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「い、石川ー!」
 足元より遥か下に、自らの生命の危機を回避しようと、必死に木の枝に掴まっている少女の姿があるのを見た瞬間、雅史は彼女に向かって自然と叫んでいた。そして続けて「大丈夫か」と声をかけてはみたが、その質問は全く無意味であった。大丈夫かそうでないかは、本人に聞かずとも、一見しただけで明らかだったからだ。
 崖を転がった際に傷付いた直美の身体の所々から、赤い血が染み出しているのがここからでも確認できる。そんな負傷した身体では、枝を掴む腕一本だけで全身を支える事は容易ではないはずだ。
 今、直美の生命を現世に繋ぎとめているのは、彼女の生きる為の気力、これのみであると言ってもよい。しかし、気力だけでとどまっている彼女をこのまま放っておいては、そう長くはもたないだろう。
「助けてぇ!」
 直美は上を見上げ、雅史の姿が見えるや否や、苦しむような声で助けを求めてきた。
 雅史の頭の中に「助けなければ」という考えが浮かんだが、それは雅史に迷いを与える原因となってしまっただけであった。
 現在雅史の背後では、大樹と須王が衝突しようとしている。しかし、先ほども思ったように、二人を武器の点だけで比べてみれば、有利なのは明らかにチェーンソーを持った須王である。ならば、不利な状況である大樹を助ける為にも、本来ならここで雅史が彼に加勢するべきだろう。だが、ここで大樹に加勢しに行ってしまえば、残された直美はどうなるだろうか。
 もちろん、この場からコルトパイソンで須王を撃ち、一瞬にして戦いにピリオドをうつことができるならば、直美を助けるのを後回しにしようとも、なんら問題は無いかもしれない。しかし、大樹と須王が接近した今の状態で、大樹に当てず、正確に須王のみを撃ちぬくことなど、雅史の銃の腕ではとうてい不可能である。つまり、大樹を助け、須王のみを倒そうとするなど、短時間で出来るはずが無い。
 雅史は迷った。
 俺は石川を助けに行くべきなのだろうか。それとも、剣崎に加勢しに行くべきなのだろうか。
 天秤に載せた二つの選択肢を見比べてみるが、これほど重大な選択を一瞬にして決断できるはずなどない。大げさな言い方をすれば、これはどちらを見殺しにするかという選択でもあるのだから。
 しかし、いくら重大な選択だからといって、悠長に悩んでいる暇などない。直美にしろ、大樹にしろ、早く雅史が手を貸さなければ絶望の底へと落下してしまうかもしれないのだ。考えている暇などもう残されていない。雅史は迅速なる決断を迫られた。
 下では直美が歯を食いしばって枝にしがみついている。その表情は大変苦しそうだ。おそらく力尽きるのは時間の問題だろう。それだけではない、雅史はさらにある重大な事態に気がついてしまった。
 直美が必死に掴まっている枝、それが人間の重みに耐え切れなくなってきたのか、みしみしとしなり始めている。あたりまえだ。そもそも崖の岩肌の隙間から伸びた細い枝などでは、人間の体重を支えきれるはずがない。このままでは、直美が力尽きるよりも先に、枝の方が折れてしまうかもしれない。まさに絶体絶命のピンチだ。
「助けてぇぇぇぇ!」
 恐怖に怯えた直美の声が再び轟き、雅史の中で焦りの色が一気に濃度を増した。
 ちらりと大樹達の方を振り返って見た。既に二人の戦闘は開始されており、須王がチェーンソーを巧みに操り、大樹に襲い掛かろうとしている。対して、大樹はお互いの武器によって生み出されたリーチ差に邪魔され、なかなか攻撃を仕掛ける事が出来ないようだが、しかしさすがは大樹といったところか、相手の攻撃を全て見切って上手くかわし続けている。
 雅史は思った。
 大丈夫だ。大樹ならいくら相手が須王であろうとも、そう簡単にやられはしないだろうと。
 二人が追いやられた状況を見比べた後、雅史の中でついに決断が下された。
 雅史は断崖絶壁の渕でしゃがみ込み、突き出ている岩の位置を確認し、それに手足を引っ掛けながら、ゆっくり慎重に崖を下り始めた。
 すまない、剣崎。石川を助けたら、必ずお前に加勢しに行く。だから、なんとしてでもそれまで持ちこたえていてくれ。
 心の中でそう思いつつ、苦渋の選択の末、直美の救出を決断した雅史は、彼女に向けてゆっくりとだが近寄っていこうとした。
 崖下りを開始した雅史に、その急角度と高度が襲い掛かってきた。上から見ていたときとはまた違う、絶大なる恐怖に怯える雅史。しかし、ここで踏みとどまってしまってはならない。雅史が恐怖に打ち負かされてしまえば、直美の生命は絶望となってしまうのだから。
 自らの落下を恐れ、震えの止まらぬ雅史だったが、彼はそれでも手足の動きを止めはしなかった。ゆっくりとだが、徐々にだが確実に直美へと近づいていく。
「待ってろ石川ぁ! 今、助けに行くからな!」


【残り 6人】




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