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−奇跡は再来す(1)−

 ほとんど光の届かない森林の奥地。地を這うように土の上一面に広がっている茂みの一部が、カサカサと小さく音をたてながら揺れた。頭上に広がる木の葉の屋根を伝って垂れてきた雨の雫の仕業なんかではない。いつ現れるか分からない敵の存在を恐れて身を潜ませていた一人の男が僅かに身をよじらせた際、身体の振動が茂みにも伝わったのだった。
 なぜだ。どうして俺がこんな目に遭わなくてはならない?
 安藤幸平(男子一番)は地面から腰を少し浮かせるといった、ちょうどコンビニエンスストアの前にたむろする不良のような座り方をしながら、芳しくない現状を悲観して溜息をついた。
 彼はたった一度の失敗によって椅子取りゲームの勝利から遥かに遠ざかってしまったという、じつに運の無い男であった。デザートイーグルといった当たり武器を支給されたにも関わらず、ゲーム開始後に初めて出会った相手が比田圭吾という強敵であったうえ、相手を仕留めるタイミングと手段を誤ってしまったせいで、逆に武器を奪われてしまい、さらには逃亡しなければならないという事態に陥ってしまったのだった。というわけで、現在の幸平は、銃はおろか、武器になるようなものなんて何一つ身につけていない。勝利から遠ざかってしまったとはそういうことである。
 圭吾に斬られた首の傷と、容赦なく蹴飛ばされた腹の痛みが未だに取れない。いや、それよりも腹を蹴られて吹っ飛んだ時、岩の角に打ちつけてしまった脇腹の方がもっと痛む。泥だらけになっている自分の身体を見ると、我ながら哀れに思えて仕方なかった。
 比田のやつ、いくらなんでも容赦無さすぎだ。そりゃあ奴らを殺そうとした自分が仕返しされるというのは当たり前かもしれないが、そのうえ銃まで取り上げてしまうなんて酷すぎる。
 と、自分が生かされていることを棚に上げて、不平ばかりを頭に思い浮かべる。幸平は納得がいかないのだった。かつては『奇跡の少年』と呼ばれていた自分が、こんなにも酷い目に遭わなければならないなんて――。

 二年前の大火災によって、兵庫県立松乃中等学校は大破した。様々な不運が積み重なって被害が拡大し、多くの死者が出てしまったという、まさに前代未聞の大惨事である。
 死者の多くは火災が発生したその日のうちに遺体が発見されていたが、火が消し止められた後、焼け跡から瓦礫を取り除いていくうちに二日三日と経って、それから発見されたという例も少なからずあった。
 地震などの災害で、倒壊した建物の瓦礫を取り除いている際、まだ息のある人間が発見されるということは往々にしてある。このときも、「もしかしたら遺体だけではなく、生存者も見つかるかもしれない」なんて淡い期待を抱く人々もいくらか存在していたらしい。だが、瓦礫の大半が黒焦げになるほど燃え盛っていた建物の下敷きになりながらも死を免れた人間なんて、実際はほとんどいなかった。瓦礫の山に圧し掛かられた者たちは、上からの重みに潰されるか、あるいは身動きが取れないまま炎に包まれてしまうか、いずれかの理由で亡くなってしまっていたのである。そんな中、倒壊した建物の中から唯一見つかった生存者というのが幸平だった。
 彼が救出されたのは、火が完全に消し止められてから約三十八時間後のことだった。それは、丸一日以上にも渡って瓦礫の撤去作業が進められていたにもかかわらず、たった一人の生存者も見つからなくて誰もが諦めかけていた、という頃。それだけに、幸平が救出された時の騒ぎといったら相当なものであった。
 後々分かったことなのだが、幸平が下敷きになっていた辺りのみ建物はほとんど焼けておらず、瓦礫の量も比較的少なめだったらしい。そのおかげで焼死も圧死も免れて、身体の骨を何箇所か折るだけで済んだということだ。まさに幸運である。
 幸平は事件の後、瓦礫の下から見つかった唯一の生存者ということで『奇跡の少年』と呼ばれるようになる。初めの頃は慣れないその呼び名に違和感を覚えていたが、自分が特別視されているということに、徐々に快感を覚えるようになっていった。そしてその快感が積もり続けていった結果、いつしか彼自身が思うようになっていたのだった。俺は奇跡の少年なのだ、と。

 自分たちのクラスがプログラムに選ばれたと知った瞬間、幸平はもちろん絶望感を味わうことになった。だが、完全に希望を捨て切ってはいなかった。優勝するのは自分だ、という自信が彼には僅かながらあったからだ。
 俺は奇跡の少年。一度死の間際へと追いやられながらも、不死鳥の如く見事舞い戻ることのできた幸運の持ち主だ。きっと今回だって、四十人以上いるクラスメート達を退けて優勝を手にするという奇跡は起こり得るはず。
 そんな幸平の自信を肯定するかのような出来事は実際に起こった。武器として彼に銃が支給されたのである。今回のプログラムで何丁の銃が出回っているのかは分からないが、さほど多くはないはずだ。となると、数少ない銃を初っ端から手に入れたということは、幸運だったと言えるのではないだろうか。
 ただし、幸平の身に起こった幸運とは、今のところこれが最後。痛い目に遭った上に銃を取り上げられてしまい、丸腰になってしまった現在の彼には、もはやプログラムで優勝できる可能性なんてほとんど無いかもしれない。武器も無しに戦いで勝利するなんて、相当難しいことだから。だが、それでも彼はまだ奇跡はこれから起こると信じ続けている。
 二年前の火災の時、幸平は一度瓦礫の下に埋もれてしまうという不運な目に遭った。しかしそれでも最終的には助かった。今回だってたぶん同じだ。プログラムに巻き込まれたうえに武器を失ってしまうという不幸はあったが、きっと最後には誰も想像できないような大逆転劇が待ち受けているに違いない。その証拠に――。
 幸平は身を低くして、茂みの隙間から森林の奥を覗き込んだ。そして乾いてカサカサになっている唇の端を僅かにつり上げる。小さな目の向く遥か先に、ぼんやりとだが人の姿らしきものが見えているのだ。ガサガサという足音が、徐々にこちらに近づいてくる。暗いし距離もあるし、相手の正体はまだ分からない。
 幸平は思った。相手が誰にしろ、ここで上手く仕留めることが出来れば、何らかの武器を奪い取ることが出来る。これはきっと後に待ち受けるハッピーエンドへの序章。奇跡の大逆転劇は既に始まっているのだ、と。
 武器を手にすることが出来れば、遠ざかってしまった優勝にもう一度近づける。小さな自信が確固たるものへと変わっていき、俄然やる気が沸いてきた。
 殺そう。こちらに向かってくるあの人物を。
 奇跡はここに再び起こる。そう信じてやまない幸平の目に、殺意の色がじんわりと浮かんだ。

【残り 十七人】
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