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−真実への扉(4)−

 利久はあからさまに顔を歪めた。急に強気な態度を取り始めた幹久のことが気に食わないらしい。
「ふらふらのくせに言ってくれるね。しかしこの状態からどうするつもりだ? まさか俺を倒せるとでも思っているんじゃないだろうな」
「桜は返してもらう」
 幹久は相手の問いには答えず一歩前へと踏み出した。戦いに勝てるという根拠も自信もあるわけでもなかったが、妹を助けたいという思いの強さから、勢いで強気な言葉が口から勝手に飛び出てきた。
「生意気」
 利久は細い目をさらに鋭くしながら眉の間にしわを走らせ、右の足を高く蹴り上げた。黒い革靴の裏側が幹久の腹部を正確に捉える。
「がはっ」
 前方から強い衝撃をうけて、たまらず幹久は後ろへと吹っ飛び、再び地面の上に背中から落ちた。べしゃっ、と周囲に泥水が飛び散る。衝撃が背中から全身へと伝わると、身体の各部位の傷がまたいっそう酷い痛みを発した。
 それでも幹久はしつこくもう一度立ち上がろうとする。血の滲み出す傷を手で押さえながら、ゆっくり、ゆっくりと。桜を辱め、兄妹二人をバラバラにしようとした憎き相手の目の前で、地面の上で無様に這い蹲りたくはなかった。
 泥の中に生える草を踏みしめながら体勢をしっかりと整え直し、そして相手を睨む。
「急に生き生きとした面になりやがって。俺はもっと悲しみに満ちた絶望的な表情が見たいってのによ」
 利久が言った。
「気に入らねぇ」
 すると彼は再び桜に命令した。もう立てないように足を撃ってやれ、と。
 桜は頷く。
 タタタタタタタタタッ。
 桜の手に収まっているスコーピオンが火を噴いた。弾丸が下半身のいたる所の筋肉を裂き、足骨をボロボロに砕いていった。激痛に堪えながら死力を尽くそうとしていた幹久も、ここまでされてはさすがに立っていることなんてもう出来ない。力を失った両足は上半身の重みを支えきれなくなって、老朽化した建物が倒壊するかのごとく崩れ落ちた。
「ざまあみやがれ」
 今度こそ立ち上がることの出来なくなってしまった幹久に、冷たい目線を送る利久。
「調子に乗って強がるから、こんな酷い目に遭うんだぜ」
 ぺっ、と吐かれた唾が幹久の頬に付着する。だが幹久は険しい表情を保ったまま、変わらず相手を睨み続けていた。
「桜を……放せ……」
「やなこった」
 さっきから同じような押し問答を繰り返してばかりだ。利久は桜を解放しようとしないし、幹久はいくら傷つけられても反抗的な態度を保ったまま。両者とも引く気配は無く、このままでは一向に話が進展しない。
 チッと利久が舌打ちした。
「つまらねぇ。他人の何かを強く決意した表情なんて、見ていたって全然面白くともなんともない」
 何やら考え始めた様子の利久。しかし、少しして何かを思いついたのか、「仕方ないな。あのことについて話してやるか」と小さく呟いた。また何かろくでもないことを考えているのではないだろうか。妙な胸騒ぎがする。
 利久の唇の両端がゆっくりと上がり、見ていてぞっとしてしまうほどのおぞましい笑みが、目と鼻の先に形成された。
「お前の妹さ、二年前の火事が原因で、今みたいになっちまったんだろ?」
「今みたいに?」
「自我や感情を失って、頭髪が真っ白に染まってしまった」
「……ああ。確かに、あの事件が原因だけど――」
 いきなり何の話だ、と幹久が言おうとしたとき、利久はなぜかククッと笑い声を洩らした。
「冥土の土産に教えておいてやるよ。あの火事、俺が引き起こしたんだ」
「なんだって?」
 幹久は我が耳を疑った。確かに松乃中の惨事は放火が原因という線が濃厚と言われていたが、まさかその犯人がこんなにも身近にいるとは考えてもいなかったから。でも、今の利久を見ていたら、彼なら学校だって燃やしかねないと思えてしまう。
「そうそう、その顔だよ。そういう心底驚いているような表情は見ていてとても面白い。やっぱり人にしてみるもんだよな、この話」
 自ら立てたシナリオに対して、他の人間が思い通りの反応を見せると喜びを感じるらしい彼。まるで小説家か役者みたいだ。
「なんで学校を燃やした?」
 幹久は誰もが疑問に思うであろう事を、クラスの代表であるかのように相手に質問した。火事を起こした犯人が分かっただけでは納得いかない。なぜ自分達は地獄の苦しみを味わわされなければならなかったのか、その点についてしっかりと説明してもらえないことには。
「なんでって、そんなの俺の性癖を知っていりゃあもう分かることだろう」
「分からない」
「鈍いな、お前。楽しいからに決まっているだろう。逃げ惑いながら泣き叫び、炎と煙に囲まれてもがき苦しむ生徒達の姿。ありゃあ見ていて興奮が止まらなかったね」
 利久は仰け反るように頭を上に向け、ハッハッハッと大きな笑い声を上空へと駆け上らせた。だが幹久は納得しなかった。
「そんなのは嘘だ!」
 地面の上で大の字になって倒れたまま強く否定した。利久の身体がビクンと一瞬だけ跳ねたかと思いきや、「なんだと」と彼は幹久に目を向けた。
「あの件に関しては、お前が放火犯だった場合、単に欲望を満たすためだけに犯行に及んだとは思えないんだ」
「何を根拠にそんなことを――」
「桜を連れて校舎の中から脱出した直後、僕はこの目でしっかりと見たんだ。大量に煙を吸って意識不明になってしまっていたお前が、救急車で病院へと搬送されるところをね」
 嘘やでまかせなんかではない。消防隊員が運ぶ担架の上に見覚えのある顔が乗っていたのを、今も鮮明に覚えている。あれは間違いなく利久だった。
「あの火事ではたくさんの死傷者が出て、現場はかなり混乱した状態になってしまっていた……。だからお前が病院へと運ばれたのを知っている人間なんてほとんど――、いや、学校の関係者の中じゃ、もしかしたら僕だけしか知らなかったのかもしれない。だけど、これは紛れも無い事実なんだ」
 気のせいか、利久の様子がつい先ほどまでとは一転して、ほんの少し戸惑っているように感じられた。
 桜に撃たれた足の傷がとてつもない痛みを発している。だけど一度勢いがついてしまった幹久の語りはもう止まらない。
「お前の言っていることは筋が合わない。高みの見物を楽しんでいた放火犯が、自ら引き起こした火事のせいで重態に陥るなんて、考え難いことなんだよ」
 利久は黙ったまま何も答えようとはしない。隠していた自らの過去を暴かれて、どう対処すればいいのか頭の中で模索している最中なのかもしれない。
 その間にも幹久は畳み掛けるかのように話を続けた。
「火災を起こしたのは確かにお前かもしれない。だけど、理由は何か他にあるんじゃないのか?」
 両手足を大きく開いたまま倒れている幹久に、容赦なく雨が降り注ぐ。グレーのブレザーに浮かぶ赤い血の染みが、滲まされてさらに大きく広がっていく。
「もしかして、あの巨大な炎の中で、お前は自ら最期の時を迎えようとしていたんじゃないのか?」
「黙れ!」
 利久は突然桜の手からスコーピオンサブマシンガンを奪い取った。そして銃口が下に向くように構えた。その先には幹久が横たわっている。利久は構わず引き金を絞った。
 胴体部分を中心に、幹久の身体からまた新たな血飛沫が上がった。針の先のように鋭い痛みが全身を駆け巡ると同時に、胸が急に苦しくなった。肺の一部を損傷してしまったらしい。声を出そうと試みたが、空気が口の中を行き来するヒューヒューという音が微かに漏れるだけだった。
「てめぇに……てめぇにいったい、俺の何が分かる!」
 ふいに視界が真っ暗になった。泥にまみれた利久の靴が、幹久の目を覆うように額を踏みつけたのだ。上から圧力がかかった事によって、後頭部が少しずつ柔らかな土の中に埋もれていく。
「大切な人に死なれ、信じていた人間に裏切られ、そして全ての元凶を知ってしまった俺の気持ちが、お前なんかに分かるか!」
 利久がなにやら騒いでいるが、幹久には何のことかさっぱり分からない。泥まみれの足が額の上から退くと、そこには土の色をした靴の跡がしっかりと残されていた。
「大切な人に……信じていた人……、それから全ての元凶……って……。いったいどういうことなんだ……」
 呼吸が乱れて息苦しい状態だったが、渾身の力を腹に送り続けているうちに、なんとか頭に浮かんだ言葉を声にすることは出来た。だが肺に穴が開いた状態で出した声はとてつもなく小さく、ほとんど囁きに近いそれは雨音にかき消されてしまいそうだった。
 はたして利久の耳に届いたかどうかは分からない。しかし彼はまるで幹久の問いに答えるかのように語りだした。

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