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 先ほど見た夢のせいで、沈んでしまった雅史の気分とは対称的に、町はいつもの通り活気に満ち溢れていた。
 商店街を通り抜けようとすると、楽しげに立ち話をしている主婦達、あるいは、客を相手に元気の良い声で対応する店主の姿が目に入った。そんな生き生きとしている人々の姿を見ると、なんだか羨ましく思ってしまった。
 岐阜県市立飯峰中学校三年A組対象、共和国戦闘実験第六十八番プログラムで優勝を果たした名城雅史は、たった一人で日常世界へと帰還した。しかし、それから三年間の生活は、雅史にとって過酷なものでしかなかった。
 榊原達政府の人間に紹介された病院で治療を受けた雅史だったが、プログラムの最中に負った怪我が完治するまでは、かなりの時間を要した。ほとんどの傷は大したものではなかったのだが、やはり早紀子によって撃ち抜かれた足首の傷がかなりの重傷だったらしい。一人で歩けるようになるまでは、じつに数ヶ月もの時が流れていた。
 長き入院生活に幕を下ろしてからの新たなる生活が、これまた予想以上に大変だった。まずは長年過ごした家を離れ、新たなる土地に移り住まねばならなかった。輝かしき数々の未来を犠牲にしてまで生き残ってしまった雅史が、これからも元の町で生活するなど、苦痛でしかなかったからだ。
 雅史達一家が移り住んだのは、今まで住んでいた町からは相当に離れた場所だった。一般的にプログラム優勝者は政府の力で強制的に他県へと移された後は、プログラムの優勝者であるという“汚名”をひた隠しつつ、ひっそりと生活しなければならない。
 数ヶ月もの入院生活を送っていた雅史は、引っ越した先の地元の中学に入り、残された僅かな中学生活をひっそりと過ごすこととなった。しかし、季節外れの転校生に、新たなるクラスメート達は不信感を抱いていたようだった。そして恐れていた事態が起こった。新たなるクラスメートの一人が、雅史はプログラムの優勝者であるという事実を知ってしまったのだ。
 隠されたその情報を、何処で手に入れたのかと雅史は疑問に思ったが、もはやそれどころではなかった。情報は人から人へと次々と伝わり、いつしか学校中の誰もが雅史の過去を知ることとなっていたのだ。さらに困った事に、情報は広がっていくごとに徐々に誇張されてゆき、気がつけば雅史自身が知る事実とは全く異なる噂すら広がっていたりもした。
 誰にも知られるべきではないそんな過去が露となってしまい、雅史は新天地での心苦しき生活を送る事を余儀なくされてしまった。
 そして迎えた高校受験。
 入院中、病室にてある程度の受験勉強はしていたため、結果的に中堅の公立高校に入学できた事はせめてもの救いとなった。
 高校入学と同時に、雅史は家族と住んでいた家を出て、たった一人での生活を開始した。プログラムから生還後の雅史は、お互いを意識した家族とのぎすぎすした関係から、一刻も早く逃れたかったのだ。
 六畳一間。ユニットバスとエアコン、冷蔵庫が備え付けられた、家賃四万二千円の部屋に移り住んだ雅史は、そこから新たなる一歩を踏み出そうと思った。幸いな事に、高校に進学した後は、雅史の過去を知る者は誰一人として現れることなく、詮索する者もいなかった。
 ようやく手に入れた平凡なる日常生活。プログラムに巻き込まれて以来、もう二度と掴み取る事は出来ないだろうと思っていたそれを手にする事ができた雅史は、気分の高まりを少々感じてはいた。しかしそれと同時に、いつも胸の内に引っかかりをも感じていた。
 あてもなく町を歩いていた雅史だったが、ふと道の傍らへと目をやった。交差点の一角に建つコンビニエンスストアの前で座り込み、下らなき雑談を交わしている四人の若者達がいた。おそらく中学生だろう。
 それを見ていると、かつて中学時代につるんでいた親友達の姿を思い出してしまった。
 遊びに行った帰りに皆でコンビニに立ち寄り、出入り口の側でパンや握り飯をほおばりながら、やはり下らなき雑談をしていた自分達。それと同じ光景が、今まさに目の前にあったのだ。
 中学生達の姿に見とれていた雅史だったが、突如開いたコンビニの扉に気がつき、視線をそちらへと移した。
 店内から出てきたのは、おそらく五十代半ばだと思われる中年男性だった。薄くなった頭に脂汗をかきながら、ハンカチで額の汗を拭き取っている男性の表情は疲れきっているように見えた。手にぶら下げている白いビニール袋の口からは、牛乳パックとパンの頭が見え隠れしている。
 店内から出てきた男性は、ふと視線を横にやった。そちらにいたのは、先ほどの中学生四人組だった。そして雅史は気がついた。中学生達を見る中年男性の視線が、まるで汚らわしき物を見ているかのように、一瞬だけ強張った。
 足元にゴミを散らかしながら、飽きもせずに雑談し続ける中学生達はマナーが悪く、中年男性の進行を阻むかのように座っていたのだ。おそらく男性は、そんな彼らが気に食わなかったのだろう。
 そんな光景を見ているうちに、頭の中に遥か昔の記憶が蘇った。それはプログラムが終了し、島から出る前に言った、担当教官榊原の言葉だった。
 彼は確かこんな事を言っていた。現在の大東亜という国の土台を築きあげたのは、紛れも無く今の大人達である。しかし死に物狂いで働いた自分達の苦労も知らずに、既に築かれた土台の上で、のん気に生きる今の若者を見ていると、気分がすこぶる悪くなるのだと。
 この言葉を聞いた当時の雅史は、榊原に対して強き反感を抱いていた。しかし今、その考えも崩れつつある。現在の若者達の暮らしぶりを見ていると、たしかにその随所に乱れがあるように思える。そしておそらく、三年前の自分達も例外ではなかっただろう。
 そもそも、共和国戦闘実験が施行された理由として、この国には徴兵制が無いからだとか、命の大切さを教えるためだとか、いろいろな事が言われてきたが、やはり最も大きな理由は、「大人の威厳を見せつける為の対抗手段」、これに他ならない。昔の雅史ならば、こんな法案など馬鹿げていると思うばかりだった。しかし今は少し違う。もしかしたら、大人達の考えも間違ってはいなかったのかもしれない、と思う事すらあった。だが、いつもその直後に頭をブルブルと振る。
 そうじゃない。大人達が考えたそんな下らない法案のせいで、俺達は地獄を見る羽目になったんだぞ。そんなものが正しい訳がないじゃないか。
 そうやって雅史は何度も思考を引き戻そうとするが、もはや何が間違っていて、何が正しいのかの判断が出来なくなっていた。
 雅史がそうやって一人で悩み続けていると、先ほどまでコンビニの前に座り込んでいた中学生達の姿が、何時の間にか消えていた。どうやらかなり長い間悩み続けてしまっていたらしく、時計の針もかなり進んでいた。
 帰るか……。
 元々あてもなく歩いていた雅史は、早くも帰路に着こうと体の方向を反転させた。その瞬間の事だった。
「名城雅史君ですよね?」
 雅史が声のしたほうを振り向くと、グレーのスーツに全身を全身を包まれた一人の男性がこちらを見ていた。
「はい、そうですけど」
 突然声をかけられて驚いたものの、紳士的な相手の態度に影響されてしまったのか、自然と丁寧な口調で返していた。
 雅史の返答を聞くや否や、あごひげと口ひげをうっすらと伸ばした顔に、男性はにっこりと笑みを浮かべた。
「やはりそうでしたか。実は失礼ですが、あなたに用があるのですよ。突然の事で驚いているでしょうけど、もしもよろしければ、私と共にある場所へと来ていただけませんか」
 そう言うと、男性は道の端に停めてあった車の後部座席の扉を開いた。町の風景には多少不似合いな黒いワーゲンが、何故かこの男性には似合っているように感じた。
 突然の話に、普通なら首を横に振ってしまうところだろうが、雅史はこの四十台前半と思われる男性に対して、なにやら言い知れぬ不思議な感覚を抱いた。そして、どこか惹かれるものを感じていた。
 気付いたころには、雅史は男に促されるままに、ワーゲンの後部座席に座っていた。
 男は運転席に座ると、すぐさま車を発進させた。
 窓の外に見える風景は、すぐさま見慣れないものへと変わっていき、犇く建物のグレーが多くを占めていた景色も、徐々に緑へと染まっていった。
 はたして、この車は何処に向かうのだろうかと考えたその時だった。これまでずっと黙って運転していた男が、バックミラー越しに雅史の姿を見つめつつ、こんな事を言った。
「ところで、名城君は“トロイ”という言葉を聞いたことはありますか?」



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