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 教室内に授業の終了を告げるチャイムの音が鳴り響いた。
 中年の男性教諭は教卓の上に広げていた数学の教科書を閉じ、本日はここまでと言った後、ゆっくりと教室を出て行った。代わりに、担任である渡辺先生が教室へと入るなり、黒板の前に立って、教卓の上に両方の手の平をつける。
 職員会議を控えている渡辺先生は少々急いでいたらしく、連絡事項等だけを簡単に述べ、ホームルームを早々に切り上げた。そして皆に笑顔を向けつつ教室を後にした。
 ようやく日程の全てを消化し終えた生徒たちは、放課後開始と同時に、皆それぞれが動きだす。
 教室の真ん前では数名の男子生徒たちが集まり、機嫌よく雑談している。どうやらいつもの通り、お調子者の相川透が、お得意の面白話を披露し始めたらしく、その洗練された高レベルの話に耐え切れなくなったのか、奥村秀夫や辻本創太、若松圭吾、それに坪倉武が大げさなほどに笑こげているのが見える。そしてその側では、透達の輪に参加していなかったはずの、南条友子と和田裕子もがくすくすと笑っている。
 また、教室のど真ん中では中村信太郎が、同じく数人の男子生徒を相手に話している。おそらく、また何やら下らなき自慢話でも繰り広げているのだろう。無理やり話に付き合わされている様子の、北川太一や富岡憲太は、少々うんざりしているように見えた。狩谷大介に至っては、信太郎に向けて冷ややかな視線すら向けている。しかし、信太郎は自慢話に没頭しており、それに気づく事も無さそうだった。
 学校指定の鞄を脇に抱えた中井理枝が呆れた顔をして、信太郎の側を通過し、そのまま教室を後にした。職員室から呼び出されていた飯田健二も続く。
 がり勉女、島田早紀も単語帳を睨みつつ、教室を出る。
 剛田昭夫と野村信平のコンビも出口へと向かう。これから剣道部の練習で汗を流すのであろう彼らとは対照的に、野球部所属の矢島政和は、教室を出るなり、部室とは反対方向に歩を進めた。おそらく、また練習をサボるつもりなのだろう。
 教室の最後尾の座席では、森文代が携帯電話を操作している。失礼ながら、ディスプレイを覗き込む彼女の顔つきが、少し不気味に思えた。
 右端の座席では福本修が、まだ深い眠りに就いたままだ。放課後の時間になっているのに、まだ気がついていないのだろう。
 修の隣の席では、戸口彩香が姫沢明に向かって両手を合わせ、何か頼みごとをしているようだ。明は躊躇することなく、鞄の中から三冊のノートを取り出すと、机の上で開き、なにやら説明をし始めた。定期試験に関する助言でもしているのだろう。二人がそんなやり取りをしているのに気がついたらしく、栗山綾子、時任乙葉、須藤沙里奈、坂東小枝、佐藤千春と次々に女子達が集まり、ついには明をぐるりと取り囲んでしまった。学年一位の座を走り続ける彼の助言はあまりにも的確で、皆からの評判も良かったのだ。
 文月麻里と牧田理江の仲良しコンビは、そんな集まりに引き寄せられる事も無く、仲良さげに話しながら帰路につく。今日は二人だけで勉強会を開くのだそうだ。
 固き絆で結ばれている二人とは違い、こちらの二人はあまりにもさっぱりとしている。倉田麻夜が一緒に帰ろうと氷川恵を誘うが、恵は用事があるからと言って鞄に手をかけた。クールな彼女はいつも通りのマイペースだ。
 マイペースといえば沼川貴宏。彼は両手でモデルガン関連の雑誌を広げ、それを凝視したまま一言も喋ることなく、教室を出て行った。
 そういえば、今さら気がついたが、霧鮫美澪と須王拓磨の姿が見えない。あの二人の無断欠席はいつものことだから、気にするほどの事でもないのだが。
 吉本早紀子もクラスメートの誰一人とも接触することなく、何時の間にか教室内から姿を消していた。
 次々と生徒たちが出て行く中で、まだしぶとく教室内に留まっている一団があった。戸川淳子を中心に構成されている仲良しグループの女子達だ。男子の相川透を凌ぐほどの騒がしさを誇る淳子は、誰かを待っているらしく、せわしなく何度も時計へと目をやっている。石川直美、上原絵梨果、小野智里、新城忍は雑談しつつ、彼女の待ち人が現れるまで付き合ってあげているようだった。
 このグループには他にも、バレー部に所属する、長身の椿美咲もいたはずだったのだが、今宵はホームルームが終了すると同時に、クラブ活動へと向かってしまったため、残っていたのは五人だけだった。
 突如教室の扉が開いた。淳子はようやく待ち人が現れたのかと思い、ばっとそちらを振り向いたが、そこに立っていたのは別人だと知り、はぁと溜息をつく。
「おい忍、まだそんなところで話してたのか。早く出ねえと道場に遅れるぞ」
 扉から入ってきた剣崎大樹は、自らの荷物を抱え上げると、すぐさま廊下へと飛び出していった。
 彼の言葉を聞いた忍は、すぐさま時計へと目を向ける。そして焦りの表情を浮かべると、大樹と同じく荷物を抱え上げ、残された四人の友人たちに向けて「ごめん」とだけ言い、彼の後を追いかけていった。
 忍が教室から飛び出すと、それと入れ替わりに加藤塔矢が入ってきた。すると淳子は待ってましたと言わんばかりに、彼の方へと駆け出した。実は戸川淳子と加藤塔矢は恋愛関係にあり、淳子の待ち人というのも、当然塔矢のことであった。
 淳子が皆の方を振り返り、「付き合ってくれて有り難う」と言うと、残された三人も笑顔を返したが、なぜか直美だけは複雑そうな色を浮かべているように見えた。
 女子達もが全員帰宅してしまうと、教室内はしんと静まり返ってしまった。
 真ん中付近の座席にどかっと腰を下ろし、何をするでもなくボーっとしていると、時間はどんどんと流れていく。
 このままずっと座っていたら、何十年、いや、何百年もの時がすぐに過ぎ去ってしまうのではないだろうかと思えた。
 だが、目の前に現れた三つの人影に気づき、その思考を中断させた。ふと顔を上げると、そこには見慣れた三つの顔があった。
「なにしているんだ、そんなところで」
 中心に立つ杉山浩二が言った。
「いつまでもそんな所にいないで、行こうよ」
「さあ、立って立って」
 間髪入れずに、柊靖治と桜井稔の声が聞こえた。三人の声に促されて立ち上がると、なぜか意思に反して身体が勝手に動き出した。靖治と稔に両手を引っ張られ、浩二に背中を押され、半ば強制的に走らされたのだ。
 おい、何処に行く気だよ?
 そう言おうとしたが、不思議なことに声が出せない。しかし、三人はいっせいにこちらを向き、顔に笑みを浮かべて言った。
「行こうぜ、雅史」

 雅史はばっと飛び起きた。そしてすぐさま自分の周りを見回した。視界に入ったのは、六畳一間の自室の光景のみ。もちろん、そこには誰の姿も無い。
「ちくしょう。またあの夢か」
 雅史が見た夢。それは紛れも無く、彼が三年前まですごしていた、岐阜県私立飯峰中学校三年A組の日常の姿であった。
 雅史は自らの頭を抱えた。プログラムが終了した今、当時のクラスメートはもう誰一人すら生きてはいないのだ。それなのに、なぜ今頃になって、このような夢を見てしまうのだろうか。
 皆の命と引き換えに、雅史は一人で生き残ってしまったのだ。昔の映像を見る度に、懐かしさと罪悪感がフラッシュバックし、彼は悩んだ。
 プログラムで優勝した以降三年間、彼はこの夢に何度も悩まされ続けた。
 うんざりしつつ窓の外へと目を向ける。八月の太陽は鋭くとがった光を発しており、外は陽炎が発生するほど暑そうに思えた。しかし、数日の間続いていた雨によって外出を阻まれていた雅史は、外の明るい光景に惹かれてしまった。
 気晴らしに町にでも繰り出してみるか……。



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