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 耳を劈くほどの破裂音が響き渡ると同時に、黒い筒の先端から飛び出した物体が、少女の頭の中に潜り込んでいった。その直後、少女の頭部の右側半分が弾け飛び、無数の肉片と臓器が辺りに降り注いだ。
 それはまるでテレビドラマのワンシーンをスローモーションで再生しているかのような光景であった。
 雅史の頬に、何かが触れた。無意識に顔に手を当てて、それが何であるかを確認しようすると、なにやら柔らかい物がそこに張り付いているのだと分かった。指先で掴み、ゆっくりと頬から引き剥がしたそれを、目の前へと持っていく。
 人指し指と親指の間に挟まっているそれは、紅く染まったゼリー状の奇妙な物体であった。
 雅史は視線を倒れた少女へと移した。頭部が半壊した少女の生死は、もはや確認するまでも無かった。大きな穴が開き、そこから赤い身が覗いているその頭部は、まるで叩き割られたスイカのようだった。
 頭部に開いた穴からは信じられないほどの量の血液が流れ出しており、さらには崩壊した脳の一部までもが一緒に外へと引きずり出されていく。地面の上に乱雑に広げられた黒き長髪は、時間と共に赤く汚されていった。
「い、石川……?」
 彼女の遺体を前にして、雅史の全身がガタガタと震え出した。唯一残っていた最後の仲間までもが死んでしまい、雅史の生きる支えがついに尽きてしまったのだ。
 死ぬ間際に、彼女が放った最後の言葉が、行き場を無くしてしまったかのように、雅史の耳の奥で力なく止まったままになっている。
――実は私、名城君のことが……。
 最後の一番重要な部分が除かれた中途半端な告白。直美がこの世から去ってしまった今となっては、それが完全な形となって雅史の耳に届く事は無い。せめて、あと一秒でも彼女が生き長らえていたならばと思うと、雅史の胸がきりきりと痛んだ。
 雅史は直美の遺体から引き剥がした視線を、ゆっくりと上げていった。
 視界の上部に出現した足先をはじめに、太い全身が上から下へとスクロールして見えた。直美を殺した死神の顔に画面が行き着くまで、時間はさほど掛からなかった。
相手の正体を知った途端、彼の口から自然と声が漏れた。
「よ……吉本……」
 自らが仕留めた少女の遺体をじっと見下ろしているのは、
吉本早紀子(女子22番)。雅史は早紀子の目を見た瞬間、例えようの無いほどの憤りを覚えた。まるで汚らわしき物を見ているかのように、直美の遺体を見下ろしている彼女の冷徹な視線には、まるで温度が感じられなかった。
 雅史の怒りは最高潮に達した。そして、傍らに転がっているコルトパイソンを拾い上げ、その銃口を相手へと向けた。
「よくも、よくも石川を……!」
 雅史の叫び声に気づき、早紀子は直美の遺体へと向けていた視線を、さっと雅史へと移した。しかし、雅史の銃が火を放つ方が、それよりもほんの一瞬早かった。
 雅史の手の中から発射された銃弾は、間違いなくターゲットの胴体に命中した。セーラー服のど真ん中に穴が開いた瞬間、早紀子は全身を大きく揺らし、一歩後ろにたじろいた。しかし、不思議な事に、彼女は崩れ落ちはしなかった。それどころか、まるで何事もなかったかのように、平然とした態度でその場に立っているではないか。
 これには驚くばかりだった。
 何故だ? 銃で撃たれた人間が、なぜそうも平然と立っていられるんだ?
 雅史はさらに引き金を絞った。近距離で幾度も鳴り響く銃声に、自らの耳が異常を訴え始めるが、構うことなく、弾が切れるまでとにかくひたすら撃ち続けた。
 数発撃ったところで、銃に装填されていた弾が尽きた。コルトパイソンは装弾数六発の銃であり、その内一発は須王拓磨を倒す際に使用していたため、残っていた弾は五発だったはずだ。そして、残った五発の銃弾は全て間違いなく早紀子の胴に命中した。しかしだ、一発目を撃った時と同じく、やはり早紀子は倒れもしなかった。それどころか、負傷した様子すら見られない。まさか、彼女の身体は銃弾をも弾き返す鋼鉄で出来ているとでも言うのだろうか。
 早紀子は五発の銃弾が命中した腹部を、すっと手のひらで撫でていた。
「う……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 気がつくと、雅史は銃を投げ捨てて走り出していた。彼は悟ったのだ。銃で撃たれても平然としていられるような、鋼の体の持ち主である死神に対し、自分の力はあまりにも無力であり、勝ち目など無いのだと。
 直美の惨たらしき死に様を思い浮かべると、彼の中で恐怖感が一気に膨らんだ。もしこのまま彼女の手に掛かってしまうならば、自らに待ち受ける無残な死に様も想像に難しくは無い。
 逃げなければ。とにかく、あの女から逃げなければ。
 視界の中で次々とズームアップしてくる木々を掻き分け、生い茂る草やツルを飛び越え、踏みつけながら、彼はとにかく全力で走った。
 時折、岩石に足を引っ掛けられ、転びそうになるも、何とか体勢を整えては、また走り始める。それを延々と繰り返しながら、とにかく遠くを目指して走った。
 常に背後に迫る死神の圧力を全身で感じ、後ろを振り返る。すると遥か後方に、巨体を大きく揺らしながら雅史の背中に目掛けて全力疾走する早紀子の姿が見えた。それがまた、雅史をさらに焦らせた。
 だめだ。もっと速く走って、彼女の目に届かぬところにまで走らなければ。それが出来なければ、自分も直美と同じように、無残な死を遂げる事となってしまう。
 雅史の頭の中で、叩き割られたスイカの姿が浮かんだ。
 両手両足をさらに早く振り始めると、目の前を過ぎ去っていく風景も更なる加速を見せた。
 自分の走るスピードは、おそらく早紀子よりも勝っているはずだ。それに彼女は大きなショットガンを抱えての追跡というハンデを背負っている。このままのスピードを維持することが出来さえすれば、難なく逃げ切れるはずだ。
 と、恐怖を振り払うべく自らに言い聞かせた。しかし、雅史の願いは叶わなかった。
 突如片足のつま先に圧力を感じたと思ったとたん、彼の身体は宙を舞った。そして草むらに向けて大袈裟なほどのダイビングを実演し、全身を強くこすり付けた。
 地にひれ伏した雅史は足元へと目を向けた。そこには地中から頭の先端を覗かせた石の姿があった。要するに、全力疾走していた雅史は、草むらに潜んでいたその石に足をとられ、そのまま派手に転んでしまったというわけだ。
 雅史は焦りつつ、両手に力を入れて立ち上がろうとした。再び逃走を開始しなければ、瞬く間に早紀子に追いつかれてしまう。それだけは避けねばならないと考えた。
 しかし、立ち上がれなかった。全身の震えは先ほどよりも悪化し、手足に全く力が入らなかったのだ。
 畜生! 頼む! 動いてくれ!
 自分の身体にそう語り掛けるも、恐怖に震える手と足は、一向に力が入る気配を見せなかった。
 そうこうしている内に、早紀子は雅史にどんどん迫ってきていた。
 早く、もう一度走り出さないと!
 恐怖から逃れたい一心で、雅史は全身へと願いを注ぎ続けた。だが駄目だった。雅史の手足は力が入るどころか、さらに震えを増すばかり。吉本早紀子の恐怖は、それほどに絶大的なものだったのだ。
 雅史が一人でもがいている間に、早紀子は既に十メートル以内に迫っていた。射程距離にまで追いつめた獲物など、もはや走って追いかけるまでもないと判断したのか、彼女は歩きながら、ゆっくりと近づいてくる。
 死神の姿を間近で見て、恐怖に打ち震える彼の頬を伝って、熱い汗が垂れた。
 遠方で燃え盛る住宅地の明かりをスポットライトに、木々の間を悠々と歩く早紀子の姿は、雅史より一回りも二回りも大きく感じられた。そしてその手に握られているレミントン。おそらく今大会至上最も多くの生徒達を葬ってきたそのショットガンは、まだ血が欲しいと騒がんばかりに、スポットライトを全身で浴びて、その銃身をギラリと光らせていた。
 立ち上がることも出来ず、雅史はその姿をただ呆然と見ていることしかできなかった。
 畜生。俺もここで死ぬのだろうか。
 眼前に立ちはだかる死神の存在を肌で感じ、その圧倒的な存在感の違いを思い知った。そして、彼はついにすべてを諦めた。
 これ以上、逃げようとしても無駄だろう。運命はすべて、このプログラムに巻き込まれた時点で決まっていたのだ。たった一つの小さき星屑に過ぎぬ自分が、いくら運命に逆らおうとしても、その事実を捻じ曲げるなど、出来るはずがなかったのだ。
 ふと、彼の頭の中にいろんな人の顔が浮かんだ。
 靖治。浩二。稔。新城さん。剣崎。石川さん。俺……やっぱり駄目だった。精いっぱい生きようとしても、駄目だった。こんなに早く、この時が訪れるとは夢にも想っていなかったけど、俺ももうそっちに行くよ。
 もちろん、こっちの世界に、まだまだ未練は残されているけれど、この結末も、決して悪いものではないと思う。だってさ、やっぱり俺には無理だったんだよ。死んだ皆の分の想いを背負って、今後数十年も生きていくだなんて……。
 だから、俺はもう、皆に会いに行かなくちゃならない……。
 ぐっと閉じられた雅史の瞼を押し開け、大粒の涙が外界へと溢れ出した。
 さあ、俺のすべてを終わらすが良い、吉本!
 雅史は心の中でそう叫び、時が訪れるのを待った。ガタガタと震える全身を両の手で包み込み、早紀子が放つ銃弾が、この息苦しきプログラムから開放してくれるのを、じっと待った。
 しかし、その終りはなかなか訪れなかった。いつまで待とうとも、身体の何処にも痛みを感じることも無く、銃声が聞こえたりすらしない。
 どういうことだ?
 辺りの様子を確認するために、もう開かれることはないと思われた自らの瞼を、彼は生きて再び開くこととなった。
 あふれる涙のせいで、目の前の光景はぼんやりとしか見えない。しかし、これだけは分かった。目の前で立ち尽くしている早紀子は、雅史に銃口を向けることもなく、両手を力なくだらりと垂らしている。
 雅史は彼女の姿を見上げた。あふれる涙を振り払い、その顔をじっくりと見た。そしてある違和感に気が付いた。
 暖かみを全く感じられなかった早紀子の冷徹な視線。それが、今の彼女の中には存在していないのだ。代わりにそこにあるのは、何かを悲しげに見下ろしている少女の眼差し。それは、死神の目などではなかった。
 呆然とその姿を見ていた雅史は、彼女にいったい何が起こったのだろうかと疑問に思った。
 雅史が不思議そうに見ている前で、早紀子の口元がゆっくり開いた。そして、力無き声で、こう言った。
「な……しろ……くん……」
 それは、彼女がプログラム開始以来、初めて出した言葉。いや、十数年ぶりに口にした言葉だった。


【残り 3人】




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