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−狂走兄妹(4)−

 幹久の様子が普通じゃないとは、一目見ただけですぐに分かった。間違いなく圭吾を狙ってツルハシを振り上げようとしているのに、涙で滲んだ瞳は微妙に焦点が合わさっていなくて、まるで全く別の何かが彼の視界を支配してしまっているかのようだった。
 幹久の目に映っていたもの――それは許し難き敵の姿なのか、はたまた彼自身の命にも劣らぬほど大切な存在か、残念ながら千秋には分からない。
「白石くん!」
 凶行に走る彼を止めようと必死に名を呼ぶが、相手には何の反応も見られない。心ここにあらず。目の前にあるものが何なのか認識すらできていないのかもしれない。何にしろ、とても話し合いなんかで場を治められそうにはなかった。
「こいつっ!」
 圭吾は抜群の反射神経を生かして身体を大きく横に振る。素早い判断のおかげだろうか、頭上から勢いよく下りてくるツルハシは、なんとかかわす事が出来た。しかし植物たちの群れに前後左右を圧迫されているせいか、動きがいつもより鈍っているように思える。早く鞘から刀を抜いて反撃しなければ圭吾の身が危ない。いくら体力に自信があろうとも、一方的な攻撃をその場でただ回避し続けるというのはあまりに無茶だった。
 千秋はもう、居ても立ってもいられなかった。脇に挟んでいた袋を落とすと同時に、鉄パイプを構えたままの体が勝手に動き出す。気がついたときには圭吾と幹久の間に割り込んで、ツルハシの重い一撃を代わりに受け止めていた。金属同士がぶつかったビリビリとした感触が、鉄パイプを通して手に、そして全身にまで伝わってくる。恐怖のあまり腰が抜けてしまいそうだったが、なんとか懸命に耐え続けた。
「早く! 今のうちに刀を抜いて!」
 千秋と幹久の力はほとんど五分五分。しかし戦いに積極的になれない千秋は、あまり長い間は相手の攻撃に耐えられそうにない。幹久を撃退するには圭吾の力が絶対に必要であった。
「すまん! 少し耐えていてくれ」
 ツルハシを避けている間に余計複雑に絡まってしまった蔓を、圭吾は力ずくで引き剥がしにかかる。
「少しって、いったいどれくらいよ?」
「知るかっ! 刀が抜けるようになるまでだ!」
 とにかく、二人は共に必死だった。ここで自分達がやられてしまえば、風花や真緒も関わっている計画の全てが台無しになってしまうのだから。いや、今はそんなことを考えている場合でもないのかもしれない。何しろ今現在、生命の危機に直面しているのは、病院で待っている少女達ではなく、自分達の方なのだから。
「ねぇ、まだっ?」
「もう少し耐えろっ!」
 そんなことを言われても、既に体力の限界が訪れている中、これ以上身体に鞭を打ち続けることなんてできそうにない。すぐ前では幹久の顔がかつて無いほどに歪んでしまっており、それを見て恐ろしさを感じてしまった千秋は、ツルハシを受け止めている腕の力を危うく抜いてしまいそうになった。
 それにしても信じられない。妹の桜に対してはもちろん、それ以外のクラスメート達にもいつも優しくおおらかに接していた、あの幹久が、自ら凶器を構えて襲い掛かってくるなんて、全く予想できないことであった。
「やめてっ、幹久くん! どうして……、どうしてあなたのような優しい人までもがゲームに乗ってしまうのよ!」
 千秋は必死に呼びかける。しかしそれに対する返事は幹久の口からは出てこない。彼が発する言葉といえば、意味の分からない独り言ばかりであった。
「聞いてよ! ねぇっ、もうやめようよ、こんなこと」
「殺さないと……。零時までにもう一人……」
「幹久くんっ!」
「無駄だ、春日っ! ちょっと退いてろっ!」
 いきなり背中を引かれた千秋は、バランスを崩して倒れてしまいそうになる。それと同時に、今度は圭吾が幹久の前へと果敢に飛び出していた。絡んでいた蔓が全て解け、ようやく刀を鞘から抜き出すことが出来たらしい。
「これでお前に勝ち目はなくなった。悪いがこの場から消えてもらう」
 圭吾が刀を素早く薙ぐと、一様の高さですっぱりと切られた植物たちがバラバラと散り、狭かった視界がほんの少し開けた。紅月の切れ味とは相当優れたものであった。
 金棒を手に入れた鬼の如く、刀を手にした圭吾の威圧感は、相変わらず圧倒的だった。大抵の人間は、そんな彼と対峙した瞬間に戦意を失って武器を下ろしてしまうか、あるいは踵を返して逃げ出してしまうであろう。だが、明らかに平常心を欠いてしまっている幹久はそんな判断もできないのか、振り上げたツルハシはそのままに、またもや圭吾へと立ち向かってくる。
「逃げなかったことを後悔するぞ」
 大きく空を切った紅月の切っ先は、幹久の腹部を正確に捉えた。ツルハシを大きく振りかぶって守りを疎かにしてしまっていては、どうすることも出来ない。一文字に切れたブレザーの下からは薄っすらと血が滲み出し、痛みに耐えかねて幹久は咆哮した。
「傷は深くないはずだ。別に命に支障は無いだろうし、これ以上立ち向かってこなければ殺しもしない。だからさっさとここから立ち去れ」
 はたして幹久の耳に圭吾の声は入っているのだろうか。片方の手で腹を抑えながらその場に膝をついてしまった彼は、まだ訳の分からないことを呟き続けており、圧倒的な力の差を前にしてもいつまでも武器を手放そうとはしなかった。
「こいつっ!」
 圭吾が顔をひきつらせた。もはや立ち向かってはこないだろうと思っていた幹久が、ツルハシを手にしたままもう一度立ち上がったのである。
「幹久くん……やめて……」
「もう来るな、白石」
 二人の声に耳を傾けることもなく、幹久は圭吾へと突進する。すぐに刀の峰で脇腹を打たれて土の上でもんどり打ってしまったが、それでも闘志を失うことなく向かってくる。
 いったい、何が彼をそこまで必死にさせているのだろうか。
 と、そのとき、雨の中で吹いた一陣の風に乗って、ある人物の声が耳へと入ってきた。
『はいはい、深夜零時になりましたよぉ。ただ今より、プログラムは二日目へと突入することになりますねぇ。まあそんなわけで、第四回目の定時放送を始めたいと思いまぁす』
 田中一郎の声だった。常に死の恐怖に怯え続けているこちらの気も知らないで、死亡した人物の名前と禁止エリアの情報を元気よく読み上げている。
「おい、どうした、白石?」
 どうしたことだろう、放送が始まった途端に幹久は突然体の動きを止めて、小刻みに震えだしたではないか。そして「桜が……」と呟いたかと思うと、急に何かを思い立ったかのように体の向きを変えて、草を掻き分けながらどこかへと走り出してしまった。いったい何故、圭吾に立ち向かうのをいきなりやめてしまったのだろうか。千秋も圭吾も訳が分からない。
「もしかして、今の放送で呼ばれた名前の中に、幹久くんと何らか関わりがあった子が居たんじゃない? それで、その子が死んでしまったことを知って、急に戦意を失ってしまった、とか……」
 とは言ってはみたものの、千秋はその考えにあまり自信を持ってはいなかった。今回名前を呼ばれたのは、叶昌子、坂本達郎、安藤幸平だけであり、三人とも幹久とは特別縁があるとは思えない人物ばかりであったから。それなら禁止エリアの情報が関係しているのかとも思ったが、次に禁止エリアが発動するまではまだまだ時間があるし、そもそもこの辺りのエリアは関係なかったのだから、急いで離れる必要も無いはずだ。
「俺達の知らない理由があるのだろう。まあとにかく、立ち去ってくれればそれで良い。俺達に知る由も無いような余計なことはもう考えず、とにかく無事に帰り着くことためのことだけに専念しよう」
 紅月の刃が鞘の中におさまる音が聞こえた。千秋は泥の上に放置したままになっていた肥料の袋を持ち上げて、脇の間にしっかりと抱える。
「それじゃあ今度こそ誰とも出会わないことを祈りつつ、山代総合病院へと真っ直ぐ向かうぞ」
「了解」
 千秋は頷いて歩き始めた。帰り道はまだまだ長い。少しでも早く真緒たちのもとへとたどり着きたいという思いがあるため、立ち止まっている僅かな時間すらも惜しまれる。体がどれだけ疲労していようが関係なく、とにかく先へ先へと進みたかった。
「……助けてくれてありがとうな」
 唐突に、圭吾が少し言いにくそうに短く礼を述べた。紅月の柄に蔓が絡まって幹久に反撃できなかった時、間に割って入ってくれたことについて言っているのだろう。
「なあに、たくさんある借りの内一つを返しただけよ。あたしを連れて来て正解だったでしょ?」
「笑わせるなよ」
 二人の足どりはとても軽いとはいえないが、確実に一歩一歩真緒たちのもとへと近づいていっている。幹久の様子については少し気にかかるところがあるけれど、今はこうして二人ともが無事に帰路につけていることをありがたく思うばかりだった。

【残り 十六人】
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