味なものだった。この世界の何処に、両手を杭で打ち抜かれても静かに磔にされたままでいられる人間がいると言うのだ。
 しかし猛は念のためにと慶介の脈をとってみる。だがすぐに首を振った。
「扼殺だ。首を絞められたときの手形が残っている」
 慶介が張り付けられている大木を殴る猛。再会を誓った仲間が一人、こうして死体となって見つかったことに怒りが込み上げているといった様子だ。
「もしかして……和歌子が?」
 千秋は先ほど自分に襲い掛かってきた狂乱者の名を挙げた。殺意に完全に支配されていた彼女ならば、今回の犯行をもなしえるだろうと思ったからだ。
 しかし、猛はそれを真っ向から否定した。
「いや、それは無いだろう。ここはあいつが逃げていった方向とは逆だし。それに……」
 猛はもう一度、磔にされた慶介の姿を見た。
「……死体を磔にする理由が分からねぇ」
 たしかに、狂気に満ちていた和歌子ならば、殺人を犯すことは考えられる。しかしそれはあくまでも自分が生き残るための犯行。このように大木に磔にする理由など無いはずだ。
 それならば、これはいったい何を意味しているのだろうか。
 目の前に突如現れた凄惨な光景に息を呑む。

 あたし達の知らないところで、正体不明の何かが動き始めている……。



 新田慶介(男子十五番)―――『死亡』


【残り 三十九人】
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