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−奇跡は再来す(3)−

 盗聴器からは、確かに安藤幸平のものらしき声が聞こえた。しかし、何かが砕けるような音がしてからは、もう二度と彼の声は聞こえてこなかった。どうやら、幸平もまた幹久の手にかかってしまったらしい。
「これで二人目か……」
 湯川利久(男子二十番)は、電源を入れたままの受信機をデイパックの上に置いて、呟いた。
 次の放送までに三人殺せば妹を助けてやる、という約束を本気で信じている幹久は、利久の思うまま忠実に動いてくれている。実に感心なお人形だ。
「まあ、いくら言うとおりに働いてくれたところで、俺は約束を守るつもりなんて無いけどな。なあ、桜」
 利久は隣に座る幹久の妹、白石桜(女子十番)に話しかける。しかし彼女は相変わらず黙ったままで、身体も同じ体勢のまま微動だにさせない。これでは兄よりもこっちの方が本当の人形みたいだ。
 利久はこうやって、たびたび桜に話しかけてきたが、やはり彼女から反応らしい反応が返ってきたことは一度も無かった。いったいこの女、いままでどうやって生きてきたというのだろうか。
 今の様子を見ていると、飯を食うのも、風呂に入るのも、生きる為に必要な行動全てが彼女一人だけで行えるとはとても思えない。常に他人の手を借りて生活してきたのだとしか考えられないのだ。
 まったく、自我を失うってのは面倒なものなんだな。
 ふいに、利久の頬に冷たい何かがかかった。風向きが変わったせいで、大木の下で雨宿りする彼が座っている位置にも、雨が降り注ぎ始めたのである。少し場所を移動しなければ、たちまち濡れ鼠になってしまう。
「ちっ。おい桜、お前もう少し向こうへと行け」
 無駄だと分かっていながら利久が言った。ところがここで思いがけぬ事が起こった。利久の言葉に対して桜がコクリと頷いて返し、自らが座る位置を五十センチほど横にずらしたのである。これは、利久の言葉に対して桜が初めて見せた反応であった。
 利久は心底驚いた。
「お前、今間違いなく俺の言葉に反応したよな?」
 再び桜に向かって言葉を投げかける。しかし、今度はまたこれまでと全く同じように虚ろな目を遠くに向けたままで、僅かな反応すら見せない。
 いったいどうしたというのだろう。彼女の身に何か起こったのだろうか。
 利久は少しの間考えた。そして、半信半疑ながら一つの答えを導き出す。
「おい桜。お前、こいつをちょっと構えてみろ」
 利久はデイパックの中から、ある物体を取り出して、虚ろな目をしたままこちらを振り向きもしない桜の手に、無理矢理それを握らせた。前に松原雛乃が逃げた際に残していった玩具の拳銃だった。
 桜はそれを手にしてから少しの間は動こうとしなかったが、やがてグリップをしっかりと握って、胸の高さへとゆっくり持ち上げて前に突き出した。それを見た利久は、自ら思いついた考えは間違っていなかったと確信した。
「片手じゃない。こいつは玩具だが、お前のような細腕じゃあ、片手でなんか本物の拳銃の衝撃には耐えられない。両手で構えろ」
 すると桜はまた頷いて、利久に言われたとおりに構え直す。そう、自分ではほとんど物事を考えられない桜は、大概の言葉は整理しきれずに聞き流してしまうのだが、言われたことをそのまま行うだけの理解力は持っているのだ。要するに、彼女は「命令形」の言葉にだけ、しっかりとした反応を返すことが出来るのである。これは兄である幹久なんかはとっくに知っていたことであり、桜はいつも兄の言葉に従うことによって、生きる為に必要な行動の全てをこなしてきたのである。
「よし、それでいい。それじゃあ次にこの的を撃て。狙いを合わせて引き金を絞るんだ」


 空になったペットボトルを離れた場所に置き、利久は再び桜に命令した。すると桜は上下左右に銃口を動かしてから動きを止め、プラスチック製のトリガーをゆっくりと引き絞った。しかし狙いが正確ではなかったらしく、銃口から飛び出したBB弾は、的であるペットボトルの先端からさらに三十センチほど上を通過。
「銃口が上を向きすぎている。左にも少しずれていたな。狙いをもっと左下へと動かして、もう一度撃て」
 利久の命令に、桜は忠実に従う。二発目も三発目も外してしまうが、その狙いはだんだんと確かなものへと変わっていった。そして四発目。
 カコン。
 プラスチック製の弾は、ついに利久が指定した的の真ん中に命中した。それを見て一番喜悦していたのは桜ではなく利久であった。
「こいつは凄い。この女にまさかこんな秘密が隠されていたとは」
 調教の仕方によっては、幹久なんか比べものにならないほど使い勝手の良い「傀儡」にもなり得る。彼はまたそんなろくでもない思いを頭に浮かばせて、満足げに微笑んだ。

【残り 十六人】
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