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 山道を駆けながらも、貴宏は遥か前方を走る早紀子の背後から、容赦なくイングラムの火を噴かせ続けた。
 軽快な発射音が響くと同時に、周りの草木の欠片や地面の土などが宙を舞う。しかし、大量の弾丸はどれも早紀子に命中することなく、ただむなしく山中にたくさんの傷痕を作り出すだけであった。
 しかし貴宏は諦めなかった。いくら狙いを外そうとも、弾が切れるまでイングラムを動かし続け、相手を仕留める事に専念する。
 対し、前方の早紀子は背を向けて走っているかと思えば、時々こちらを振り返り、二、三発とショットガンで撃ち返し、そして再び走るのに専念する。もちろんしっかりと狙いを定めていない状態で、その弾が貴宏に命中することはない。しかし、貴宏側も、万一のことを考えると、障害物の後ろに身を隠さないわけにはいかなかった。
 二人とも足はお世辞にも速いといえない者同士。走りながらも繰り広げられる銃撃戦の為か、その距離は一向に縮まる様子はなかった。
 しかし貴宏もここで手足を止めるわけにはいかない。自分が今追いかけている人物は、これまで出会った者の中で一番の大物。狩猟者と化した今の自分にとっての最大の獲物であると同時に、貴宏を脅かす驚異的な敵でもある。そんな二つの理由から、彼はどうしてもこの場で彼女を仕留めなければならないのだ。
 終わりの訪れぬ攻防と追跡を続けているうちに、気がつけばもう山のふもとにまでさしかかっていた。目の前では住宅がまばらに建つ、人が住んでいた場所の光景が広がり、それがまた貴宏の心の中で、何かの形となって動き出した。しかし、目の前の敵を仕留めることに熱中していた彼は、その自分の異変には全く気がつかない。
 見ると、早紀子は住宅地の一角に建つ、とある建物へと向かっていた。
 一車線の狭い道路の側に位置しているその建物。コンクリートの地面の上には、なにやら消防ホースのような物を先端に取り付けた機器が設置され、さらに奥には事務所か何かかと思わせる部屋。そして傍らに積み上げられたタイヤの山。そう、そこは集落の端に建つガソリンスタンド。早紀子はそちらへ向かっていたのだ。
 水溜りの中に足を踏み込むたびに、そこから濁った雨水が跳ねるが、貴宏はそんなことなど気にせず、とにかくそのガソリンスタンドへと走った。
 走りながらも、前方の早紀子へ向けての攻撃の手は緩めない。とある一軒の民家の横を通過したばかりの早紀子の後頭部に向けて、さらにマシンガンを撃つ。だが早紀子が角を曲る方が一瞬早く、弾の全てはコンクリートの壁面に弾かれてしまった。
 まだだ、まだだ、まだだ……!
 十秒ほど後に、貴宏も同じ角を曲り、そしてまたイングラムを向ける。そのときに早紀子はガソリンスタンドへと到着。そしてイングラムの弾は、そのガソリンスタンドの巨大な屋根を支える、コンクリート製の柱に数多くの弾痕を生み出した。
 雨水でずぶ濡れになった地面の上を、貴宏は諦めず走り、逃がしてなるものかと追いかける。
 スタンド内を駆け、そして通過した早紀子。
 数秒後、貴宏もようやくその場に到着し、スタンドを出てからも走り続けている早紀子へと向けて、固く冷たい雨を降らせる。
 絶対に仕留めてやるという考えが、楽しみと恐れという、相反する気持ちから生み出され、それを実現化させるために、彼は全神経を早紀子を仕留めることに集中させ、全力で戦いに挑んだのだ。
 ガソリンスタンド内には、貴宏がコンクリート上に溜まった液体を踏みつける音と、イングラムの軽快な音が響いた。しかし、鼻に飛び込んできた異臭に気付き、ここで貴宏はある違和感に気がついた。
 ここはガソリンスタンド内。頭上には雨水に建物内を濡らされぬ為に設置された屋根がある。だから、こんなところに雨による水溜りが出来ているはずがない。では、ここに溜まっている液体は何だ?
 疑問の答えが浮かぶ前に、貴宏の手元、イングラムの銃口から無数の弾丸と共に巨大な炎が飛び出した。いや、正確にはイングラムの銃口から飛び出した、ごく微量の火花が、巨大な赤い悪魔へと変化したと言ったほうが正解であろう。
 突如出現した巨大かつ高熱を発する紅蓮の炎にどうすることも出来ず、身を包まれた貴宏は絶叫をあげた。
「うっ、うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 空気中に出現した、貴宏を焼き掃おうとする紅蓮のかたまりは、瞬く間に成長し、ついにはガソリンスタンド全体を包み込んだ。


 足元から何度も起こる爆発に、彼は身体を持ち上げられ、地面に叩きつけられた。全身を駆け巡る痛み。自らの身体を焼かれて起こるそれは、尋常なものではなく、貴宏は人生史上最大の苦痛にのた打ち回った。
「うわぁぁぁぁぁ! あ、熱い! 熱いよぉぉぉぉぉぉぉ!」
 罠だった。これは早紀子があらかじめスタンド内にガソリンを撒き、そこで誰かが銃を撃てば、そのときに発する火花が気化したガソリンに燃え移り、そして爆発に飲み込まれるという罠だったのだ。まんまとおびき寄せられた貴宏が、それに気付いた時はもう遅かった。
 ガソリンのキツイ匂いと共に、自らの身体の肉が焼ける香りが鼻に入ってくる。
 全身を焼かれながらも、生きようと……いや、生きたいと、貴宏はとにかく炎の海からの脱出を試みる。身体を動かせば、衣服と焼けた肌がこすれ合い、そこから耐えようもないほどの激痛が走る。しかし、それでも彼はまだ死にたくなかった。
 これまで何人もの生徒たちの生命を奪ってきた側の貴宏。彼はこれまで何事も深く考えず、ただ“獲物達”を仕留めることを楽しんできた。しかし、このとき彼は初めて“狩られる者”の立場となり、そしてその者の気持ちを初めて知った。
 平凡な毎日を過ごしてきたあのころ。貴宏は特に何も考えず、ごく普通の日々を過ごした。
 大好きなモデルガンを集め、そしてそれを幸福に感じた。周りの誰もが、その楽しさを理解しなくとも、自分自身が楽しければそれだけで良かった。
 何も変わらぬ毎日。今考えれば特に中身の詰まった人生でもなかったのかもしれない。しかし、貴宏にとっては、その何事もない毎日が幸せだった。
 そんな中、突如巻き込まれたこのプログラム。平凡な毎日を過ごしていた貴宏にとって、これはこの上ない刺激となり、そして興奮状態に陥った彼は、狩猟が許されるこの世界に居られることこそが幸せなのだと錯覚してしまったのだ。
 しかし、ここは天国などではない。死と隣り合わせの地獄なのだ。貴宏は今ようやくそれに気がついた。極限状態でありながらも狩猟を楽しめるこの空間で過ごせることなど、幸福でもなんでもない。何事もなかろうとも、平凡な毎日を過ごせたあの頃こそが、貴宏にとっての幸せだったのだ。それに今ようやく気がついた貴宏は、ただ必至に今の想いを叫んだ。
「死にたくない! 死にたくないよぉぉぉぉぉぉぉ!」
 もしかしたら、彼はもう少し前に、自分にとっての幸福とは何だったのか気がついていたのかもしれない。もともとは人間が住んでいたはずの場所、住宅地を目にしたとき、彼が内に抱いた妙な感覚。あれは人の蠢く世界の中で過ごした、平凡なあの頃に戻りたいという、貴宏の想いだったのかもしれない。
 死神にとりつかれた貴宏は、必至に炎の海からの脱出を試みる。しかし、その炎の海の外から飛び込んでくる銃声。貴宏は絶大なる恐怖に怯えた。
 燃えさかるガソリンスタンドの外側から、早紀子が炎の内部に向けて銃を撃っているのだ。そして、そのうち一発が貴宏の左足の膝を貫通し、そのままコンクリートの地面にめり込んだ。
「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!」
 耐え切れぬ痛みに声を張り上げ、炎のど真ん中で倒れこむ貴宏。そしてさらに襲い掛かる爆発が、いともたやすく、その場から動けない彼の身体を壊していった。
 何度も起こる爆発は、徐々にガソリンスタンドそのものを崩壊させるだけでなく、飛び散った火の子が辺り一面の住宅にも被害を拡大させ、そして黒く染まりつつあった空を赤々と照らした。
 島の南東に広がる住宅地は、徐々に炎に包まれた紅蓮の世界へと姿を変えた。そしてその地獄のような世界を背に、吉本早紀子は平然と山に帰っていった。


 
『沼川貴宏(男子17番)・・・死亡』


【残り 6人】




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