012
−雨中の決死行(4)−

 猛がすぐ側に来ていたということに気づくと、和歌子は目線をそちらへと向け直し、そしてあからさまに表情を歪めた。突然の来訪者に快く思ってはいないのだろう。
「なぁに磐田君じゃないの。せっかくいいところだったのに、邪魔する気?」
「当たり前だ! お前、正気でそんなことしようとしてるのか?」
 猛の目線が和歌子のシャベルへと向く。
 彼の息づかいは少々荒かった。おそらくこちらの騒ぎを聞きつけるなり、支給武器の木製バットを抱えて、遠くからここまで全速力で走ってきたのだろう。
 ライオンの鬣のような髪も雨で濡らされ、ところどころ飛びはねている毛先から水が滴っている。
「まあね。あんたさえ現れなければ、今頃この娘の頭を叩き割ってたところだわ」
 和歌子がちらりとこちらを見た。まだ殺気が収まっていない彼女の視線を肌で感じて、千秋は半身を穴の中に突っ込んだままの状態で身震いした。
 猛が一歩前に踏み出した。



「そんなことはさせない」
 彼の言葉には例えようのないほどの迫力がこもっている。もしも猛と対面していたのが自分だったのなら、その迫力に気圧されて蛇に睨まれた蛙のように固まってしまうであろう。しかし和歌子は違った。猛の迫力に飲み込まれることもなく、表情はまだ平静を保っている。
 二人の睨み合いはしばらく続く。その間にも猛はじりじりと和歌子へとにじり寄っている。その結果、先に折れたのは和歌子だった。
「はぁ、分かったわよ。この女を解放すればいいんでしょ」
 彼女は千秋の側から離れると、突如地面に置いてあった自らのデイパックを素早く担ぎ上げ、そのまま雑木林の奥へと走り始めた。
「おい待て!」
 相手のこの行動を予想していなかった猛が叫んだときには、既に和歌子は暗闇の中へと消えてしまっていた。さすがは女子一番の俊足。逃げ足もまたとんでもない速さだ。
 和歌子は恐ろしく冷静だった。だからこそ今の状況をすばやく整理し、ここは早々に退散するべきだと判断したのだろう。何しろ相手は磐田猛だ。その身体能力値は凄まじく高く、一対一の相手にするならば苦戦を強いられること間違いない。
「大丈夫か春日」
 半身を穴に突っ込んだままの千秋へと歩み寄ってきた猛が手を伸ばしてきた。千秋はありがたくその手を掴む。するとあとは彼の力によって自動的に地上へと引き寄せられ、事無きを得た。
 両手両膝を地に付いて肩で息をする千秋。穴に落ちそうな自身を両腕だけで支え続けた疲れと、死に直面した緊張が、今さらになって襲い掛かってきたのだ。
 千秋は相手の顔をもう一度見返した。間違いなく、トラックの中で再会を誓い合った仲間の一人、磐田猛だ。それを再度確認するや否や、急に安堵感が押し寄せてきて、瞼の内に涙が滲みだした。
「どうした? どこか怪我でもしたか?」
 猛が心配そうに聞いてくる。しかし千秋は何処も怪我などしていない。もしかしたら穴に落ちたときにどこか擦り剥いたかもしれないが、どちらにしろ大したことはないはずだ。
 千秋は首を振った。
「そうか? でもなんか山崎の頬に血がかかっていたようにも見えたが……」
 それを聞いて思い出した。和歌子は千秋を追いかける前に良規を殺害しているのだ。
「磐田君。徳川君が、徳川君が……」
 千秋は猛にそれを伝えるべきだろうと判断した。
 自分が見たこと体験したこと全てを、洗いざらい猛へと話した。
「そうか。山崎の奴、すでに殺人を……」
 彼はどこか遠くを見ながら複雑な表情を浮かべた。既に殺人を犯していた罪人を逃してしまったことを後悔しているのだろうか。
 しかしすぐに表情を元に戻し、顔を千秋へと向ける。
「とりあえず今はここを離れよう。山崎が戻ってこないとも言い切れないし、何よりも早く移動しないと目的地にはいつまでたっても着かないからな」
 そう言って猛は自分のデイパックと武器を持つと、千秋の手を引きながら立ち上がった。
 彼に手を引かれる形で立ち上がった千秋は、ふと思い立ったことを尋ねた。
「そう言うけど磐田君、今自分たちが何処にいるのか分かってるの?」
 それは現在地を理解できていない千秋だったからこそ浮かんだ疑問だった。この何の目印もない雑木林の中で、彼は進むべき方向を既に定めているのだろうか。
「大丈夫だ。ここに来る途中、遠くのほうに灯台が建っているのを木々の隙間から確認したから、それとこの雑木林内の地形を地図と照らし合わせて、大体の位置は掴めた。今俺達がいるのはおそらくC−8の真ん中辺り。目的地のE−6に向かうにはここから常に南西の方向に進めば良い。距離に換算すれば五百メートルあるかないか。平地なら真っ直ぐ歩いても一時間とかからないだろうが、この林の中は所々に斜面があるうえに、伸び放題の植物が行く手を阻んでいる。そのうえ雨が降り続けば足元はぬかるんでくるだろうし、そう易々と到達できないと考えておいた方が良いだろう」
 千秋の質問に味付けまでしてあっさりと返す猛。しかしもう驚きはしない。彼の冷静さは既に十分に理解していたのだから。
「行くぞ」
 背後の千秋を気遣って後ろを見ながら、猛は果ての見えない森林の奥へと歩み始めた。
 千秋は体中に付いた土を払い、荷物を持ち上げると、またしても猛に引かれるようにして歩き始める。
 それにしても、山崎和歌子、彼女には注意しなければならないだろう。彼女の狂気はまだまだ冷めてはいないはず。これからも他の生徒と遭遇するようなことがあれば、間違いなくその手にかけようとするはずだ。
 幼馴染の安否が気になった。
 はたしてあたしは再び真緒に会えるのだろうか。そして、再会を誓い合った十人の生徒達は、皆目的地に集まってくれるのだろうか。
 雨はまだ止みそうにない。これからもしばらく、島内に散っていった全ての生徒達を濡らし続けるのだろう。
 みんな風邪引いたりしないだろうか。
 それはこの殺し合いゲームの中では無意味な心配だった。

【残り 四十二人】

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