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−狂走兄妹(1)−

 少女の立ち位置から十メートルほど離れた場所にある石の上に立たせていたペットボトルが、プラスチック製の小さな弾に側面を弾かれて、カコンと小気味の良い音をたてながら倒れた。すぐに湯川利久(男子二十番)は拾い上げたそれをもう一度立たせるが、十秒もしないうちに、また弾かれて地面の上に倒れてしまう。
 辺りには直径五ミリ程度の大きさのプラスチック弾が、ゆうに五十発以上散乱している。全て白石桜(女子八番)の手によって、玩具の拳銃の銃口から発射されたものであった。
 目の前で何度も連続して起こっている光景を見て、さすがの利久も驚きを隠すことが出来なかった。命令形の言葉にだけ反応するという桜の特性を知ってから、玩具の拳銃を用いた射的を、物は試しとずっと続けさせてきたのだが、的としているペットボトルに初めて弾を命中させて以来、彼女はただの一度たりとも狙いを外しはしなかったのだ。
 こいつは思った以上にとんでもない逸材かもしれない――。
 意外な発見に興奮した利久は、つい身体を震わせてしまう。普段は声も発さず、表情を変えることすらしないあの白石桜が、こんな恐ろしいほどにまで優れた学習能力を持ち備えていたなんて、いったい何処の誰が知っていただろうか。過剰な擁護を続けることだけが桜の為になると盲信していた点から推察するに、おそらく兄である幹久ですら、彼女の埋もれた才能にまだ気づいていないと思われる。
 利久がペットボトルを立てて合図を送ると、桜が撃った弾はまたすぐに的を撃ち倒す。それを見て驚いている観衆のように、周囲の緑樹たちが風を受けてざわついた。
「ハハッ」
 利久はついつい笑ってしまった。誰よりも桜と長い間接していたはずの幹久よりも先に、自分が彼女の才能に気付くことが出来たのだとしたら、これほどまでにおかしなことは他には無い、と。
 きっと、幹久はいつも桜の手を引いて先を歩いていたために、背後に存在する優れた才能が垣間見える数少ない瞬間を、いつも見逃していたに違いない。そうでないにしろ、一人の兄として妹のために尽くしてきた幹久の、身体を張って外の圧力から妹を守るというやり方は間違っていたとしか思えない。兄が妹の負担となることを全て代わりに請け負うなど過剰な保護を続けていたせいで、自らは何もせずに済むようになってしまった桜に、成長なんてできるはずがなかったのだから。
 薄暗がりに生えた芽は、外界からの強い日差しを身に浴びなければ、結局開花せぬまま一生を終えてしまう。幹久はいち早く桜の才能を見出して、そこに明るい日の光を照らしてやるべきだった。それなのに幹久はこともあろうに、一厘の花が日差しを受けて干乾びてしまうことを恐れ、その頭上に分厚い屋根を張り巡らせてしまった。その屋根は妹の生長の妨げになるだけなのだとも気付かずに。
 日のあたらない場所で過剰な保護を受けつづけている人間なんて、狭い箱の中で飼われている鳥と何らかわらない。はたしてその束縛されたような状態は、桜にとって幸せだっただろうか。利久はそうは思わない。
 天より注がれる恵みの陽光と外気に触れさせ、兄は妹のまだ幼い才能を強く育んであげるべきであった。そして程よく成長したところで、何かにそれを活用させてやるか、はたまた自由に羽ばたかせてあげる。それこそが一番桜の為になったはずだ。そんなことも分からなかったなんて、もはやお人よし過ぎるとか、そういう域に留まる問題ではない。利久からしてみれば、幹久は単なるバカとしか感じられなかった。
「桜、お前は本当に不幸な奴だな。大樹にまで成長する可能性を持っていながら、無能な兄のせいで一生を幼木のまま過ごしてしまうところだった」
 利久は桜のもとへと近寄って、掌で頭を優しく撫でる。ミディアムショートに揃えられた白髪は一本一本が繊細で、触るととても柔らかく気持ちよかった。
 さて、深夜零時の放送まで時間はほとんど残されていない。妹を解放してもらうためにと必死になっている幹久が、これまでに殺害した生徒の数は二人。利久が与えたノルマにはあと一歩達していない。おそらく彼に訪れるチャンスはあと一回あるか無いか。三人目を殺害できるかどうかはとても微妙なところである。
 だが目線が既に兄よりも妹の方へと向いてしまっている利久は、今や幹久への興味など失っており、ノルマが達成されるかどうかなんて、もはやどうでもよいことであった。
「幹久にお前のような優秀な妹がいるなんてもったいない。これから少しの間、俺が代わりに兄となってやろう。そしてお前はその溢れんばかりの才能を、愛する新たな兄のため存分に生かすんだ」
 幹久のことはもう忘れろ、と言うと、桜はしっかりと首を縦に振った。何でもかんでも思い通りになるという現状が面白くて、利久の笑いはもう止まらない。
 なんとも哀れな。幹久、お前が十五年かけて懸命に培ってきた兄妹の絆なんて、所詮はこんなに脆いものだったのさ。だがまあ悲しむことは無い。お前に扱い切ることのできなかった妹は、代わりに俺が操り人形として役立たせてやるからな。それこそが、存在意義がこれまで不透明であった桜のためにもなるのだから。
 せっかく手に入れた大事な人形が雨に濡れて台無しになってしまわぬよう、利久はデイパックから取り出した黒いレインコートを桜に着せた。そもそもは自分が着るために調達したものだったが、深いフードに視界を制限されるのも嫌だったので、与えてしまっても良いと考えたのだった。
「幹久があと一人殺害できるかどうかは分からないが、いずれにしろ、これまでに盗聴器から聞こえた音声から奴の居場所を推測するに、制限時間を迎えてからここに戻ってくるにはかなり時間がかかると思われる。その間じっと待っているのも面倒だ。こちらも少し行動を起こすとしよう」
 利久は桜の方を振り向いて、不気味な笑みを顔中に湛える。
 サイズの少し大きいレインコートを身につけた少女の姿は、黒い装束を羽織る死神のようにも見えた。

【残り 十六人】
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