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−心は繋いで(4)−

 外でまた雷が鳴った。ゴロゴロというその唸りは地の底から鳴り響いているように聞こえて、まるで世界の終りが目前に迫っているかのように思わされてしまう。
「これが、二年前に私達の身に起こった事の全てよ」
 長々と自らの過去を話し続けてきた真緒は、最後にそう言って締めくくった。
 嵐のような天候が暴れまわっている外とは対称的に、病室内はとても静かだ。真緒の話が終わっても、風花はそれについて何かコメントを添えるでもなく、少しの間黙ったままであったからだ。なにやら頭の中で考えをめぐらせていたらしく、彼女が次に口を開くまで、実に十数秒もの時間を要した。
「なんとも壮絶な話だわね」
 風花は天を見上げるかのように身体を後ろへと仰け反らせ、背中の筋を大きく伸ばした。緊張感の途切れることの無い重々しい話を聞き続けていては、さすがに疲れを感じずにはいられなかった、といった様子。しかし表情はあくまでも真剣なままで、話を聞く態度を崩すつもりなどは無いらしい。
「今でも時々夢となって、あのときの光景が頭の中に蘇ってくるの。これは私たち三人にとって、忘れることの出来ない人生至上最大の罪だから」
「なるほどね。あなたたちが何を体験してきて、どんな罪に苛まれてきたか、なんとなく理解できたわ」
 動物のお医者さんになりたいという夢が、死んでしまった親友への償いであったということもね。と、風花は頷きながら言葉の尻に付け加えた。頭の回転が良い彼女は物事を理解するのも早い。
「それで。親友の夢を継ぐと決めた羽村さんは、醍醐葉月さんと同じく東京大学を目指すのかしら?」
 風花の言葉を聞いて、真緒は、まさか、と苦笑した。
「私が目指しているのはあくまでも、葉月の本来の目標であった動物のお医者さんになるということよ。東大なんて、私には雲をも掴むような話だしね」
 真緒の成績は決して悪くは無いが、確かに大東亜の最高峰を目指せるという程のものではない。もちろん、三年後の大学受験までに時間は十分残されているが、確率の低い勝負を挑むのはあまりに危険すぎると判断したのだった。ヘマをやらかして目標を果たせなかった、なんて事だけは避けなければならない。
「東大を目指さないとはいっても、私はあの火事以来、学業には日々死力を尽くしてきたつもりだよ。大学ごとにハードルの高さは違うといっても、獣医学科なんて何処も容易に入れるものではないからね。そのおかげか、以前は苦手だった化学や生物も、今や平均点の遥か上を取れるまでになった」
「それで、あなたは本当に獣医になれると思っているの?」
「思ってるよ。私は絶対に動物のお医者さんになる。それが叶わなければ、とても葉月に顔向けなんてできない」
 真緒が夢を受け継ぐというのは葉月が望んでいたことでは無いけれど、心の内で交わした約束を今さら破るわけにはいかない。それに、かつては葉月のためとして歩み始めた獣医への道だったが、それは今や真緒自身の夢へと成り果てていたのだった。
 動物のお医者さんに『なりたい』のではなく、『絶対になる』。これが現在の真緒の心境である。
「言っておくけど、道のりはとても険しいわよ」
「分かっている。けど、私はそれでも一瞬たりとも道を踏み外すつもりなんてない。目的を果たすまではね」
 強く言い切った途端、ベッドの上で起こしていた真緒の上半身が大きく揺れた。体調不良は徐々に悪化しているらしく、頭がフラフラするし、少し寒いとも感じるようになっていた。ほとんど力の入らない腕ではもう身体を支えきれなくて、半身が横に倒れそうになったとき、風花が優しく受け止めてくれた。
「出血が酷かったから。きっともう血が足りていないのね」
 彼女は真緒の身体をベッドの上にゆっくりと寝かせ、一呼吸置いてから「無理に話させてごめんなさい」と呟いた。半分真緒が勝手に話し出したような状態だったのだから、全然気にしなくていいのに。
「あなたの決心は軽い気持ちから生まれたものでは無いと分かった。羽村さん、あなたは死力を尽くしてでも生かすだけの価値がある人間だわ」
 風花が言った。その言葉が何を意味しているのか、突然すぎて読み取れない。
「私の命、あなたになら分け与えるのも惜しくは思わない」
「えっ?」
 命を分け与えるとは、いったいどういうことだ。妙な胸騒ぎがした。
「羽村さん。確かあなたはA型だって言っていたわね」
「う、うん……」
 つい先ほど、真緒は自分の血液型はAだって風花に話したばかりだ。あの言葉に偽りは無い。
「一つ回答を述べるのを忘れていたけれど、私の血液型も実はAなの。奇遇にも、あなたと一緒」
 風花の血液型はAB型。それは真緒の思い込みであったというわけだ。やはり性格と血液型の関係なんて、あまりあてにはならないということか。
「つまりよ。あなたの身体は私の血液を受け入れることが可能に造られているということよ」
「まさか……」
 唐突に、真緒は風花の考えていることがなんとなく分かった気がして、言葉を失ってしまった。普通なら思いつきもしないようなそのアイデアは、奇抜とか無謀とか、そんなレベルに留まるようなものではなかったから。
「私の血液、あなたに分け与えてあげる」
 予感は的中してしまった。風花の考えていたこととは、まさに真緒が今思いついたことそのものであった。それにしても、自分の血をクラスメートに輸血するなんて、普通なら頭の片隅にすら浮かばないだろうに、まさかこの女、それを実行する技術をも持っているというのか。
 体調不良とは別の理由で、真緒は頭がクラクラと揺れているのを感じた。
「何を驚いているの。獣医を目指している人間なのだから、輸血という言葉くらい知っているでしょ」
「そりゃあそうだけど――」
 輸血なんて言葉くらい、獣医を目指していなくたって誰だって知っている。問題なのは、今ここで医師の手も借りずに、現役中学生だけでそれを行うという風花の発想の方だ。単に血を抜いてそれを別の人の身体へと送り込むだけではなく、感染等の危険も考慮しなければならないのだ。こんな作業、とても素人だけで行えるようなものではない。だけど彼女の顔はあまりに真剣だったので、思ったことをそのまま口から出すこともできなかった。
「血液って日持ちしないものだからね。残念なことに、この病院には輸血にまともに使える血液なんて残されていないのよね」
「だからって、なにも蓮木さんが血を提供しなくたって……」
「なに? 私の血液なんか体内に取り込むのは嫌?」
「いや、そういうわけじゃ――」
「じゃあ決まりね。心配することは無いわ。幸いにもここが病院のおかげで、抗凝固薬や輸液ポンプなど、輸血に必要なものは全て揃っているはずだしね。さて、そうと決まれば早速作業に取り掛かろうかしら。無駄に時間をかけていてもあなたの体調がどんどんと悪化していくだけだし」
 風花は勝手に話を進めてしまい、真緒が割り込む隙すら作ってくれない。
 私の血で生かしてもらうのだから、ちゃんと感謝しなさいよ。と言って、彼女は病室から一度出て行こうとした。自らの血液を採血するため、また、それを真緒に輸血するための準備に取り掛かるのだそうだ。
「あ、そうそう。あなた、親友を助けられなかったことを悔やんでいると言うけれど、これは覚えておいてちょうだい」
 扉の前まで行って立ち止まり、風花はこちらを振り向いた。
「私は、その全く逆――人を助けたことで現在も苦しみ続けている人物達を知っているわ」
 彼女の言っている事は相変わらず難しく、理解することは出来なかった。いや、そもそも真緒は輸血のことで頭の中がいっぱいで、それ以外の話について深く考える余裕なんて無いのだった。

【残り 十七人】
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