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−狂走兄妹(5)−

 盗聴器から流れる音声を耳にし、湯川利久(男子二十番)は眉を僅かに動かしながら「ほぉ」と声を洩らした。
「まさかあの二人が幹久の標的になろうとはな……」
 あの二人とはもちろん、春日千秋と比田圭吾のコンビのことである。利久は以前、廃ビルに潜むグループを完全崩壊させようと企んでいた際に、双方と顔を合わせていたのだった。クラスのメンバーのほとんどが利久の本性を知らないという中、仮面下に潜む本当の顔を見てしまった数少ない人物である。
「惜しかったなぁ。もうちょっと幹久が頑張ってくれたなら、鬱陶しいあいつらを一度に消せたかもしれないのに」
 今現在の利久にとって、千秋たちは少々邪魔な存在であると言える。もしも彼女達が他の生徒と合流するなんてことが起こってしまえば、「湯川利久の正体は、偽善者ぶった殺人鬼だ」などと、余計なことを広められてしまう恐れがあるからだ。こちらの本性が知れ渡ってしまえば、以前のようにすんなりと獲物に近づくことは出来なくなってしまう。それは、『平和主義で無害な存在』を演じ切ろうとしている男にとってはかなりの痛手であった。
 話の筋を知ってしまった観客の前で芝居を演じるほど馬鹿なことは無い。御影霞(女子二十番)も含め、秘密を知った者たちをむざむざ逃してしまったことを、今は少し後悔していた。
「ん? そういえば……」
 利久はある妙なことに気がついた。千秋や圭吾と共にスコーピオンサブマシンガンの射程から見事逃げおおせたもう一人の人物、羽村真緒(女子十四番)についてだ。
 凶弾に身を貫かれて大怪我を負っていた彼女は、一人ではとても歩くこともできない状態だったはず。そんな真緒が利久の前から逃れられたのは、間違いなく他者の助けがあったからだ。そして千秋と圭吾が現在共に行動しているという点から推理すると、真緒を連れて逃げたのはその二人だと断定できる。あの場に居合わせたもう一人の人物である御影霞が、真緒に手を貸すとは思えないからだ。
 しかしだ、そうなってくると一つの疑問が浮上する。千秋たちに連れられていたはずの真緒は今、何処に行ってしまったのだろうか。盗聴器からは真緒の声は聞こえなかったし、千秋たちにも彼女を連れている様子はなかった。放送で名前を読み上げられてもいないし、死んではいないはず。
 考えられる答えは一つだった。千秋たちが行動している現在、真緒はどこか安全なところに退避させられている。しかしあの親友想いの千秋が、プログラム会場内という危険な場所で、怪我した女を一人にするとは思えない。つまり彼女たちは別の誰かと既に合流しており、真緒の見張りを任せているのではないだろうか。
 なるほど。となると、こちらの本性は既に、その『新たに合流したもう一人の人物』にも伝えられていると考えて間違いないだろう。
「クックックッ」
 自分にとってあまり喜ばしく無いことが起こっているかもしれないというのに、何故か楽しく思えて笑いが込み上げてくる。チェスや将棋などと同様に、ある程度敵が粘ってくれればゲームとはより面白く感じられるものなのだ。
 とにかく、偽善の仮面を被って標的に堂々と近づくという今までのやり方は、これから先は控えた方が良さそうだ。誰がこちらの本性に気付いているか分からないのだから。残り少なくなってきた生存者達を少々仕留め辛くなってはしまうが、仕方無い。
 まあいいさ、これからは新たな玩具を使った全く別の方法で、実に気軽に標的たちを葬ることができるはずなのだから。
 利久が何気に後ろへと目を向けると、黒いレインコートを纏った白石桜(女子十番)の虚ろな目がこちらを見ていた。「後について来い」という命令に、彼女は今も忠実に従い続けている。まさに操り手の思うままに動く人形のよう。彼女こそが、利久のよからぬ考えを実行に移すために、最も欠かせない存在なのであった。
「結局、幹久はあれだけ必死になっていながらも、たった三人の人間すら殺すことも出来なかった。まったく情けないよな。桜はあいつみたいな使えない人間にはならないでくれよ。君のことは本当に期待しているのだから」
 利久が桜に向かって微笑みかけたそのとき、ポケットの中に入れていたビーコンが突然何かに反応し始めた。
 雨音にかき消されてしまいそうなほどの、ピッピッ、という小さな電子音を耳にした途端、利久の微笑が不気味なものへと急激に変化する。ここからそれほど遠く無い場所に、自分達以外の何者かが存在しているのだ。
「さあ、ようやく標的になりうる人間が見つかった。見失ってしまわないうちに付近を捜索し、忍び寄ることにしよう。念のために、気配と足音を殺しながら静かに、な」
 はたしてビーコンは誰の首輪に反応したのだろうか。現在生き残っている人間たちの顔が、利久の脳裏に次々と浮かぶ。
 とりあえず、盗聴器の音声から得た情報により、千秋、圭吾、幹久の三人では無いと分かっている。となると、さらに桜と自分を除いた十一人の内誰か、ということになる。そして生き残りの大半は女子。里見亜澄(女子九番)辺りは少々抵抗力がありそうだが、ほとんどの人間はさほど苦労することもなく捻じ伏せることが出来るであろう。だが逆に相手が男子だった場合はどうだろうか。
 土屋怜二(男子十二番)は比田圭吾並に優れた身体能力を持ち備えているし、なかなかの強敵となるかもしれない。
 小倉光彦(男子三番)は、正直言ってあまりよく分からない。腕っ節の強い人物では無いと一目瞭然だが、あまり目立つ生徒ではないので、詳細不明な点がかなり多いのである。授業中や休み時間中によく「ある女子生徒」に向かって、憎悪に満たされた鋭い視線を送っているのに利久は気付いていたが、彼が何を思っていたのかまで知る由は無い。もしかしたら、利久を出し抜くほどのとんでもない戦略家であるという可能性もあるし、一応注意は払っておくべきか。
「相手が誰であろうと、俺が負けることなんて無いだろうけどな」
 もはや利久の笑いは止まらない。クラスメート達の抹殺という恐ろしき思想を持つ彼の足どりは、殺し合いの場の中にいるのだとは思えぬほど軽く、正体の分からない相手の元に向かうのにも、全く恐れなど抱いていない様子だった。

【残り 十六人】
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