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 商品棚の陰から飛び出すやいなや、相手に反応する暇を与える間もなく、木材を振りかざした忍はそのまま須王へと飛び掛った。
 それまで創太の身体を切り刻む事に夢中だった殺人鬼須王も、さすがに事態の異変に気付き、すぐさま身体を仰け反らすようにして、その強力な一撃をかわそうとした。しかし反応が一瞬遅れた事が災いし、脳天への一撃は避けることが出来たが、代わりにそれが肩を直撃するという結果になってしまった。
「ぐおぉっ」
 あまりの衝撃によろけながら、痛む左肩を右手で抑える須王。チェーンソーがガタンと床の上に落ちた。
 そんな須王の側を通過し、忍は創太の亡骸に走り寄った。ひざまずきその亡骸に触れてみるが、やはりそこから生命の気配はもはや感じられない。耐えがたい怒りに任せ、彼女は木材を床にたたきつけた。
 背後で須王がよろりと立ち上がった。
「新城じゃねぇか……探してたんだぜ。俺はお前をぶっ殺す為に、あの川沿いに山を下ってきたんだ。会えて本当に嬉しいぜ」
 しかし忍の耳には、須王のその低いトーンの声は入ってきていなかった。両手で地をつき、ただのバラバラの肉片へと化した恩人の顔を覗き込んだ。目を見開き、何か恐ろしい出来事に巻き込まれたように表情を歪ませたまま、自分以外の者の手により全てを強制終了させられた創太。その彼の顔の上に彼女は知らぬうちに自らの涙を垂らしていた。
 人工呼吸、着替え、ご飯……。
 プログラムとは全く関係ないはずの奇妙な言葉が、不思議な事に次々と頭の中に浮かんだ。
「それにしても……」
 須王が何かを言いかけたが、肩が痛んだのか一回言葉を切り、痛む箇所を少しの間手で押さえた。
「それにしても、辻本といい、お前といい、“ムシケラ”ごときの存在で、よくもこの俺に深手を負わせてくれたなぁ!」
 須王は流血で染まった真っ赤な顔を、頭に上った血でさらに見事な紅に仕上げていた。その顔で怒り狂いながら声をあげる姿は、誰が見ても恐れを感じて逃げ出したくなるだろう。
 忍はそんな須王に背を向けたまま、地に付けていた手を離して座り込みながら言った。
「……なんで殺した?」
「あぁっ?」
 須王は忍が何を言いたいのかが分からず聞き返した。
「なんで辻本を殺したんだ!」
 須王に向けたままの背を震わせながら、忍は先ほどの須王よりもさらに大きな声で怒鳴るように言った。
「なぜかって……そりゃあそれがこのプログラムのルールじゃねぇか。今更なにを言ってるんだ?」
「違う! そうじゃない! お前は言った。“ムシケラ”だと? 私達の何がそうだと言うんだ!」
 忍の言葉を聞き、やれやれといった様子で肩をすくめて見せる須王。
「言葉の通りだ。このクラスにいた俺以外の四十五人は、所詮はただのムシケラに過ぎない。くだらん情に流される愚かな者や、意味のない正義に突っ走る者。将来役にも立たねぇ勉学に励む馬鹿もいれば、ままごとのような幼稚な恋愛に走る小者。その他エトセトラ……。はっきり言って生きている次元が小せぇ。その点俺を見ろ。既に殺人から何まで、表から裏の世界まで、ありとあらゆる世界を経験済みだ。そんな俺から見ればお前達のショボイ人生なんて、ほんの一握りの砂のように思えてしまう。そんな俺はお前達を見下ろして思うのさ。ムシケラだと……」
 須王の一言一言が耳に入ってくるたびに、忍はだんだんと拳を握り締める力を強めた。
「なぁ、お前は小さい頃のこととか覚えているか?」
 突如須王が話題を切り替えてきた。しかし忍は全く反応を見せない。それでも彼は言葉をそこで止めはしなかった。
「まだ自分が無邪気だった頃、よく外で遊んでただろ。ボール遊びをしたり、追いかけっこをしたり、砂遊びをしたり、なんでもいい、とにかく外で遊んでいて、ある時自分の足元を這う虫けらの姿を見かけたりしただろ? 例えば列を作って歩く蟻の行列とかだ。まだ命の大切さなど知らないような奴がそういうモノを見たら、いったい何を考えると思うか分かるか?」
 須王は一度声の音量を抑えた。そして次の瞬間、その声を再び荒げ、話を再開させた。
「ぶっ殺したくなるだろ? 踏み潰すなり、水攻めにするなり、あるいは捕まえて天敵の餌にするなりしてな! そう、ムシケラを殺すことは楽しいんだ! それと同じさ! 俺は自分の目の周りに存在する目障りなムシケラがうっとおしいと思うと同時に、いつかぶっ殺してやりてぇと思ってたのさ! そしてそれは実現した。プログラム……俺にはまさに願っても無かった幸運だったぜ!」
 忍の中でさらに何かがはじめた。もはや背中は常に怒りに震え続け、じっとしている事すら不可能になりつつあった。
「快感だ! 俺は以前から人間を殺すことに快感を感じていた! 道行く人間を見ていると、あるとき俺の中で人を殺したいという欲が生まれた! 俺の欲の対象となった人間はすぐにでも路地裏や車の中に連れ込み、そこでズタズタに切り裂いてやるんだ!
 食欲! 睡眠欲! 金欲! 性欲! 殺人欲! 全ての欲を満たした瞬間、俺はついに全ての人間の王となったのさ! それからはもう止められなかった。殺人は俺の娯楽の一部と化し、欲を感じればすぐにそれを満たす為に行動した。そんな俺にとってこのプログラムに“参加できた”という事は本当に幸運だったぜ! 偽善に埋もれた偽りの現実世界とは違い、ここはいくらでも殺人を許される、まさにパラダイスだったさ! 止められない、俺はもう人間を殺したくて仕方がなかったのさ! 楽しい! 人殺しは楽しすぎるぜ!」
 狂ったかのように須王は大声で笑った。鼻や肩の痛みも忘れてしまったかのように、ただ一心不乱に笑い続ける。悪魔だった。彼は誰が見ても悪魔。切り刻まれた異型の人間が人ならざる者だったのではない。まさに彼こそが人ならざる者だったのだ。
「……くだらない……」
 突然聞こえた女の呟きに、人ならざる者は笑いを止めた。
「なんだと?」
 自分の全てを否定され不快を抱いた彼は、その恐ろしき牙を剥き出しにし、未だにこちらに顔も向けずに座ったままの忍を相手に敵意をあらわにした。
「……そんな理由のために、辻本は……あいつはお前にここまで酷い姿にされたというのか?」
 忍もかつて坪倉武を殺害した経験がある。もちろん彼の場合は殺されても仕方がない人間だったが、それでも忍は今でも多少は心の中でそれが錘となってぶら下がっているのを感じる。殺人とはそれだけ重いことなのだ。ところが、目の前で笑っていたこいつはどうだ。理由無き殺人を楽しみ、それを罪とも何とも感じていない。辻本はただ彼の欲を満たす為だけに殺されたというのだ。そんなこと……そんなことが許される訳が無い。
 忍の顔が見る見るうちに変化していく。眉間に寄せたシワがだんだんと深まり、両側の眉もだんだんとつりあがっていった。そして最大限の力で噛み締められた歯。その顔は整った彼女の容姿からは想像もつかぬほどの変貌振ぶりだった。そして次なる須王の言葉をきっかけに、忍の中で何かのスイッチが入る事となった。
「言っただろ。俺はムシケラを見ると無性に殺したくなるのさ。そう……あいつも所詮ムシケラだったから殺したのさ。一人の王と四十五匹のムシケラ、誰が生き残るべきか一目瞭然だろ?」
 まるで頭をハンマーで殴られたかのような衝撃を感じた。そんなことにも気を止めず、ただただ背後でカカッと笑う男の存在に、これまでに感じた事の無いほどの嫌悪感を感じた。
 怒りに打ち震える忍の顔が見えていなかった須王は次なる獲物を前に上機嫌だった。まだまだ殺れるという事実に喜びを感じているのだろう。
「……須王……アンタ……」
 突如忍の声色が鋭く変化した。そしてゆっくりと須王の方へと振り向き、言った。


「ブ・ッ・殺・す」


【残り 8人】




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