013
−閉所恐怖症−

 四方を壁に囲まれた窮屈な空間。一筋の光が差し込むこともなく、完全な暗闇であるロッカーの中で何十分もの時間を過ごすということは、彼、千場直人(男子十番)にとってはまさに苦痛でしかなかった。出発前のロッカー選択時の際の様子を見て分かるとおり、彼はかなり重度の閉所恐怖症を患っていたからだ。
 そもそもの原因は二年前の松乃中火災にまで遡る。
 事件発生当時、朝から腹の調子が芳しくなかった直人がいた場所は、三階トイレの個室内。
 廊下のほうが妙に騒がしく、生徒達がなにやら叫んでいるのには気づいていたが、火災が発生しているという事態にすぐ気づきはしなかった。
 薄暗いトイレに中で用を済ませた直人は外に出ようとしたが、なぜかスライド式の錠が開かなかった。伸縮して建てつけが悪くなってしまったこの木造扉ではよくあることなのだが、一度この事態に陥ってしまうと、そう簡単には外に出ることができない。
 直人は力いっぱいスライド錠を動かそうとしたが、それでもやはり開錠されなかった。
 どうしようかと困り始めたころ、外から聞こえる叫び声の中に、「火事だ」とか「逃げろ」という言葉が含まれていることに気づき、ようやく火事のことを知った。
 早く逃げなきゃと焦り始め、再び力任せに鍵を開けようとするも、やはりそう簡単には開かない。
 時間と共に直人の焦りが高まっていく。
 とにかく必死で鍵に食らいつくが、もはやパニックに陥ってしまっている彼にはどうすることもできない。ただただ時間が過ぎ去っていくのみ。
 あるとき直人はふと気づいた。個室の壁をよじ登れば、天井との隙間から外に出られるのではないかと。
 急いで上を見上る。しかしこのトイレの壁と天井との隙間は思いのほか狭くて、直人一人が通り抜けることすら不可能だった。
 そしてある光景が直人の焦りをさらに高めることとなった。
 黒い煙が天井を伝ってうっすらと個室内へと入り込んできたのだ。
 火の手はもう間近。そう思った直人の緊張はついに頂点に達した。
「うわぁぁぁぁぁ! 誰かここを開けてくれぇぇぇぇぇぇ! ここから出してくれぇぇぇぇぇぇ!」
 無意識のうちに叫んでいた。もはや恥ずかしいだとか言ってる場合ではない。
 このままでは煙の中で窒息してしまう。炎の中で焼け死んでしまう。
 精神状態が安定を保てなくなっていた。天井が徐々に下がってきて、四方を取り囲む壁がだんだんと迫ってきているような錯覚に襲われた。
 全身に感じる圧迫感。閉鎖された空間の中に、一人取り残されてしまった直人には、この感覚がなにものよりも恐ろしく感じられた。
「早く出してくれぇぇぇぇぇっ! 狭い! 怖い! 誰かぁぁぁぁぁぁ!」
 その後、偶然トイレの前を走り抜けようとしていた生活指導の先生に気づいてもらえて、ドアを蹴破って助けてもらい、何とか脱出することはできたのだが、このとき彼が覚えた恐怖感はいつまで経っても消えることはなかった。
 火の手が迫る恐怖と隣合わせの状態で、狭く薄暗い個室の中にたった一人取り残された恐怖。それはあまりにも絶大なもので、それ以来、直人は狭い場所に入ることに恐怖感を抱くようになってしまったのだ。
 そしてそれは今回プログラムに巻き込まれてしまってからも、直人の精神に大いなる影響を与えていた。
 無理やり押し込まれるような形で入ったこのロッカーの中は、トイレの中なんかよりも比べ物にならないほど狭く、その分押し寄せてくる恐怖感もさらに増大されていた。肉体的にはともかく、精神的にはもはやこれ以上耐えられるほど余力は残されていない。しかしそれにも構わず、ロッカーの扉は一向に開く気配すら発さない。
 早く! 早くここから出してくれ!
 かつて松乃中火災の際にトイレの中に閉じ込められたときと全く同じ台詞が頭の中に浮かぶ。しかし無情にも扉はうんともすんとも言わない。
 駄目だ。このままでは気が変になってしまう。
 自分の限界を悟った。そんなときだった。これまでは雨音しか聞こえなかったロッカーの外から、何者かの足音が聞こえたような気がした。
 直人は変になりそうな自分の気を落ち着かせながら、ロッカーの壁へと耳をつけて澄ましてみた。すると土の地面をザッザッと踏みしめる音が確かに聞こえた。何者かがこちらへと近づいてきているのだ。
「頼む、そこにいる人! このロッカーを開けてくれ!」
 外に人がいると知るや否や、直人は相手の正体を確かめもせず叫んでいた。この空間内に留まることをもはや一秒も我慢できなくなっていた彼は、相手が誰でも構わない、とにかくここから助けて欲しいという気持ちだけが先行し、衝動的にそう叫んでしまっていたのだ。
 突然の叫び声に驚いたのか、相手の足音がピタリとロッカーの手前で止まった。
「だ、誰? その声は……千場君?」
 外にいる人物がそう聞いてきた。女の子の声だった。
「そ、そうだ! 誰でもいいから扉を開けてここから俺を出してくれ! じゃないと俺、もう気が……」
「分かった。出来るかどうか分からないけど頑張ってみる」
 ロッカーの外にいたは、少しつり上がった目が特徴的な
植田真美(女子二番)だった。しかしパニックと紙一重の状態で、助かりたい一心の直人にしてみれば、そんなことなど今はどうでもよかった。
 直人はこのとき冷静さを欠いていたため、事のおかしい点に気がついていなかった。
 田中の説明によると、皆が入ったロッカーはゲーム開始と同時に一斉に解除されるはずだ。それなのに、未だ直人のロッカーが開かないにも関わらず、真美は既に外の世界を歩き回っている。
 これはいったいどういうことなのだろうか。
 直人はその疑問を頭に浮かばせてすらいなかったが、もしかしたら真美の方は気づいていたのかもしれない。直人が入っているこのロッカーこそが、爆弾入りの“ハズレ”なのではないかと。だからこそ直人の言葉を遮ってまでして、急いでロッカーの扉を開けようとしたのではないだろうか。
 扉がガタガタと音を鳴らせた。真美が外から扉をこじ開けようと試みているらしい。しかしそう簡単に開きはしない。
「頼む! 急いでくれよ!」
 相手の苦労を知りもせず、とにかく助かりたい一心で叫ぶ直人。
「ま、まってよ! 今頑張ってるから」
 外から焦りの声が戻ってくる。危険が迫っている当の本人よりも冷静に頭が働いていたがために、彼女もまた爆発の恐怖に焦り始めてしまうという結果を招いてしまったのだ。
「待てない! 早くここを開けてくれ! お願いだ! 開けてくれ!」
 直人は叫ぶ。舟がすぐ目の前にまで来ていると知り、助かると信じた彼は、その時が訪れるのを待ちきれなくなり、はやくはやくと真美を急かしたてた。
 扉はまだガタガタと音を鳴らしている。銃弾を跳ね返すほどの屈強さを誇るこのロッカーのボディは固く、もはや鍵を壊すなどしてこじ開けるしか方法は無い。真美はそう考えたのか、鍵が壊れるくらいに何度も扉を強く引き続けていた。
「お願いだ! 早くここを開けてくれぇ!」
 直人がまたひときわ大きな声で叫んだ。まさにその瞬間だった。
 ロッカーの外から、ズダンと何かが叩き割られるような音が聞こえた。棍棒か何かでスイカが叩き割られたかのような音。
 その音が聞こえた途端、これまでガタガタと音を鳴らしていた扉が急に静かになった。しかし直人はそれにも構わず叫んだ。
「どうしたんだよぉ! さっさと開けてくれよぉ!」
 泣き声がロッカー内に響き渡る。しかし真美は返事をしない。そのかわりに戻ってきたのは聞きなれぬ少女の声。
「あなたは誰?」
 真美とは違う人物の声。とてもしなやかで清楚な印象を受けるその口調には、なにやら底知れぬ感情がこもっている。しかしパニック状態の直人はそんなことに気づきはしない。
「千場だよ! ロッカーが開かないんだ! 早く開けてくれよぉ!」
 すると外にいる何者かがクスクスと笑った。
「ああ千場君ね。分かったわ。お望みどおり開けてあげる」
 何か固いものが叩きつけられたのか、ドスンと凄まじき音を鳴らしながら、ロッカー全体が一度大きく揺れた。しかしそれは一回だけでは収まらない。外側から何度も何度も扉を砕かんばかりの音が響き、そのたびに直人を包む世界が傾く。
「もうちょっと待っててちょうだいね。もうしばらくしたら鍵が壊れるだろうから」
 外の人物はそう言った。それを聞き、ロッカーからの脱出を間近に感じた直人は喜んだ。
「本当か! 本当にここを開けてくれるのか! ありがとう」
「礼には及ばないわよ。それよりもむしろ、私のほうがあなたにお礼を言いたいところだわ」
 女が再びクスクスと笑った。しかし直人は彼女が何を言いたがっているのかが分からなかった。
 直人には、礼をしなければならない理由はあっても、礼をされる理由は無いはずだ。彼女はいったい直人に向けて何のお礼をしたいと言うのだろうか。
 女はおしとやか、かつ不気味な口調で話し始めた。
「私ね。このプログラムに巻き込まれてからは、ある目標を持って動くことにしたの。覚えてる? 二年前の松乃中大火災。あの事件のせいで、私の身体、想像もできないくらい変わってしまったの。焼け爛れた全身はまるで化け物のよう。鏡に映った自分の姿を目の当たりにしたとき、これ以上無いほどの絶望を味わったわ。もう二度と街中を歩けない。もう二度と友達にも会えない。もう二度と好きな人に告白もできない。あなたに分かる? この苦しみがどれほど辛いものなのか。
 自殺を謀ったことなんて数知れず。だけど、死のうとするたびに私は思うの。はたして死ぬべきは本当に私なのだろうかって。事件のとき助けの手を差し伸べてくれなかったくせに、今ものうのうと幸せな日々を送っている同期生たち。あいつらが一度でも私を気遣って病室に訪れてくれたか?
 真っ白な病室の中の、真っ白なベッドの上で一人で横たわっている間に、心の奥底に根付いていた憎悪のかけらは、どんどん大きくなっていって、それがついには私の中全てを支配してしまった。
 だからね、私は決めたの。このプログラムに参加することになった暁には、許すまじき者たち全てへと鉄槌を振り下ろし、その全てを粉々に砕いてやるんだってね」
 精神に異常をきたしていた直人だったが、少女のこの供述を耳にしているうちに、その正体は恐るべき人物だと言うことに気付き始めた。
 まさか……。まさか……。
「プログラムが開始してすぐ、林の奥から誰かの叫び声が聞こえてきたの。だからすぐさまそっちへと移動してみたら、そこにはロッカーをこじ開けようとしている植田さんの姿があったの。だから私、心に誓ったことを達成するために、背後からそっと忍び寄って――」
 彼女は話しながら、なおもロッカーを叩き続けている。耳が壊れてしまいそうなほどの大音響。
 直人の中で先ほどまでとは別の恐怖感がこみ上げてきた。鏡で自分の顔を見ないでも、どれだけ表情が引きつっているのか想像するのはたやすかった。
「止めてくれ! お願いだからロッカーを開けないでくれぇ!」
 直人の悲痛な声。先ほどまでの願いとはまったく逆のことを叫んでいた。
 しかしロッカーの外の少女は止まらなかった。
「――ドスンと頭を叩き割っちゃったわ。するとこれまで必死に扉を引き続けていた彼女の身体が急に動かなくなって、汚い血を撒き散らしながらその場に倒れちゃった。あなたのおかげよ。あなたの叫び声のおかげで、記念すべき最初の標的を見つけて、それを見事に仕留めることができたのよ。だから私はあなたに感謝している。だから、だから――」
「止めろぉぉぉぉぉぉ! 開けるなぁぁぁぁぁぁ!」
 直人の悲痛な声が響く。しかしその直後、ロッカーが一度大きく揺れたかと思うと、カチャンと扉の鍵が開いたような音がした。
 外側からの力によって自動的に開く扉。



 恐怖に硬直してしまった身体。直人の視界は徐々に開けていった。
 待ち望んでいたはずの開放。しかしそれが実現しても喜びはしなかった。
 目の前に広がるは薄暗い雑木林。空からはとめどなく雨が降り注いでくる。濡れた雑草の上に横たわっているのは、頭をど真ん中から二つに割られた真美の遺体。流れる鮮血の量は凄まじく、あたり一面が血の池となっている。その血の池の真ん中に立ってこちらを見ているのは、全身を包帯で包み込んだ白き夜叉。真美の返り血に制服を紅く染めている彼女の手に握られているのは、何物でも切り砕けそうな巨大なナタ。
「――あなたの頭も二つに割ってあげる」
 直人の目線の先で、包帯ずくめの少女、
御影霞(女子二十番)が両の目を見開きながら、血塗られた巨大なナタを頭の上に振り上げた。
 口元は裂けてしまいそうなほどにつりあがり、喜びのあまり満面の笑みを浮かべている。
 直人は最後に一度だけ絶叫したが、振り下ろされたナタによって頭部が砕かれた途端に声を止め、真美の上に重なるようにして崩れ落ちた。
 その死を確認した霞は、直人が入っていたロッカーに歩み寄り、直人のデイパックの口を開いて中をまさぐり始めた。その結果出てきたのはマジックハンド。
 霞は呆れたように微笑むと、それをその場に放り投げた。そして腕時計へと目をやる。
「もうそろそろね……」
 そそくさと霞がその場から離れた瞬間、直人のロッカーが大音響を発しながら爆発した。
「どっちにしろ、あなたは死ぬ運命だったのよ。千場くん」
 再びクスクスと笑い、彼女はその場からゆっくりと歩みだした。
 手には血塗られた巨大なナタ。そしてつい先ほど真美から頂戴したばかりの麻酔銃。
 包帯ずくめの白き夜叉による復讐劇が静かに幕を開いた。


 
植田真美(女子二番)―――『死亡』

 
千場直人(男子十番)―――『死亡』

【残り 四十人】

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