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−真性自己愛者(3)−

 達郎はグロックに安全装置が入ったままじゃないかどうかを、念のために今一度確認する。発砲しようという肝心な時にもたつくようなことがあれば、せっかく見つけた獲物に気付かれ、むざむざと逃げられてしまう恐れがあるから。常に最悪の事態を想定して緊張感を持ち続けるのは重要なことである。
 十字路の角からゆっくりと頭を覗かせると、数秒前には存在したはずの御影霞の姿は、既にその先から忽然と消え失せていた。目を離していたほんの短時間の間に、どこかへと行ってしまったようだ。だが里見亜澄を見失ってしまった時とは違い、今回の獲物はどの方角へと向かったのかが分かっている。だから焦る必要など全く無い。
 達郎が見たとき、霞はこちらから二十メートルほど離れた位置にある十字路を西へと進んでいるようだった。当然ながら向こうも徒歩での移動なので、急げば今からでも十分に追いつけるはず。もちろん、上手くこちらの存在に気付かれず追跡することが出来ればの話だが。
 とにかく、善は急げ、だ。一時的に身を隠していた壁の裏から飛び出して、すぐに霞の後を追い始めることにする。追跡の足を速めつつも、できる限り足音を立てないように気をつけなければならないというのは、少々やっかいなことであるが、確実に相手の背後を取るためにはやらざるを得ない。まあ、銃で狙えるくらいの距離にまで近づければ十分なので、不可能ではないはずだ。
 つい先ほどまで霞がいた十字路を目指し、水溜りを避けながら小走りで前に進んだ。そして標的の姿を確認できたらすぐに、その醜い後ろ姿に向けて容赦なく発砲してやるのだと自分に言い聞かせる。
 十字路に到達した達郎は、包帯ずくめの不気味な姿を頭の中に思い描きながら、塀の裏から頭だけを出して、霞が進んでいったであろう方角の道を覗き込んだ。だが、そこから見ることが出来たのは、思いもしなかった光景であった。
 ……いない?
 そう、十字路から西に伸びる道のどこかに絶対にいると思われた霞の姿が、何故か視界の中に映し出されはしなかったのだ。目を擦ってもう一度じっと見ても、やはり何処にも人の姿なんて見られない。
 いったいこれはどういうことなのか。
 一瞬、霞を見たという自らの目を疑ってみたが、その像は思い過ごしや幻覚というにははっきりしすぎていたし、彼女がこの辺りにいたというのは間違いないはずだ。なら、霞は単に別の方角へと歩いていってしまっただけなのではないだろうか、とも思ってみたが、達郎は彼女が西側の通りへと入っていくのを確かに見ている。
 となると、考えられる可能性は一つ。霞は達郎が付近に潜んでいることに気が付いて、すぐさまその場から駆け出してしまったのではないだろうか。有り得ないことではない。達郎と亜澄が撃った銃の音を聞いていれば、霞だって周囲を警戒して、微かな気配にも過敏になっていただろうから。塀の裏に隠れようとした一瞬の間に、こちらの姿を見られてしまったとも考えられる。
 となると、亜澄のときと同様に、今から追いかけて相手を仕留めるというのは難しいであろう。霞には達郎から逃げるだけの時間が十分にあったし、分かれ道の多い住宅地の中、彼女が何処に行ってしまったかなんて知る由もない。だけど、醜い者を全て消し去って世界を浄化するのだ、と一度決心した以上、それを易々と諦めたくもなかった。
 達郎は結局、もう少しだけ付近で霞を探してみることにした。彼女の通った道筋が分からない以上、捜索には危険が伴うことになるが、弾が一杯にまで詰まった銃を一丁持っていたことによって、少々気が大きくなっていたのだった。
 とりあえず、現在いる場所から西へと進んでみることにした。もしも霞が達郎に気付いて逃げ出したのだとしても、わざわざ十字路へと一歩引いてまで他の道へと入っていってしまったとは考えにくかったので。
 西側の道は三十メートルほど進んだところで右手に九十度折れ曲がっている。そこまでに分かれ道などは見られない。そのため達郎は迷うことなく、曲がり角へと伸びる直線上を走って進むことができた。体が揺れるたびに、雨を吸った長髪が重く感じられた。
「さっさと殺して、髪を整え直さないといけないな」
 ぼそりと呟いたとき、目指していた曲がり角にちょうどたどり着いた。
 僅かな期待を膨らませながらその先を覗き込むが、残念ながらそこにも霞の姿は見られない。道の両端に民家の塀があって、その間には一定間隔でコンクリートの電柱が立ち並んでいる。路上駐車されたままの白い軽自動車やゴミステーションなんかも見られたが、肝心のターゲットが見つからなければ、そんなものはどうでも良かった。
 やっぱりもう逃げられてしまったか――。
 少し肩を落とす達郎。自室の中を飛んでいる蚊を仕留め損なった時のような感覚に襲われて、少し気分が悪くなったのだった。
 もはや霞が付近にいる可能性なんてほとんどゼロに近い。執拗に追いかけようとしたところで、この気持ちが晴れることは、おそらく無いだろう。だが諦めたくも無いという思いもまだ残されており、捜索を続行すべきかどうか悩む羽目になってしまう。その結果、達郎はさらに先に見える次の交差点までは進んでみることに決めた。たぶん無駄足に終わるだろうけど。
 何があろうと今回の捜索はそれで打ち切り。霞が見つからなかったら、すぐに元いた民家へと引き返し、置き去りにしてしまっている荷物を全て回収する。ついでにタオルとクシなんかを頂戴して、濡れた髪を拭いて整えなおした方が良さそうだ。
 万が一という可能性を考えて、いつでも発砲できるようにと胸の高さに銃を構えたまま、再び歩き始めた達郎。
 なぜだろう、霞が見つからなくてがっかりしてしまったせいなのか、身体が妙に重く感じる。まあ、せっかく雨に濡れるのを我慢してまで外に飛び出してきたというのに、ほんの僅かな利益すら得られなかったのだから、気が重くなってしまうのも仕方がないだろう。
 なんだかどっと疲れてしまった。
 白い軽自動車の横を通り過ぎ、二本目の電柱に並んだその時、達郎の身体はさらに一気に重みを増した。ただ、その時の変化は尋常なものではなかった。足に向かって「動け」と頭でいくら命令したところで、身体は全く前へ進まなくなってしまったのだ。足だけではない。胸の高さまで上げていた手も重力に抗えなくなってしまったのか、力なくだらりと肩から垂れ下がり、しっかりと握っていたはずの銃を取り落としてしまったのである。果ては体重を支えきれなくなった両膝が折れ曲がって、上半身がだんだんと傾いていく。しかしおかしなことに、達郎の目に映る景色だけは一向に傾こうとしない。
 不思議に思って周囲を見回そうとするも、首を回すことすらも出来なくなっている。達郎は仕方なく、目だけを動かして自分の身に何が降りかかったのか確認することにした。そしてその直後、驚愕した。御影霞――彼女がいつの間にかすぐ隣に立っていたのである。後ろにあるゴミステーションの陰に隠れて息を潜めていたらしい。まさか彼女が待ち伏せているとは思ってもいなかったので、そこは完全に盲点であった。
 とにかく、今さら霞を見つけたところで、もう手遅れでしかなかった。なぜなら、ゴミステーションの影から飛び出してきた彼女が大きく振ったナタの一撃により、達郎の頭と身体は首の部分で真っ二つに分断されてしまっていたのだから。


 やはり霞は達郎の接近に気がついていたのだ。相手が張っていた網に見事かかってしまったこちらとしては、もはやどうすることもできない。切られた首から下がゆっくりと地面の上に伏すのを見届けてから、最後に頭が落下するのを待つしかなかった。
 嫌だ、死にたくない! 最後にもう一度……もう一度だけ美しいこの顔を見届けてからでないと……。
 しかし達郎の思いも虚しく、既に大の字になって倒れていた身体はポケットから手鏡を取り出してはくれなかった。すぐ側の小さな水溜りには宙に浮かぶ彼の顔が薄っすらと映し出されていたようだが、水面が揺らめいていたせいでしっかりとはその表情を確認することはできない。結局自分の顔も見られないまま、彼の頭はアスファルトの上に落下し、二回ほどバウンドして動きを止めた。でも、彼は自分の顔を見なくて正解だったのかもしれない。死を目前に大きく歪んだ表情は、とてつもなく醜かったから。


 坂本達郎(男子七番)――『死亡』

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