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 新城忍(女子9番)はベッドの上に寝転がり天井を見つめながら、ほんの一時の休息をとっていた。
 須王拓磨の魔の手から逃れるために、濁流が唸りをあげる川に飛び込んだとき、彼女は確かに一度は死を覚悟した。しかし忍は生還した。
 辻本創太。彼女を助けた男の名だ。
 濁流に飲まれた忍はそのまま下流まで流されたのだが、岸に打ち上げられた為、奇跡的に創太に目撃される事となった。忍を見つけると、創太はそれを助ける為に色々と手を尽くしてくれたのだそうだ。その行動の中には思わず赤面してしまうほどの、驚くべき事実がいくつかあったのだが、それでも彼女は創太に感謝している。彼がいなければ今の自分はこの世に存在していなかったのかもしれないのだから。
 しかし今は創太は側にはいない。ご飯を作っていると言って部屋を出て行ったきりだ。
 なかなか戻ってこないけど、炊事に苦戦しているのだろうか。
 ふと部屋の隅にハンガーで吊るされている自らのセーラー服に目が行く。忍が助けられてからはもう十数時間もの時が経過しているが、外を見るとあいにくのこの天候だ。おそらくまだ渇ききってはいないだろう。
 ベッドから立ち上がり、かけてあるセーラーに歩み寄り手で触ってみた。季節はもう夏に近い事もあり、思っていたより水分の感触は無かったが、それでもやはり乾ききってはいなかった。しかしこの程度なら着ていてもさほど問題は無いだろうと思い、誰の物とも分からぬTシャツとカーゴを脱ぎ捨て、まだ少し湿り気が残るセーラーを頭からかぶった。
 着てみるとやはりじとっとした感触はあったが、それでも着慣れた自らのセーラーの方が落ち着いた。
 本当に遅いな。
 彼が部屋を出て行ってから、もうどれだけの時間が経過したのだろうか。忍にはそれが数十分のようにも数時間のようにも思えた。ちょっと時間が掛かりすぎではないかと、彼女はだんだんと不審に思い始めた。
 忍は扉に歩み寄り、ノブに手を掛けてひねった。すると歪んだそれはギィと音を立てながら、ゆっくりと内側へと開いた。すると目の前に薄暗く長い廊下が姿をあらわす。この廊下の先の何処か、おそらくキッチンに創太はいるはずだ。
 部屋からゆっくりと出て、廊下をそろりそろりと進む。創太相手に気付かれてはならないという訳ではないが、プログラムが始まって以降、忍は常にまわりに警戒するという事を怠らなかった。今回も念のためにと軽率な行動を取らない事にしたのだ。
 廊下の突き当たりのドアが開いているのが見えた。そしてその奥には流し台や冷蔵庫などがあるのが確認できる。おそらくそこがキッチンなのであろう。
 開いているドアに近づくにつれ、だんだんとその空間の全体が見えてきた。そしてその一角に置かれている固形燃料と少し小さな鍋。近寄りそのふたを上げてみると、中は炊いて間もない白米で満たされていた。その隣にも同じような鍋があり、そちらは味噌汁でいっぱいだ。おそらく創太が調理したのだろう。
 しかし問題は、その空間にそれを調理した創太の姿が無いということだ。
 何処に行ったんだ?
 いるはずの場所にいない彼を思うと、なぜか不安が襲い掛かる。他の部屋にいるのかもしれないと考え、キッチンから飛び出し、他の部屋も隅々まで探し回ってみたが、何処にも彼の姿はなかった。
 おかしい。彼が自分を置いて一人でこの建物の中から姿を消すなど考えられない。もし私の目に映った創太の姿が幻だったのならそれは説明がつくが、今度は自分が誰に助けられたのか、それとこの白米と味噌汁を調理したのは誰だったのかという疑問が浮上してしまう。そう、彼は確かに“ここ”にいたはずなのだ。ではいったい何処に姿を消したというのか。
 ふと流し台の側の裏口に目が行った。ノブと一体化している回転式の錠のつまみが縦に向いている。忍はまさかと思い、そのノブに手を当ててみた。そしてそれをひねってみて驚いた。
 ……開いている。
 扉を開き外を見ると、ぬかるんだ地面には創太の重みにより足の形に沈んだ型が外に向かっている。間違いない。彼はここから外に出て行ったのだ。
 忍に緊張が走る。そしてそれと同時に、どこかからエンジン音かと思うほどの大音響が耳に飛び込んできた。間違いなくこれは機械音である。そして忍にはこの音に聞き覚えがあった。かつて忍と対峙した最悪の敵。そいつが持っていた殺人機械。高速回転しながら襲い掛かってきたそれは、既に何人もの血を吸って赤く染まっていた。
 思い出すだけで鳥肌が立つ。あんな物で裂かれてみろ。皮は肉もろともに切り裂かれ、体内を通る様々な管は全て断たれ、そこから考えられないほどの液状のものが流れ出すだろう。身体の全てを内部から支える骨までが砕かれてしまえば、それはもう人間の姿ですらなくなってしまうかもしれない。身体のそこいらじゅうを無残にもがれた異型の生物。人ならざる者へと変化した自らの姿を想像するだけで、その恐ろしさは全身を駆け巡る。
 そんな恐ろしき殺人機械を手にしている人物も、まさに最強最悪の殺人鬼。こんな相手に遭遇してしまえば、無事に済むどころではない。もはや生存の余地すら残されないのだ。
 忍は無意識の内に裏口から飛び出していた。民家の庭から門へと走り、そこから道路に飛び出すと、機械の音がどちらから聞こえてきているのかがはっきりと分かった。そちらに身体を向けてさらに走る。この先で何が起こっているのかは想像に難しくは無かった。
 裏口から外へと続いていた足音。
 そこから遠くない場所から聞こえる殺人機器の音。
 ……急がなければ…急がなければ!
 とどまる事を知らぬ不安感に背中を押され、忍の足がだんだんと速まった。途中、右手に建設中の住宅が見えた。まだ建設がはじまって間もないらしく、その骨組みと足場が組まれている以外には何も手を出されていない。その足元に積み上げられた木材の山を見て、忍はそれに走り寄った。そしてその中の一つ、長さ2メートル近くある木材を担ぎ上げ、そのまま音の鳴る方へと向かう。木材のキロ単位の重さが忍にのしかかったが、彼女はもはやそんなことなど気にしていなかった。とにかくリーチのあるこれならば、あの悪魔とも対等に戦う事が出来るかもしれないと、武器を持たぬ忍は考えたのだった。
 かつて振り回していたバットより、それは数段重かったが、その分破壊力は優れているはずだ。
 目の前に近づいてきたスーパーマーケット。機械音は確かにその中から聞こえてきていた。
 間違いない。“奴”はたしかにこの中にいる!
 不安は最高潮に達し、もはや忍の頬を伝って垂れる水滴は、雨の雫なのか、それとも緊張による汗なのかすら分からなかった。
 マーケットの窓の一つが割られているのが見えた。そこから内部に飛び込むと、轟音はさらに激しさを増して聞こえた。その音の発生源がすぐ側にまで迫っているのだ。
 乱立している商品棚に視界を遮られ、まだ相手の姿を確認できない。しかしもう確認するまでも無い。忍にはもうその正体が分かっているのだ。
 肩に担いでいた木材を握り締め、棚の裏から顔を覗かせる。そして見てしまった。
 顔の右半分を火傷により歪ませ、それを鼻から大量に流れた血が赤く彩った、悪魔の如き形相の殺人鬼。口を裂けるほどに左右共に吊り上げながら不気味な笑みを浮かべ、もはや動かなくなった巨体の相手にも容赦なく、チェーンソーの回転する刃で斬りかかり、その身体を数え切れぬほどのパーツに切り分ける。死体で遊んでいるかのようにすら見えた。背筋がぞっとすると同時に怒りが込み上げる。
 切り裂かれた身体は、間違いなく辻本創太のものだった。忍を救ってくれた心優しき巨兵。その彼が心無き者によって無残にも無に返された。
 忍は頭の中で何本もの血管が切れるような感覚を感じた。そして次の瞬間にはその心無き殺人者、
須王拓磨(男子10番)と対峙していた。


 
『辻本創太(男子12番)・・・死亡』


【残り 8人】




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