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 ホームルームの時間が終わったと同時に、教室内にチャイムの音が響いた。本日の日程を消化し終えた生徒達は、クラブ活動に向かったり、あるいは友人達と下校したりと、思い思いに足を運ばせている。
「帰ろー」
 アルファベットのロゴが書かれたワッペンが目立つ手提げカバンに、教科書やノートを詰め込んでいたとき、何者かが直美に声をかけてきた。
「智里」
 直美が振り返ると、黄土色のリュックを背負った
小野智里(女子3番)がこちらを見ていた。そして、智里の脇には上原絵梨果(女子2番)の姿もあった。
「今日はクラブ活動無いんだろ? だったら途中までいっしょに歩こうよ」
 直美が所属する吹奏楽部は、いつも放課後すぐに練習を開始する。しかし、それは一週間の内の四回だけ。学校そのものが休日である土日はもちろんのこと、水曜日はクラブ自体が休みなのである。そして、智里が言うように、本日、水曜日はクラブ活動に行く必要はない。だが、直美はまだ下校するつもりはなかった。
「ごめん。今日はもうちょっと学校で用事があるんだ。悪いけど、今日は先に帰っててくれない?」
 両手を合わせながら頭を下げる。しかし、智里は不満そうな表情を浮かべた。
「えー、せっかくいっしょに帰ろうと思ったのになぁ」
 彼女が残念そうに言うと、その顔を絵梨果が覗き込む。そして小声で「まあまあ」と言いつつ、智里をなだめようと奮闘する。彼女たちの間ではよく目にする光景である。
「本当にごめん。忍とか、美咲とか誘って、先に帰っててくれない?」
 不満気な智里に向かって再び手を合わせる。
「誘うったってなぁ。美咲はバレーしに行っちゃったし、忍は道場行くからって走ってっちゃったし……」
 ため息を漏らす智里。
 椿美咲(女子11番)は、直美や智里達と仲の良い親友の一人である。クラスの女子で一番の長身を誇る彼女は、その体格をバレー部内でフルに役立てていた。そして、今日もコートの中で走り回っているはずだ。
 新城忍(女子9番)も、同じく彼女達の親友の一人だ。幼き頃から通い続けている空手道場へ、今もまだ休むことなく足を運ばせているそうだ。彼女は美咲と違い、決して恵まれた体格ではないのに関わらず、その実力はかなりのものであると聞く。
 直美たちのグループに所属する、その体育系の女二人は、既に教室を後にしてしまっているらしい。
「しょうがないな。絵梨果、二人だけで帰るよ」
 智里は諦めたらしく、くるっと身体を反転さすと、絵梨果を引きずるように教室を出ていった。
 その背中を見つめながら、直美は「ごめんね。来週はいっしょに帰ろうね」と言った。

 人の出入りがまばらな教室は、たいそうさびしく感じられた。
 開いた窓の枠にもたれかかり、校庭を見下ろすと、野球部の男子達がミニゲームに熱を燃やしているのが見える。
 時折、カキンという気味の良い音が聞こえると、白き硬球が上空に舞いあがった。その一部は飛距離を伸ばし、十メートルもの高さのネットを越えて、何処かへと消えていってしまう。そのたびに、頭を丸く刈り上げた一年坊主達が玉拾いに走らされる。
 直美はそんな光景をぼーっと見ていた。
 日が沈むのは早く、グラウンドはまたたく間にオレンジ色に染まっていく。時計に目を向けると、短針がちょうど『5』の上で止まっているのが確認できた。
 もうそろそろかな……。
 手提げカバンを腕にぶら下げ、教室から踏み出すと、彼女はそのまままっすぐ廊下を歩く。行く先は図書室。とはいうものの、図書室そのものには用事はない。

 廊下を曲がり、図書室の姿が目に込んできた瞬間だった。ドアがガラガラと開き、中から一人の女生徒が顔を覗かせたのは。
 両脇で結んだ髪の毛をひらひらと揺らしながら、軽やかな足取りで廊下に飛び出すと、女生徒は大きく身体を伸ばしていた。
 彼女の名は
戸川淳子(女子12番)。明るくハキハキとした態度が印象的な彼女。今回、遠足実行委員に満場一致で推薦されたのは、彼女のそういうところが皆に好かれ、信頼されていたからだろう。
 直美は彼女の姿を見るや否や、手を振りながら呼び止めようとした。何を隠そう、淳子も美咲や忍と同じく、直美達の親友であった。しかも、直美にとっては仲が良いというだけの存在ではない。直美の中で、淳子の存在は別格であったのだ。
 直美は普段から、人気者の淳子の“相方”と称されてきた。それは、彼女に対して誰よりも信頼感を抱き、誰よりも長く共に過ごしてきたからだろう。それを証明するかのように、直美と淳子は毎日くっついては離れなかった。
 二人で見に行った映画。二人で買ったおそろいのバッグ。二人で食べたソフトクリーム。二人で歩いた夕暮れの道。そのどれもが、直美にとってはかけがえの無い良き思い出だった。
 離れたくない。私はいつまでも、淳子にとっての一番でいたい。直美はいつもそう思っていた。
「淳子ー! いっしょに帰ろー!」
 直美がそう声をかけようとした瞬間だった。
 淳子の後に続くように、一人の男子生徒が図書室から出てきた。直美はその姿に見覚えがあった。同じクラスの
加藤塔矢(男子4番)だった。
 直美は訳が分からなかった。遠足委員である淳子が、行事予定などが書かれた冊子を制作するために、遅くまで図書室に残っていたことは知っていた。しかし、遠足委員でもない塔矢が、なぜ淳子といっしょに図書室にいたのだろうか。
 直美はとっさに壁の後ろに隠れた。声が口から飛び出すのを寸前で押し止めたため、二人は直美の存在には気づいていないようだった。
 直美は壁の後ろに隠れつつ、耳を研ぎ澄まし、二人の間を行き来する言葉を拾うことに専念した。
「本当にゴメンねー。いつもいつも手伝ってもらっちゃってー」
 淳子の声だ。
「良いよ。どうせ俺だって時間を持て余している身だし」
 続いて塔矢の声。
「まったく……、もう一人の実行委員はいつになったら来るのやら」
「しょうがないだろ、病欠なんだから」
 不満が募り、ほんの少し不機嫌になっている淳子を、塔矢がなだめているようだ。
「でも、塔矢のおかげで、作業が大分進んでよかった」
 突如、淳子の口調が変わったのを感じ、直美はばれぬように二人の姿を覗き込んだ。そして、見てしまった。夕暮れの廊下の真ん中で、ゆっくりと唇を合わせた二人の姿を。
 呆然と直美が見ているのも知らず、淳子はこんな言葉を口にした。
「大好き。塔矢のことが、誰よりも」
 直美の中で、何かがガラガラと音を立てながら崩れ落ちた。手を繋ぎながら図書室から離れていく二人の背中も、もはや彼女の視界には入っていなかった。
 私はもう……、淳子にとっての一番ではない……。

 グラウンドを染めるオレンジはさらに濃度を増していた。坊主頭達が走り回る傍を、とぼとぼと歩く直美。もちろん、側には誰もいない。いつもそこにいたはずの淳子の姿も。
 胸にぽっかりと穴があくという言葉は、こういう事を指すのだろう。今まさに、彼女は大切な何かを失ってしまったばかり。しかし、身体は軽くなるどころか、重くなるばかりであった。
 歩くごとに、その一歩一歩が地中に沈んでしまいそうな感覚にとらわれ、妙な気だるさが全身を包む。
 幸せそうに笑顔を交わす二人の姿を思い出した。塔矢の姿しか映っておらぬ、淳子の幸せそうな目。もし、あそこで淳子の側に駆け寄ったとしても、彼女の目に自分の姿を映すことはできなかったかもしれない。
 いつの間にか急接近していた二人の関係に、直美は今まで気が付いていなかった。淳子のことなら何でも知っていたはずの自分は、もはや存在していなかったのだ。相方失格である。
 なぜか目の奥に熱い何かが込み上げてくる。耐え切れず、それが溢れ出してくる。頬を伝ったそれは、地面の上に等間隔で点を描き出す。情けなかった。
 オレンジに染まった地面に浮かぶ黒い影。心なしか、それもいつもより小さく感じる。
 ふと、自分の影の隣に、小さな黒い点が現れた。それは徐々に大きくなり、直美の影に近づいていく。
「危ねぇ! 避けろ!」
 グラウンドから誰かの声が聞こえてきた。坊主頭の野球部員が叫んでいるようだ。
 直美は後ろを振り返った。その時すでに遅かった。直美の背後へと迫っていた白き硬球は、彼女の額めがけて猛スピードで近づいていた。しかし、彼女は恐怖など感じていなかった。
 ああ……、ちょうど良かった。このボールが激突した瞬間、私はようやく悪い夢から目を覚ますことが出来るのだろう。
 直美の額までもはや十メートルという距離にまでボールが迫ったとき、直美はそっと目を閉じた。あとは時が過ぎるのに身を任せるのみ。そう思ったのだ。
 しかし、いつまで待とうとも、そのボールが直美にぶつかることはなかった。
 不審に思った彼女は、ゆっくりとまぶたを押し上げた。
 そこには向かってきていたはずのボールの姿はなかった。かわりに、側から伸びてきている誰かの手が見える。
「危ないぞ! まっすぐ打てよ野球部!」
 直美の傍らに立っている男子生徒が叫んだ。そして、頭をぺこぺこと下げる坊主頭の生徒に、掴んでいたボールを投げかえした。
「名城君」
 直美は側に立っていた男子生徒、
名城雅史(男子16番)の名を呼んだ。すると、校庭へと目を向けていた彼は、視線を直美へと向け直し、ニッコリと微笑んだ。
「危なかったな石川。お前、あのままじゃあ、頭にボールが直撃してたぞ」
 この時ようやく理解した。どうやらこの男が、ボールがぶつかりそうだった危機から救ってくれたのだろう。
 ボールを素手で掴んだ左手をひらひらとさせながら、雅史は身体を校舎へと向けた。
「悪い。俺、教室にCD忘れちゃって。返却期限今日までだから、取りに行かないといけないんだ」
 そう言うと、彼は直美が礼を言うのも待たず、校舎へ向かって走りだしてしまった。
 途中、振り返り「じゃあな」と叫ぶ彼の姿を、直美はぼんやりと眺めていた。

 次の日。直美はいつも通りに通学。そしていつも通りに教室に向かった。
 昨日は危なかったところを、名城君によって助けられた。だから、今日彼に会ったら、まずその事に礼を言わないと……。
 教室の前まで来たとき、直美の目に雅史の姿が飛び込んだ。すぐさま教室内に入ろうとした直美だったが、彼とその友人達の会話が耳に飛び込んできた瞬間、足の動きを止めることとなってしまった。
「お前、その手どうしたんだ?」
 手首に巻かれた包帯を見て、雅史の友人、
杉山浩二(男子11番)が聞いた。
「大丈夫か? 怪我でもしたの?」
「保健室行った方が良いんじゃない?」
 柊靖治(男子19番)桜井稔(男子9番)が続けざまに言う。
「まさか! 手首切って自殺でもしようとしたんじゃないだろうな」
「馬鹿言うなよ」
 悪ふざけをする浩二を雅史が追いかけた。しかし、途中で「痛っ」と言いながらその場にかがみ込む。
「事故にでも巻き込まれたのか?」
 浩二とは対照的に、靖治が真剣に心配した様子で聞いた。
「違うって! ただアスファルトの上で転んだときに、手首をひねっただけだよ」
 痛む個所を抑えながら、雅史は立ち上がると、自らの席へと戻っていった。
 そんな光景を見ていた直美は、彼に対して罪悪感を感じた。
 私のせいだ……。私のせいで、名城君は怪我することになってしまった……。
 教室に入るなり、彼女はすぐさま雅史の元へと駆け寄った。
「ゴメン、名城君! 私のせいで!」
 ぺこりと頭を下げる直美を前にして、三人の友人達は呆然としていた。そんな中、雅史は机の下で、包帯の巻かれた左手をポケットの中に隠した。
 直美はそれも見逃しはしなかった。
「私がちゃんと周りに注意しながら歩いてたら、こんな怪我させずに済んだのに」
 彼の左手の方へと視線を向けていると、雅史は自らの身体でそれを隠しながら、何事もなかったかのように喋りだした。
「石川さんのせい? 俺は勝手に怪我しただけだぞ。別にお前が謝らなければならない理由なんてないだろう。それに怪我とはいっても、さほど大層なものでもないし」
 嘘だ。確かに名城君は、さっき大袈裟なほどに痛がっていた。軽い怪我なはずがない。仮にそうだとしても、やはり責任は自分にあるはずだ。それだというのに、この人は自分のだけでなく、私の分の苦しみまで一人で背負おうとしている。
 直美のその考えは正しかった。その日からしばらく、雅史は体育の授業だけは休み続け。時折苦しげに手首を押さえている彼の姿も何度か見た。
 名城雅史。自分の苦しみのみでは無く、他人の分まで自ら背負おうとする。彼はそんな男なのであると、この時知った。


 今、彼はまた私の苦しみまで自分の内に仕舞い込もうとしている。いつもそうだ。他人の事を想ってやれるだけに、余計な苦しみまで取り込んでしまう。はっきり言って、それは利口であるとは言い難い。
 しかし、そんな姿を何度か見ている間に、直美の中で雅史の存在は徐々に大きな物へと変わっていった。そしてある時に気がついた。自分はいつからかこの男に対して恋心を抱いていたのだと。
 そう考えていたのは直美だけではなかったようだ。誰に対しても思いやりを持てる雅史は、幾人もの女生徒に恋心を抱かせていたようだ。クラス内にも、直美と同じ想いを抱いていた娘は数人いたようだ。
 本来、修学旅行に向かっていた自分達には、今ごろ宿の部屋の中で、自分は誰のことが好きであるかなどの告白タイムが待ち受けていたのかもしれない。しかし、それも願い叶わず、こんな絶望的なプログラムに巻き込まれてしまった。
 直美のこめかみに向けられた黒い銃身。その先端から、恐ろしいほどの殺意が放たれている。だが、それに気づかず、直美はただひたすらに思いを告げ続けた。
 雅史の「逃げろ」という声も、もはや耳に届かない。
 引き金に当てられた何者かの指が、ぐっと動いた。
 タァン!
 最後の言葉を吐きだそうとした瞬間、直美の意識は途切れてしまった。そして、近距離で撃たれ、頭部の半分ほどを失った彼女の身体は、どさりとその場に倒れた。

 直美が最後に言おうとした言葉は声にはならなかったが、雅史の頭の中にはしっかりと届いていた。
「実は、私、名城君のことが好きでした」


 
『石川直美(女子1番)・・・死亡』


【残り 3人】




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