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「榊原さん、お水お持ちしました」
 近寄ってきた一人の兵士から、グラスに入った水を手渡されると、榊原は思い出したかのように、傍らに常備していた紙袋の中へと手を入れ、そこから半透明の茶色い小ビンを取り出した。アルミ製の回転式の蓋に当てた手に力を込めるが、思いのほか固く閉まったそれはなかなか開かない。少しの間奮闘していた彼だったが、ついに諦め、先ほどの兵士をもう一度呼び戻し、「これを開けろ」と言い放った。
 呼び戻された兵士は素直に小ビンを受け取ると、手に力を入れて蓋をひねった。
 榊原に苦戦させていた小ビンの蓋はあっけなくはずれ、兵士はそれを榊原に返し、再び持ち場へと戻っていった。
 ビンを受け取った榊原は「スマンな」と言いながら、ビンの中から白い錠剤を数粒取り出し、口の中に放り込んだそれを、水で強引に流し込んだ。
 六十を超える高齢の彼の身体は、いたるところにガタが生まれており、現在はそれらを薬で抑えている状況である。しかし長年、政府という組織の中で誠意を尽くしてきた彼の人望は厚く、これまでにも様々な重要なポストに就いてきた。それが今回、高齢であるにもかかわらず、共和国戦闘実験第六十八番プログラム担当教官といった重要な仕事を任されることとなった由縁であろう。
 どんな仕事であろうと、与えられた使命は全力で成し遂げなければ気が済まないというタチの彼は、今回も上層部の期待通りの働きを見せていた。随時手を休めることの無い彼の仕事ぶりには隙が無く、唯一の欠点である気の短さも、その長所によってかき消されていたほどだ。そして現在も兵士達の動きを司る者として、それぞれへの指示や助言を怠らず、それが無い時も、生徒たちの動向を監視し続け、さらにそれが無い時も、膨大な量の資料にとにかく目を通し続けていた。つまり、彼はこの場にいる間、ほとんどまともな休息などは取っていなかった。
 彼は、なぜこの仕事にそこまで熱中し続けることができるのか。それは仕事マジメな彼が裏に隠し持っている、もう一つの顔の存在が関係していた。
 数十年前、この大東亜共和国は他国との戦乱の渦中に巻き込まれ、当国からも多数の兵士が戦地へと送り込まれた。その中に、若き頃の榊原吾郎の姿もあった。
 両国の銃弾が飛び交う死の戦場の中、彼は両手で抱えた大きな銃をとにかく撃ちまくり、敵国の兵士を何人も地に還していった。そう、このとき彼の中で、好戦的なもう一つの榊原吾郎の顔が生まれたのだ。
 多くの人間を沈めていく快感を覚えた彼は、敵の猛攻により味方の軍がだんだんと弱体していった中でも勢いを緩めず、とにかく戦い続けた。
 戦が終わり、数多くの戦友達が亡くなったという状況下で、彼は数少なき生還者として帰国。そして当時の働きを買われ、政府の中で働くこととなった。
 どんな仕事にも前向きで取り組んできた榊原だったが、政府内で与えられる仕事とは退屈なものばかりであった。毎日毎日膨大な資料の山とにらめっこをし、疲れた肩を自ら叩く日々。そんな状況に、表の顔の後ろで見え隠れしていた、好戦的なもう一人の榊原吾郎は、退屈に暮れていた。
 そんな中、突如任されたプログラム担当教官。数十人もの中学生達が殺しあう、まさに戦場のような光景を一望することが出来るポジションに配属され、眠りかけていた好戦的な榊原吾郎が目を覚ましたのだ。
 その後の彼は、これまでも隙の無かった仕事ぶりに、さらに輪をかけたように真剣だった。
 はじめのころは、短気な性格が災いし、ゲーム開始前の教室で必要以上に暴れてしまったが、反戦を主張する夢見がちな若者達の目を覚まさせるという意味で、結果的には状況を好転させることができたようだ。
 つまり、唯一の過ちとも思われた、プログラム開始前の暴走ですらも、良い方に上手く転がってくれたため、彼のこれまでの働きには、やはり隙などは全くなかったと言って良いだろう。
 そして彼は現在も仕事に集中、もとい、プログラムという戦ゲームを観戦し続けることに熱中していた。
 次々と数を減らしていく出場者達の動きを見ていることは、競馬や競艇等のギャンブルを観客席で見ているということと、ある種共通するものがある。そのため、好戦的な榊原のみならず、忙しそうに機材の周りで駆け回っている兵士達は勿論、この場にいない政府関係者達までもが、今回のプログラムに関心を抱いている。誰が優勝するかを賭けたトトカルチョは、それらの思いが集まったなれの果て。
 要するに、生命のかかった生き残り合戦の中で、必死に動き回っている中学生達とは対照的に、それらを傍観する者たちは、とてつもなく楽観的であったのだ。
 興味が無い仕事に力を入れることは難しいが、逆に興味がある仕事に力を注ぐことはたやすい。人間とはそんな生き物である。政府関係者の誰もが興味を抱いている当プログラム、それを間近で観戦できる特等席に座ることが出来た榊原は、好戦的であるが故に、またより一段と白熱しており、それがまた彼を仕事に熱中させていたのだろう。
 そんな彼が観戦し続けて、早一日半以上もの時が経過し、生き残りはわずか六人。プログラムはもはや最終段階へと突入していた。
 現在生き残っているのは、空手の達人である
剣崎大樹(男子7番)。どんな手段をも用いて、確実に生徒達を沈めてきた須王拓磨(男子10番)。いまだに目立った動きを見せていない中村信太郎(男子15番)。複数の人間が生き残ることは不可能という状況下で、友人たちとの再会を実現させようとしていた愚かな男、名城雅史(男子16番)。以上四名の男子に加え、名城雅史と同じく、友人たちとの再会を望んでいた石川直美(女子1番)。そして、どんな奴が相手だろうと、とにかく相手を殺害することのみに勤しんできた死神のような女、吉本早紀子(女子22番)。この女子二名を加えた六人である。
 有力選手がまだ複数生き残っていることにより、誰が優勝するかまだまだ想像すらさせぬ当プログラム。しかし誰が優勝するにしろ、エンディングが迫っていることは間違いなく、そのため兵士たちの中でも、優勝者を迎える準備が少しずつ始まりつつある。
 果たして、最後の生き残りとなるのは誰なのだろうか。
 皆の視線が集中するモニターの中で、六つの数字が会場マップの上を動いている。そしてその動きを見ていた榊原は、口の端を少しつり上げて笑みをもらした。
 青の七番。青の十番。青の十五番。青の十六番。赤の一番。赤の二十二番。
 マップ上に表示されていた六つの数字がすべて、ある一点を目指しているように、偶然にも接近しつつあったのだ。
 今この状況で、これらの生徒たちが出会ったならばどうなるだろうか。想像することはたやすい。生き残りをかけた最終決戦の火蓋が切られることとなるはずだ。
 生徒たちが集結しようとしているその場所とは、分校が存在するエリアの隣、E−6地点。まさに榊原の目と鼻の先が最終決戦の舞台会場となるのだ。
 これ以上に無い特等席に腰をおろしている榊原は、この上ない至福に喜びを感じた。
 さあ、見せるがよい。この俺をもっと興奮させるような、最高潮の激しい戦いぶりを。そしてその戦火の中生き残った者は、俺が温かく迎えてやろうじゃないか。
 興奮を抑えきれぬ担当教官、榊原吾郎はハッハッハと笑い出す。もともと厳つい外見である彼が笑うその姿は、まさに冷酷な悪魔そのものだった。
 時刻はもうすぐで午後19時。暗闇に包まれた島の中で、残された六つの灯火がぶつかり合うのは、もう間もなくのことであった。


【残り 6人】




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