127
−狂走兄妹(12)−

 発射筒の先端から発射された擲弾は、湾曲した軌道をとりながら凄まじいスピードで宙を走った。
 アーチを描くように弓なりに飛ぶのはグレネード弾の特徴であり、発砲の際、狙った標的に正確に命中させるためには重力による落下のことも計算に入れ、その上で発射筒を傾けなければならない。雛乃はそんなことなど知っているはずも無く、案の定、初弾は桜の立ち位置よりも遥か前方で勢いを落としつつ下降を始め、コンクリートの地面に弾頭の先端部分を打ち付けた。
 内部の信管が作動するのとほぼ同時に、耳を劈くほどの爆音が響き渡った。しかし爆発の外にいた桜は当然無傷のまま。重力を計算に入れるもなにも、そもそも手の中で暴れるランチャーを制御できていなかった。標的よりも少し右寄りに飛んでいった榴弾は、通りの脇にあったコンテナをも爆発に巻き込み、その硬い鉄のボディをダンボールか何かのように簡単にへし曲げる。驚くべきほどの威力だった。
「くっ!」
 グレネードランチャー発砲時の振動が身体じゅうに伝わると、マシンガンで撃たれた全ての傷から凄まじい激痛が発せられた。しかし雛乃は身体の動きを止めることなく次の動作へと移る。千代の死体の側に屈み込むと、キュロットスカートとブレザーの左右のポケットが大きく膨らんでいるのが確認できた。あらかじめデイパックから抜き出していたグレネード弾四発が入ったままになっているのだ。
 桜はまだマシンガンを撃ってはこない。先の爆発によって舞い上がった砂煙の中に紛れてしまった雛乃の姿を、彼女は一時的に見失ってしまっているのである。この隙に雛乃は千代のポケットの中に入っているグレネード弾を全て抜き出し、そのうち一発を急いで装填。初めてで慣れていない作業に少々てこずりはしたが、時間はまだ少しだけあった。砂塵はすぐに晴れたりはせず、未だ雛乃の姿を覆い隠してくれている。
 弾を詰め終え、残り全てをポケットの中に突っ込むと、雛乃はすぐに発砲の構えをとった。こちらに残されている弾は合計でたったの四発であり、無駄撃ちなんてとてもできない。徐々に晴れていく視界の中、うっすらとでも相手の姿が見えた瞬間が勝負の時だった。
 雛乃は目に力を入れて、闇の中で蠢く砂煙を、瞬きもしないでじっと見ていた。するとある瞬間に両眼は、白いもやの中でマシンガンの銃口をこちらへと向ける人物の影をしっかりと捉えた。
 見つけた!
 すぐに二度目の砲撃を行う雛乃。先の失敗も踏まえて今度はグリップを握る手に力を入れ、さらに標的の居場所よりも少し上を狙うように、発射筒をしっかりと傾けた。しかし、大きな音と共に撃ち出された弾は桜の頭上を飛び越えて、遥か後方の地面に着弾。どうやら先ほどとは反対に、ランチャーを大きく傾けすぎたようだ。
 爆発によって地面が砕かれた際の揺れが、雛乃の足元にもはっきりと伝わってきた。
「今度こそ!」
 二度の失敗を経て、どのようにしてグレネードの狙いを合わせればよいのかは分かってきた。三度目の正直が起こることを願いながら、雛乃は間を開けることも無く次なる弾をHK69に急いで詰める。
 だがこのときにはもう視界を遮っていた砂塵はかなり薄れてしまっており、雛乃のいる場所から桜の姿がはっきりと見えるように、桜も雛乃の位置をもはやしっかりと把握しているはずだった。そんな中、桜がただ黙って攻撃を受けてばかりいるはずが無かった。
 雛乃がグレネードを構えるよりも早く、辺りに、タタタタタタッとマシンガンの銃撃音が響き渡る。すると雛乃のすぐ側に建つコンテナから突如火花が散り、鉄製の硬い表面に無数の弾痕が作られた。それと同時に雛乃の身体にも新たな激痛が走る。一斉掃射された二十発の殺人弾のうち四発が、首元、左手の甲、右足のつま先、内股、とそれぞれ別の部位に新たな傷を作ったのだった。その中でも左手の甲とつま先の傷は相当深く酷かった。ただ弾がかすっただけの首元や内股とは違い、肉は深く抉り取られて、骨をも砕かれてしまったのである。
「あううっ!」
 雛乃はたまらずその場に倒れて転がったが、それでも諦めることなく右手だけは真っ直ぐ伸ばし、グレネードランチャーの銃口を桜に向けて引き金を絞った。だがもちろん、桜を倒すどころか負傷させるにも至らない。雛乃の細い腕一本では、グレネードの強い反動を抑えるにはあまりに弱々しすぎた。三発目の榴弾は偶然にもちょうど良い高さを飛びはしたが、左に逸れすぎて結局コンテナをまた一つ破壊しただけに終わった。
「くそぅ!」
 雛乃は全身から血を流しながら、地面に這いつくばって桜を恨めしげに見た。黒いレインコートに身を包んだ白髪の少女は、またもスコーピオンに新たな弾を詰め直そうとしている。完全に次で雛乃にとどめをさせる気でいるのだ。
 ぴちゃんぴちゃん、と水溜りの中を歩く軽い足音が近づいてくる。
 仲間を殺した許し難き敵に自分までやられてしまってはならない、と、雛乃は気力を絞って立ち上がろうとするが、つま先を砕かれてしまった影響は大きく、いつものようにすんなりとこなすことは出来ない。二足で立ち上がるという十年以上も続けてきた当たり前の動作が、こんなにも難しく思えたのは生まれて初めてだ。しかも時間をかけて苦労の末に立ち上がることは出来ても、足がふらついてすぐにでも倒れてしまいそうだった。だが雛乃はそれでも諦めない。
 こんなことで負けてはならない。どんな理由があろうとも、彩音と千代とフミを殺したこの女のことを、このまま放っておいてはならないのだ。
 全く動かなくなってしまった左の手は下ろしたまま、再度右腕だけを持ち上げてグレネードを構える。桜が両手でマシンガンを前に突き出すよりも、ほんの一瞬だけ早かった。
「これが最後だっ!」
 大きく叫んでトリガーを引く。雛乃が持っているグレネードランチャーの弾はこれで最後だし、戦いを続けるだけの体力ももう残されていない。それらの意味が込められた「最後」だった。だがその最後の一発は、今までで最もとんでもない方向へと飛んでいくこととなった。グレネード弾が飛び出す反動に負けた雛乃の腕は手前に大きく折れ曲がって、発射筒は四十五度以上もの高角度に傾いてしまったのだった。
 対して桜は冷静に、先手をうたれたことに動じることもなく、正確に雛乃へとマシンガンの狙いを合わせ、引き金をゆっくりと絞ろうとしている。まさに万事休す。絶体絶命の状態だった。
 やられる!
 自らの死を予感した雛乃がぐっと目を瞑った途端、思いがけぬところから大きな爆音が轟いた。
 なんということだろう。いったい何処の誰がこうなることを予想していただろうか。桜の頭の上を真っ直ぐ飛び越えようとしていた榴弾は、着地点までの航路の真ん中で意外な障害物とぶつかって、内部の信管を予定よりもほんの少しだけ早く作動させてしまっていたのだ。その榴弾がぶつかった障害物とは、上空からコンテナを吊るしていた大型クレーンの太いワイヤーだった。
 グレネード弾が破裂した瞬間、爆発に巻き込まれたワイヤーは強い力によって引き千切られ、その先に結びつけられていた鉄製の鎖と巨大なコンテナ一つを地面へと向かって振り落とした。それはなんと雛乃へと向かって歩く桜が、ちょうど真下に差し掛かった時のことであった。
 桜も異変に気付いたのかすぐに頭上へと目線を向けるが、それからではもうどうしようもない。大きく開かれた雛乃の視界の中で、落下した巨大コンテナは堅強なコンクリート地面を派手に叩き割り、その下に桜の小さな身体を一瞬にして飲み込んでしまう。ワンテンポ遅れて落ちてきた鎖が金属の硬い音を大きく響かせると、それからはもう砂塵が舞い上がっているのみで、周囲は静寂に包まれてしまった。


 やった、のか?
 雛乃は偶然が引き起こした壮絶な光景に息を飲みつつ、グレネードから離した右手で自分の目を擦ってみた。血を流し過ぎたせいか目の前の様子はうっすらと霞んでしか見えていないが、桜の姿がそこにないというのは確か。あんな一瞬では前後左右どの方向にも逃れることはできなかっただろうし、彼女は間違いなくコンテナに潰されて死んだとしか考えられなかった。それでも雛乃は念のために、桜が居た辺りに動くものはないかと少しの間じっと見続ける。
「やった、みたいね……」
 およそ三十秒経ってからようやく自分の勝利を確信したのか、雛乃は体中の痛みを堪えながら、ゆっくりと落下したコンテナの方へと近づき始めた。潰される直前に桜が手放したらしく、スコーピオン・サブマシンガンは数トンもの圧力の下敷きにされることもなく、亀裂の走った地面の上で黒いボディを妖しく光らせ続けている。
 激しく降る雨にうたれつつ、雛乃が前屈みになってそれへと手を伸ばした時だった。
「おっと、まだ戦いは終ってないぜ」
 突如雛乃の前に現れた何かが、一瞬早くスコーピオンを掴み上げた。
 下へと向けていた目線をゆっくり持ち上げると、そこには身も凍るような不気味な笑みを浮かべる湯川利久の姿があった。
 しまった! 目の前で千代を殺した桜にばかり気を取られて、コイツの存在をすっかり忘れてしまっていた!
 雛乃は自らの間抜けさに嫌気が差した。手駒の相手ばかりをしていて、黒幕の事を放ったらかしにしていたなんて、何たる醜態だ。
「ここまで粘ってくれるとはね。予想外だったよ。てっきり桜にほんの一瞬でやられてしまうかと思っていた」
 利久はマシンガンを両手に持つと、装填されたまま残っている弾の数を確認し、それからグリップを強く握って構えた。
「とりあえず、頑張った松原さんには褒美として、更なる苦しみをプレゼントして差し上げよう」
 スコーピオンの先端がストロボのように光ったかと思うと、雛乃の身体中からいくつもの血飛沫が新たに上がった。
「いやぁぁぁぁっ!」
 絶叫する雛乃を見つつ、利久はニタニタと笑っている。倒れた雛乃の頭を踏みつけて、まるでサッカーボールでも弄ぶかのように足の裏でゴロゴロと転がした。頬から滲み出る血が地面に薄紅色の着色を施す。
「おめでたい奴だ。まさかあれで桜に勝ったと思っているなんてな」
「えっ……」
「やっぱり気付いていないようだな。おい桜。いつまでもじっとしていないで、さっさと出てこい!」
 利久の足の下で雛乃が「訳が分からない」といった表情を浮かべていると、通りの脇を真っ直ぐに伸びる溝の蓋一つがガタガタと動き出した。少ししてガコンとそれが外れる音がしたかと思うと、下から黒い装束を纏った小さな死神――いや、白石桜が姿を現したではないか。
 はっきり言って驚いた。彼女はコンテナに潰されて死んだかと思っていたのに、今ここに生きて姿を現したのだから。
 いったいどういうことなのだ?
「本当に危なかったよ。コンテナに潰される直前に、桜は足元にあった水路の溝の中に飛び込んで難を逃れたのさ。通りを横切るように溝が伸びていなかったり、蓋の一つが偶然外れていたりしなかったら、桜は今ごろぺしゃんこにされていた」
 わざとらしく「ふぅ」と額の汗を拭くような動作をする利久。
 雛乃は懸命に戦ったが、親友達の仇討ちを達成させる事も出来ず、結局は利久を楽しませるだけに終ってしまったのだった。悔しさのあまり涙が止まらなかった。
「もうそろそろ遊びはいいだろう。桜、コイツにとどめをしろ」
 スコーピオンを手渡された桜は雛乃の側へと歩み寄り、そして顔を覗き込むように屈んできた。
「ほらここだ。ここに突っ込んで撃ちまくれ」
 利久が雛乃のあごを踏みつけて無理矢理に開かせると、桜は言われた通りにマシンガンの銃口を口の中に突っ込む。
 ああ、なるほど。彼女、自分の意志で動くことはなくても、他人の命令通りに行動することは出来たわけか。
 ぼんやりと思いながら桜の顔を見ていたが、ふと違和感を覚えた。雛乃を見る彼女の表情が、いつもの無機質なものとは多少違っているように感じたのだった。それはごく僅かな変化だったので単なる気のせいだったのかもしれないけれど、少なくとも雛乃には、桜の表情の中にはある感情が見え隠れしているように思えた。それは喜怒哀楽の中の一つである「怒り」。
 もしかして彼女、自分を殺そうとした私に対して怒っている?
 失われたかと思われていた感情を、桜はまだ僅かにではあるが持ち備えていたのではないだろうか、と雛乃は薄れ行く意識の中で考えたが、口の中でマシンガンの弾が一斉に弾けると同時に思考は一瞬にして閉ざされた。


 松原雛乃(女子十九番)――『死亡』

【残り 十二人】
←戻る メニュー 進む→
トップに戻る



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送