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「トロイ?」
 男の突然の問いかけに、雅史は首を捻った。
「ギリシャ神話とかで聞く、あのトロイのことですか?」
 持ち備えている数少なき知識の中から必死に検索し、ようやくそれなりの回答を出す事が出来た雅史を見て、謎の男は微笑んだ。
「そう、神話の中でギリシャとの戦争の果てに滅びた国は、たしかにトロイと言う」
 男はフロントガラスへと向けた視線を微動だにさせずに答えた。ところが、曲がり角でハンドルを回しながら、突然に表情を険しく変貌させた。
「それでは質問を少し変えてみよう。君は“反政府組織トロイ”を知っているかい?」
 変わったのは表情のみではなく、口調までもが先ほどよりも力が入っているように思えた。そして、さらに驚くべきは男が口走った言葉の中にあった。
「は、反政府組織?」
 雅史が驚いている様子を横目で見ながら、男は黙ったまま頷く。
「突然何なんですか? 反政府組織トロイを知っているかって、そんなの、聞いたことすらありませんよ」
 強張った口調で質問に答えると、男は表情を険しくしたまま、ゆっくりと話し始めた。
「反政府組織トロイ。それは現政府の横暴に反感を抱く者達が集まって結成された、大東亜唯一の抵抗勢力だ。その活動範囲は広く、東は北海道、西は沖縄までと、支部は全国中に広がっている。数年前に結成されたそれは、これまでもあらゆる手段で機密情報を得つつ、今の政府をどうやってぶっ壊せばよいか策を練ってきた。そしてその行動は、今もまだ継続し続けている」
 男が突如、運転席の窓を開けた。その瞬間から車内に入り込んできた風が肌に触れ、全身に心地良さを与えてくれた。
「トロイは政府討伐のために、ありとあらゆる方向からの情報収集を試みてきたが、中でも一番力を入れて集めたのが、共和国戦闘実験第六十八番プログラムに関する情報だった。理由は聞くまでも無いだろう。現政府の行いは、常人には納得できないものがあまりにも多すぎる。その中でも、この法案は群を抜いて狂っている。可笑しいだろう? 何の罪も無い中学生達が、無意味に殺されていかなければならないだなんて。だからトロイは行動を開始したんだ。プログラムをぶっ壊そうとね」
 呆然としている雅史をよそに、彼はいきなり車のブレーキを踏んだ。前方の信号が惜しくも赤に変わってしまったようだ。
 雅史達の乗るワーゲンを包み込んでいる外の風景は、もはや見覚えのある場所ではなかった。
 左右を林に挟まれた二車線の道路は人通りが少なかったが、うるさいほどに鳴いているセミの声のせいか、不思議と寂しさは感じなかった。
「ところで、唐突にこんなことを言っては失礼かもしれないが、名城君、君は2002年度の岐阜県市立飯峰中学校三年A組対象プログラムの優勝者だね?」
 男の言葉に、雅史はドキリとした。あの悪夢のような出来事が過ぎ去ってからのこの三年間、雅史はプログラムの優勝者であるという汚名を隠し続けて生活してきた。だからその事実を知る者は、国中のほんの一握り程度しかいないはずなのだ。それなのに、その隠された事実をこの男はどうして知っているのだろうか。
 信号が青に変わったのを男が確認すると、車は再び走行を開始した。
「あなたは、いったい何者なのですか?」
 あまりに唐突な証言に驚いた雅史は、この男に不信感を抱いた。はたして、この不思議な男は何者なのだろうか。
 問い掛けられた男は、バックミラーに映る雅史の姿を一瞥すると、ゆっくりと口を動かし始めた。
「私か? 当然、私も反政府組織トロイの一員なのだが、そういえば自己紹介がまだだったな。私の名は……」
 男が再びハンドルを切ると、窓の外に映るのどかな景色が大きく回転した。すると、はるか前方に開けた空き地があるのがフロントガラス越しに見えてきた。
「おっと、どうやらもう着いてしまったようだ」
 男はそう言うと、ゆっくりとブレーキペダルを踏み、スピードを落としながらワーゲンを空き地の中へと導いていった。
 ワーゲンが空き地に入った瞬間、タイヤの下で小石がこすれ合うジャリジャリという音が車内に響いた。
 男はさらに減速して、ワーゲンを空き地の一角に停車させた。
「さあ、目的地に着きましたよ。どうぞ降りてください」
 バンと扉を開き、先導する形で車から出た男が、雅史も外に出るようにと促した。
 男の考えの真意を掴むことが出来ず、不安を抱いた。しかし、初めてこの男に出会ったとき、雅史は何故か惹かれるものを感じた。そして、この男の言うことに従うべきだと思った。どうしてだか未だに理由は分からない。ただ、全身から放たれている雰囲気が、彼は悪人ではないと証明していたように感じたのだけは確かだ。
 ドアを開いてゆっくりと車の外に出ると、新鮮な空気が身を包み、妙に心地良かった。
「ところで、ここにいったい何があるんですか?」
 雅史が聞いた。四方を木々に囲まれた、こんな何もないような空き地で、いったいどんな用があるのか見当すら付かなかった。
「じつはね、どうしても名城君に会いたいと言う者達がいるんだよ。ただ、この人達はかなり特殊な経歴の持ち主でね、そんな彼らと君が出会う場面は、絶対に他の人間に見られてはならないんだ。そこで、君の住まいから比較的近く、人気も少ないこの場所を、彼らと君の対面場所に選んだという訳なのさ」
 そんなことを言いながら、男が視線を遠くに向けた。雅史も男に倣ってそちらを向いた。すると、広場の端に停車している自動車の傍らに、二人の男が立っているのが見えた。しかしここからでは相手の顔はよく見えない。分かるのは、一人の背格好は雅史と同じくらい、そしてもう一人はそれよりも背が低いということくらいであった。
「あの二人が今話した、君に会いたいと言っていた者達だよ」
 男がそう言うよりも先に、雅史の足は既に動き始めていた。二人の姿を見た瞬間、何故か身体が引き寄せられるような感覚を覚えたのだ。
 足元で蠢いている砂利を一歩一歩踏みしめながら、二人の男へと確実に近づいていく。そのたびに、ぼんやりとしか見えなかった彼らの顔つきが、だんだんと鮮明なものへと変わっていった。
「あ……あああ……」
 驚きの声が口から自然と漏れ出す。そして、雅史は足を速めて、ついには二人の男のもとに向けて駆け出していた。



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