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−蝕まれる陰樹(2)−

 自然の中に溶け込むように木々や茂みで身を隠しながら、御影霞は辺りを注意深く見回した。とりあえず今のところは誰の姿も見られない。しかしそれでも気を抜くことはなく、研ぎ澄ました精神をそのままに保って歩き続ける。
 慎重になって行動してはいる彼女だが、じつは気持ち的にはいくらかの余裕があった。現在手にしている武器たちの存在が大きかったのかもしれない。坂本達郎との戦闘を経て入手できたのは、ジェリコ941とグロック19といった二丁の拳銃。
 グロックを握ったまま達郎が死んだ後、霞は彼の荷物を探すために住宅地の中を歩き回り、そして扉が開いたままになっていた一軒家を見つけた。おそらく達郎の隠れ家だったのだと思われるそこで、ジェリコと数十発の弾丸を手に入れたのである。
 二丁の拳銃はどちらも強力な当たり支給武器ということで非常に頼りになる。
 とりあえずジェリコは腰に挿して、グロックはいつでも撃てるよう右手に持って常に胸の高さに上げておくことにした。実際に構えてみると銃の存在感は思っていた以上に大きく感じられた。これから先、自分がこれを発砲する時がくるかもしれないかと思うと、少々胸が高鳴る。
 ちなみに麻酔銃とナタはデイパックの中に入れて、グリップや柄だけが見えている状態にして持ち運んでいる。必要になる瞬間が訪れることがあるかどうかは分からないけど、念のためにファスナーを少し開くだけで簡単に引っ張り出せるようにはしてある。それから、黒河龍輔が持っていたホワイトデビルという薬物と注射器のセットも、一応デイパックの奥にしまってある。
 霞はホワイトデビルのことを詳しく知っていたわけではなかったが、噂くらいは聞いたことがあった。世に蔓延る多くの薬物と同様に快楽を与えてくれるのはもちろんのこと、筋力増強や鎮痛の効果をも持ち合わせているらしい。しかし、所詮それらは体内が破壊されるという犠牲の上に成り立つ副作用でしかない。
 いくら魅力的な力を持つ薬だとは言っても、できれば手を出したくはないな、と霞は思った。
 病院の中で二年間も苦しみながら生きてきた少女のことを気にもせず、のうのうと幸せな時を過ごしてきた冷酷な者達を地獄にたたき落とすためなら何だってする覚悟はあるが、先に自分のほうが薬に潰されてしまってはたまらない。そんなことだけは絶対に避けなければならなかった。
 葉のざわめく音が少し耳障りに思えた。近くを誰かが歩いていたとしても、その足音や微かな息遣いなんかはかき消されてしまい、聴こえはしないだろう。雨の降るザーザーというノイズのような雑音ばかりが耳に入り、聴覚はあまりあてにはならない。とにかく目に映る光景だけを信じて行動したほうが良さそうだった。
 と、密集した木々の間に形成されたスリット状の隙間の向こうに、人の影らしきものが動いて見えた。霞はすぐさま身を屈めて息を殺す。
 誰だ?
 目を凝らせば相手の輪郭がある程度はっきりとは見えてきたが、暗さのせいで顔までは分からない。しかしそれでも人影の正体は里見亜澄(女子九番)であると、大体の目星をつけることはできた。デイパックの他にも大きな荷物を背負っているらしく、そのシルエットがどうもギターケースのものであるようだったから。
 ギターケースなんて持ち歩いている人物、彼女以外に存在しているはずが無い。
 霞は入院していた間、毎日のように駅前で弾き語りをする亜澄のライフサイクルを目の当たりにすることなんて当然一度も無かった。しかし松乃中に通っていた一年のとき既に、彼女は駅前の最年少ミュージシャンとして少しばかり有名人だったので、二年ぶりに病院から出てきた霞であっても『ギターケースを持つ人物、イコール、里見亜澄』という図式くらい容易に頭に浮かばせることができたのだった。
 と、まあそんなわけで、目と鼻の先にいる人物の身元はほぼ割れたわけだが、実のところ霞にとってそんなことはどうでも良いのであった。彼女が憎悪を向ける対象は松乃中等学校大火災の生き残り全員であり、例外なんて存在しないのだから。
 相手が誰であろうと、温室でぬくぬくと過ごしてきた生命を粉々に打ち砕いてやるという考えは変わらない。それにもし相手が優秀な武器を持っているのなら、殺してでもそれも手に入れておきたいところなのだ。松乃の火災を引き起こしてこの身を焼いた湯川利久(男子二十番)を殺すために、彼のマシンガンにも対抗できる強力な武器をなるべく多く備えておく必要があるから。グロックやジェリコも十分な優れものだとは思うが、これだけでマシンガン相手にまともに渡り合えるかどうかは分からない。
 霞はすぐに、亜澄だと思われる人物に向かって銃を構える。幸いなことに相手はまだこちらに気付いていない様子。一応注意深く周りを見回してはいるようだったが、こちらに向けた視線をそこで止めることもなく、すぐにまた別の方角へと頭を向け直してしまっていた。
 チャンスだ、と霞は思った。前回の坂本達郎の時など、これまでクラスメートを殺害するために色々と苦労を味わってきたが、今回は楽に標的を仕留める事もできそうだ。もちろん、グロックの初弾を外してしまうなんていうヘマをやらかさずに済めば、という話だが。
 霞はこれまでに本物の銃というものを撃った経験は無い。それだけが唯一の気掛かりであった。はたして銃とは初めてでも上手く撃てるものなのだろうか。
 銃の尻に触れそうになるくらいにまで目を近づけて、照準をしっかりと標的へと定める。柄にもなく自分の手が少しだけ震えているのが分かった。
 うん、大丈夫だ。銃の先は間違いなく、しっかりと人影の方を向いている。
 霞は自分に言い聞かせながら一度ごくりと喉を鳴らし、そして意を決して引き金を思い切り、勢いよく絞った。
 バンッ!
 乾いた音が辺りを駆け回る。射撃の反動は予想以上に強く、銃を握る手が勝手に上へと持ち上がってしまいそうになった。が、なんとか力でそれを押さえ込もうとした。
 直後、視界の中で黒い影が大きく揺れた。だが、弾が亜澄の身体に命中したというわけではなかった。発砲時の衝撃のせいで銃の照準はやはり微妙にずれてしまっていたらしく、弾丸は的の少し横へと逸れてしまったのであった。そしてそれは亜澄が肩から下げていた荷物にでも命中したらしかった。銃弾が荷物に強い圧力を与えたことによって、亜澄はショルダーベルトに引っ張られるがままに身体を揺らしたのである。
 しまった。外したか。
 霞は包帯の下に隠れた顔を歪ませる。
 今の一件で相手はもうこちらの存在に気付いてしまったはずだ。こうなってしまった以上、手を止めずに攻撃を続けて、早々に方をつけなければならなかった。反撃や逃亡をする暇を与えてはならない。
 再び銃を構え、今度は二発、三発と続けて弾を撃ち出そうとする霞。しかし案の定、敵の襲来に気づいた亜澄は、すぐに身体を低くしながら茂みの裏を走って木の後ろへと隠れてしまった。こうなってしまったらなかなか厄介だ。なにせ相手がどんな武器を持っているのか分からないし、不用意に近づくこともできない。反撃を受けぬようこちらも身を隠しながら、相手が遮蔽物の裏から出てくるのを待つしかなかった。
 それにしても、銃で狙われていると知るや否やすぐに緊急避難を図る亜澄の身のこなしはなかなかだった。主に野外で音楽活動を続けてきた彼女は、普通の女の子よりも少し活発的に育っているのかもしれない。どうも簡単にはくたばってくれなさそうだ。
 気を引き締めなければならないかな……。
 霞は傍らに立っていた木の幹を盾にしながら息を殺して、亜澄が潜んでいる方向を真剣に見続ける。
 さあ、早く出てきなさい。地獄の苦しみと死の両方をあなたに与えてあげるから。
 拳銃を握る手に妙に力が入った。

【残り 十一人】
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