106


 突然全身に受けた圧力に対応できず、後方へと吹っ飛ばされた須王の身体は、そのまま空の商品棚へと激突した。
「ぐおぉっ!」
 固い棚に背中を思いっきりぶつけ、須王が珍しくうめき声をあげた。
 連続して、今度は空の商品棚が、須王の体重に耐え切れず後方へと倒れ、ガシャンと大きな音を店内に響かせた。倒れた拍子にビスが外れでもしたのか、商品棚の一部がガランガランと崩れる音も聞こえた。
 須王本人は、すぐさま倒れた商品棚の上からゆっくりと起き上がり、自分をこんな目に合わせた張本人を睨みつける。
「辻本ぉ! キサマ、こんな事してただで済むと思ってるんじゃないだろうなぁ!」
 しかし直後、彼はまた妙な圧力を感じた。自分を見下ろす巨体の男の重い視線。先ほどまでの弱気な態度とはうって変わった、須王を敵対するその態度に、なにやらただならぬ緊張を覚えた。
 創太の態度を豹変させた原因は、実は須王にあった。

 辻本創太。米屋を営むとある夫婦の間に生を受けた男児が成長した者、それが彼である。
 たった一人の息子として大切に育てられた彼は、まさに温室育ちといって良いだろう。しかし、温室とは良いようで、じつは落とし穴も存在している。
 彼がはまった落とし穴とは体重に関するものだった。たった一人の息子として、両親はとにかく彼によく食べる子として育てた。昔から言われる、“よく食べよく眠る”という言葉を鵜呑みにした結果だ。そして、それが後に彼の体重を増大させた原因となった。
 小学校に入った頃、彼の体重は既に40キロを超過していた。もちろんクラス内で一番の体重であった。見方によっては、それも一種の個性として見ることも可能だが、当時小学校低学年であった彼の同級生達は、明らかに自分達とは異彩を放つ創太を受け入れはしなかった。
 自分達とは違う身体を持つ者として、同級生達は創太をいじめの対象とした。まだ幼かった創太は、初めて身に受けたいじめという洗礼に対処する方法など知らず、ただそれに耐え続けるしかなかった。
 彼へのいじめは何時まで経っても終わらなかった。自分の体が皆よりも大きい、ただそれだけの理由で冷たい目で見続けられる毎日に、創太の精神は徐々に限界へと近づいていった。
 そしてある日、とある事件が起こった。
 いつも通りに教室に入るなり、彼に向かって数人の男の子が近づいてきた。そして先頭に立っている、創太よりも一回り背が低く、つり上がり気味の目の男子がこう言った。
「なんだよ、今日も来たのかよデブ」
 そして次の瞬間、溜まりに溜まったストレスにより、創太の怒りがついに爆発した。
 勢いにまかせ、つり目の男の子に体当たりすると、彼の身体が後方へと吹っ飛んだ。そして教室の一番前の机の角に頭をぶつけ、そのままぐったりと倒れた。あまりの痛みに泣き喚く男の子。しかし創太はまだ容赦しなかった。
 意味のない奇声を発しながら、倒れ泣き喚く男子生徒の上にのしかかり、固く閉じた拳で力いっぱい、何度も顔を殴りつける。
 すぐさま周りを囲んでいたクラスメート達が、創太を止めようとするが、いくら引っ張っても彼の重い身体はびくともしなかった。
 騒ぎを聞きつけた担任が教室に到着した頃には、つり目の男の子は、何度も殴られ折れた鼻から、大量の血を噴出させていた。そして直ぐに保健室へと運ばれたが、あまりの重症であったため、すぐさま数キロ先の病院へと転送されたのだった。
 以降、創太が四年生になり、家の都合で転校するまで、彼をいじめる者は二度と現れなかった。
 これが辻本創太の封印された過去である。

『ズタズタに斬り刻んで殺してやるよ。じゃあな、デブ』
 これは先ほど須王が放った一言である。ここで注目したいのは最後の節。彼は明らかに創太の事を“デブ”と呼んだ。昔のいじめがトラウマとなっていた創太にとって、この“デブ”という言葉は、何より許しがたい一言なのである。この言葉を耳にしたことにより、創太は須王とつり目の男の子を、無意識の内に重ねてしまったのだ。
「なんだその目は? どうやら本当にぶっ殺されてぇようだなぁ!」
 突然豹変した創太の態度が気に食わず、イライラをぶつける為に須王が声をあげた。しかし次の瞬間、またしても驚く事になろうとは思ってもいなかっただろう。
「うがぁぁぁぁぁぁぁ!」
 奇声を発し、創太が須王に飛び掛った。いつもの創太からは考えられもしないその形相に、さすがの須王も一瞬たじろいた。しかしある種の王者のプライドのようなものを背負い込んでいた彼は、創太に恐れを抱く事を許さなかった。まるで重戦車のように突進してくる創太をじっと睨みつけ、怯むことなく迎えうったのだ。
「てめぇなんかに、俺が負けるかぁ!」
 丸腰で飛び掛ってくる相手に対してでも、確実な勝利を望む須王は容赦など無い。チェーンソーのスイッチを入れるやいなや、それを急いで振りかざした。
 しかし、怒りに我を忘れている創太の突進は、須王が思っていたよりも思いがけないスピードであった。振り上げたチェーンソーを振り下ろす暇も無く、子供の象に突進されたような圧力に負け、高速回転するその殺人危機が手から離れてしまったのだ。
 地に落ちたチェーンソーは、派手な機械音を轟かせながら、店の壁際へと滑っていった。
「て、てめぇ! この野郎ぉ!」
 吹っ飛ばされた須王は再び立ち上がろうとする。しかし創太は攻撃の手を緩めはしなかった。
 さらに突進してくる巨体に対抗しようと、相手の首元へと手を伸ばす須王。そして激戦が開始した。
 創太は全体重をかけた錘のような全身を駆使し、須王の身体を地中に沈めようとしているかのように押さえ込んだ。それに対し、須王は創太の首元へと伸ばした手に力を入れ、そのまま首を絞めようと試みるが、相手の厚い脂肪がそれを簡単にはさせてくれなかった。


 もはや手の残されていない須王は、ついにその体重に耐え切れずに床へと倒れこんでしまった。こうなってしまっては一方的だった。
 相手が倒れた途端、すぐさま自らの身体の位置を移動した創太は、須王の胴体にまたがり、固く握った拳で、何度も顔面を殴りつけた。
 殴られるたびに、頭をガクガクと揺らしながら、須王はなんとかこの場を脱出しようと試みた。しかし自分よりも圧倒的に重い体の相手を自分の上からどかすことは、どうみても容易なことではなかった。
 床に投げ出されたチェーンソーも、手が届く距離ではない。
 反撃の余地が残されておらず、須王はただ殴られ続けるしかなかった。
 くそっ! なんとか…なんとか反撃する方法はないか?
 鼻から血を流しながら、思考を行き来させる須王。彼もまさか創太にここまでてこずらされるとは思ってもいなかっただろう。しかし、ゲーム開始史上最大のピンチは今まさに、この辻本創太によってもたらされたのだ。それはまたしても彼のプライドが許さなかった。
 こいつ…絶対にぶち殺してやる!
 ついに反撃の方法を思いついた須王は、殴られながらも手を真っ直ぐに伸ばした。そしてそれは自分にまたがっている巨体の男へと向かっていった。手のひらが創太の足の付け根付近へと到達した頃、須王はついに恐るべき行動を取った。
 両足の付け根の真ん中、男性器へと伸ばした手で、ズボンの上から二つの球体を握った瞬間、それを最大限の力で握り締めたのだ。
 須王が握った二つの球体、それはまさに人間が子供を作る際に無くてはならないもの、つまりは“タマ”であった。そしてそのタマとは、男性にとっての急所でもある。その急所に激痛を感じた創太は、我を忘れていようとも攻撃の手を止めざるを得なかった。
 あまりの激痛に、先ほどとは違った奇声をあげる創太。しかしそれに構わず、須王は手の力をいっそう強めた。瞬間、手のひらに何かが潰れる感触を感じた。タマの一つが潰れたのであろう。
 他人には予想も出来ぬほどの、想像を絶する痛みに悲鳴をあげ、創太はその場でのたうちまわった。はひはひと息を荒げ、潰れた股間を手で必死におさえるが、当然痛みが消える事は無い。
 ようやく身体の上から錘が消え、須王はやっとの事で立ち上がった。
 足元では痛みに耐え切れず、荒げた声で何かを叫びながら転がり続けるデブがいる。
 手で自分の顔を触ると、そこにはべったりと粘着質の赤い液体がついていた。鼻から流れ出した血の量は、思っていたよりも多かったようだ。床にも点々と垂れている自らの血液を見て、彼の怒りは極限にまで高まっていた。
「許さねぇぞデブ! お望みどおりズタズタに切り刻んでぶっ殺してやろうじゃねぇか!」
 須王はまだ壁際で回転し続けているチェーンソーを手に取り、それを創太の首元へと向けた。


【残り 9人】




トップへ戻る   BRトップへ戻る   105へ戻る   107へ進む

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送